渾沌〜マロガレ〜









「これでキミは悪魔になるんだ…」







《…動いてはいけません。……痛いのは一瞬だけです……》

一瞬。か。
お前たちには一瞬、だったろう。永い時を泳ぐお前たちには。

いや、俺にも一瞬、だったかもしれない。
そうだな。ずっと、ずっとずっと痛かったんだから。あんな痛みなんて、ほんと一瞬。

押さえつけられて、無理やり開かされて、そのまま受け入れさせられて。
グチャ、グチャリと自分のナカを食い破っていくその、“細い尾を持つ生き物”を知覚しながら。
また、と思った。また、俺は、オカサレル。

「あ……あ゛っ、ぁ」

また、俺は侵食される。また、バラバラに壊される。
カラダも、そしてココロも。いつかこのイノチそのものも。

――― ナラバ イッソ タマシイモ コワシテシマッテクレレバ イイノニ
(モウニドト コノヨニ ウマレナオサナイヨウニ モウニドト テンセイ(・・・・)シナイヨウニ)

入り込んだそれがぐちゅぐちゅと脳幹を侵す。神経に入り込み、カラダを支配し、構造を変える。

「う……ぁ」

ズクリと首の後ろに、内側から(・・・・)肉を引き裂く強烈な痛み。と、同時に知覚情報が増える。
視界と言えるほどクリアでは無いが、これまでと違い、背後の状況も判断できる。
アンテナのようなものか、と、どこか冷めた判断を落とした俺を責めるように。

「ぅぐ、ぁあっ!」

両手に、両足に、下腹部に強烈な熱。何かを突き刺されたような。
歪む視界にどこかで見た模様が映る。これは、宝珠?どうして、こんなカタチが。

手のひらで光るそれを見ながら、Stigma(スティグマ)という言霊が混濁する脳内から転げ落ちる。
だって、両手両足下腹部。発現するその印は、あの、十字架にかけられた方と、同じ位置。

ああ、そうか。聖痕。……いや、違う。

これは、烙印だ。
お前は罪人だと。けしてお前の罪を忘れるなと押し当てられ、二度と消えぬ焼きゴテ。

その罪人の証から、広がっていく黒い線。碧の光。焼かれるような痛み。
痛い。体中が、痛い。貫かれるように引き裂かれるように痛い。
こんなに痛いなら、苦しいなら、いっそ死にたい、と思うのに、死ねない。
人の脳は、死んだほうがましだと本気で思えれば、本当に死ねるはず、なのに。



――― ああ、そうか。もう、俺は人じゃなかったな。そう言われてたな。ずっと、前から。




◇◆◇





ずいぶん長い間、叫んでいた気はするけれど。
カラダの痛みなんて、一瞬。もう、忘れた。

いつまでも痛いと叫ぶのはココロ。


「どうしたの?まだフォルネウスに受けた傷が痛むの?」
「ううん。大丈夫。なんでも、ないよ。ピクシー」

厳しくて優しいピクシー。俺の初めての仲“魔”。
本当に大丈夫?と心配性な彼女に大丈夫だよと再び返して、俺は体内のマガタマを探る。

後から思えば、あっさりと俺のナカに納まったマガタマ。
技を吐き出すときは、ビチビチと暴れるけれどそれ以外は、いやそれすらも大したことは無い。
かと言って、暴走しないという保障は無い。俺はともかく仲魔に被害は出したくない。
コントロールは確実にしておきたい。


《悪魔の力を宿せし禍なる魂"マガタマ"》

確かにあのとき、あの老婆はそう言った。
“マガタマ” 禍なる魂だと。けれど。

「“マガは禍ならず、マは魔ならず、アクは悪ならず”」

確かにこれを飲まされて、俺は変わった。生まれ変われた。
でも、悪魔、ってナニ?俺の精神面は多分、変わっていない。変わったのはカラダと力。

「なあに、それ?呪文?」
「あ。ううん。違うよ。ちょっと独り言」

ピクシー。初めての仲魔。
もし俺のカタチがニンゲンだったなら、彼女は俺を助けてくれただろうか。

「シュラってときどき不思議な言葉を使うわねー」
「そう、かな。そうだな」

悪魔。
何回かそう言われたことがある。親戚の人達に。
はっきりと覚えていないけれど、俺はいつかあの人達の何かを壊したのだろう。
そんなふうなことを、言われた。悪魔、という呼称と共に。

