ソロモンの指輪



「なあ、ウリエル。“ソロモンの指輪”って何か分かる?」
唐突に投げられた主からの質問に、大天使は怪訝そうに翼をパサ、と動かした。


「それは……ユダヤのソロモン王のことでしょうか」
「あ、実際に居たんだ」
「はい。絶大な魔力を持ち、72柱の魔王を使役したと言われています」

アスタロトやフラウロスも、その一柱ですよと言われて、シュラは目を丸くする。

「すごいヤツが居たんだな〜。で、その指輪って?」
「確か、それを嵌めていればどんな悪魔や天使も使役することができ、
また動物の言語も理解できると言われていた、ものかと」
「……ああ! ああ、なるほど、そうなんだ」

一人納得してうなずくシュラだが、ウリエルの方の疑問は解決しない。

小首を傾げて、黙したまま傍に佇む大天使に気づいて、シュラがすまなそうに笑う。
「ごめんごめん。小さい頃、親の本棚をこっそり見ていたときに『ソロモンの指輪』って名前の本が
あってさ。 ……さっき、その本に書いてあったこと、思い出したんだ」
「先ほどというと……」
そして、あまり思い出したくは無い記憶が引きずり出され、ウリエルは少し眉を顰めた。


シュラ達がフィールドを探索していたとき、遙か前方で騒がしい音がしたのだ。シュラ様大事のお供が先に偵察に行ってみると、そこにはエンジェルとチンの群れ同士の諍いが起こっていた。とは言え、双方、そう高い能力を持たない者共、適当に諍いも終わるだろうと、のんびりと報告したのだが、その後シュラ達がその場にたどり着いた時。

そこには地獄絵図があった。

ある者は目を抉られ、ある者は羽をもがれ、またある者は身体のあちこちを焼かれ、それでも死ぬに死ねない 悪魔達が転がっていたのだ。どの傷も酷いものであるのに、致命傷とまではならず、
しかしもはや回復もできず、ただただ苦しみぬいてゆるりと死んでいく先を見るのみ。

その様に息を呑んだシュラは、その一瞬後、魔力を爆発させ、苦しみを終わらせたのだが。
(あの後、ずっと思い悩んでおられるようだった。一人にしてくれと、皆におっしゃって)
そんなシュラが心配で様子を見に来た途端に、冒頭の質問を掛けられたのだった、とウリエルは
回想を中断させた。


「『ハトの争いは残酷である』」

やはり唐突にシュラが話す。
言葉が少なくなるのは、主が悩んでいるときだと知っているウリエルは黙ってそれを聞く。

「『致命傷を与える爪も牙も無いゆえに、(いたずら)に無数の傷をもって相手を嬲り殺すしかない』
――― その本に書いてあったんだ」
「『ソロモンの指輪』にですか」
「うん」
どこか遠い目をしてシュラは話を続ける。

「俺が人だった頃は、ハトは平和の象徴だったから、それを読んだときとても変な感じがしたんだ」
「ノアの箱舟の逸話もございますから」
「そう。か。そうだね。水が引いたか確かめるために放たれたのがハト。だよね」
「ハトはオリーブを咥えて帰り、神は人との契約の証に虹を送られました」
「……もう二度と大災害を起こして生き物を絶滅させたりしない、って契約?」

……うそばっかり。
クスと笑って顔を膝に埋めたシュラに大天使は返す言葉を持たなかった。

しばしの後、シュラは顔を上げる。その瞳の輝きは、強い。

「ねえ、ウリエル」
「はい」
「俺はハトの喧嘩は嫌だ」
「はい」
「強くなる。もっと」

一撃で相手をしとめられるように。
一息で楽にしてあげられるように。
爪も牙も、すべての力を高めて。

――― 弱いもの達同士が、無益で残酷な戦いをしなくても、済むように。




でも。それでは、貴方は。
貴方の心は。

そう言いかけて、ウリエルは止める。

無理やりに人から悪魔の身に引きずり落とされたこの少年は、とても優しい。
挑んでくる悪魔と戦い、勝利しても、どこか苦しげにしているのをウリエルは知っていた。

強いその悪魔の身体と相反して、無数の傷をつけられ続ける、柔らかいヒトの心。
涙を流さぬ強靭な身体の奥で、苦しいと悲しいと、泣き続けるココロ。

その強と弱、光と影のコントラストが自分を含め、全ての仲魔を惹きつける要因でもあるのだ。
――― おそらくは、貴方を悪魔に堕としたあの者をも。

そして再びシュラが膝に顔を埋めると、とん、と、ウリエルはシュラの後に降りたち、バサリと翼を広げ、シュラの身を守るようにそのままフワリと包みこんだ。

「貴方の、思うとおりに」
「うん」
ありがとう。ウリエル、と微かな震える声が聞こえた。

(貴方が貴方の心を切り捨てて、修羅の道を行かれるというのならば)
――― 貴方の心は私が守りましょう。




やがて、心配しているだろうから、と仲魔の元に戻ろうとするシュラにウリエルは尋ねる。

「ところで、結局どのような書物だったのですか?」
「え?あ、