(他と異なる力を持っていれば。それが自分たちを害すると判断すれば、悪魔、か)
なるほど。




◇◆◇





「マガタマの名前ってどうやって分かるの?」
「名を知りたいと思って触れると、分かるよ」
明確な言葉じゃない。けれど意思のようなものが伝わってくる。それが名を告げる。

「今つけてるのが、ええと、何だったっけ」
「マロガレ」
「変な言葉。なんて意味?」
「ええと、たしか、日本書紀に似た言葉があったから、“渾沌”かな」

どんなの?と請われて、暗記させられたそれを少し唱えてみる。

(いにしへ)天地(あめつち) 未だ(わか)れず、陰陽(めを) 分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子の如くして》

鶏子(トリノコ)?」
「タマゴの中」

あ、そうか!と、納得したようにピクシーは受胎して円くなった東京を見渡し。
少年はとある小説の一文を思い出す。あれは確か、ヘッセのデミアン。

《鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。
生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない》

受胎の瞬間に聞こえた声も同じことを言っていた。

…我が世界へ入りたる者よ、と言っていたから、多分、カグツチだろう。
お前のココロには何も無い、世界を創造する者とは成りえない。と。
行って、探せと。おまえは何者かにならねばならぬ、と、そう。

(カタチの定まらぬ俺の中。これからカタチを作れ、ということか。
それとも。何かをイレテいけ、と?空っぽの俺の中に、何かを。――― 何を?)


「あ。これ。私が」
「ん?」

ヒーホー君の店に並ぶアンクを指差して、ピクシーが言う。
ヨヨギ公園で別れるときに渡すつもりだったマガタマだと。

「ほら。一緒に行くことになったから、渡しそびれてて」
気がつくと逃げられていたのが、こんなところにー。
わあ、結構高い!拾ったくせにぼったくりよ!フロスト!!
と、妖精仲魔に詰め寄る友人を、人型の悪魔はまあまあと宥めた。


「ねえ。ピクシー。このアンクって言葉の意味、知ってた?」
「ううん。知らないよ」

なんて意味なの?と聞いてくる友人に、手の中のアンクを見ながら、知らないならいいんだと笑う。
今はキミが居るから。キミの存在は、今の俺にとってアンクの意味と同じだからいいんだ。

(少しだけ分かった。マガタマは俺をオカして俺を引き裂くモノじゃない。
多分、空っぽな俺に入って、俺を助けてくれるモノなんだ。
マロガレが入ってきたときに少しだけそんな想いが聞こえた。
「還ってきたよ、ただいま」って、例えるならそんなふうな、懐かしい声)

――― 生きてみようと思う。この世界を受け入れて。できるところまで。仲魔と共に。

(だって、アンクはさ。ピクシー。「生きる」って意味だよ)




そして。アンクの意味に、もう一つ。
言葉ではないそれがあることを。生まれたばかりの人修羅は、まだ、知らない。





あのニンゲン。よくぞ死にもせずマロガレを受け入れましたねぇ。坊ちゃま。
どうやら、ワダツミもアンクも問題なく取り入れた様子。
ええ。ええ、そうでございますね。ダークもニュートラルもライトも、何の拒否反応も無く。

それに、アンクは♀。貴方様も含めた広い意味を持つ記号。言葉を超えた力。
ええ。これは非常に、楽しみなことでございますね。






Ende

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♀は一般的には天文記号、惑星記号あたりで調べると、いろいろ見つかると思います。
(金星とか明けの明星とかいろいろ)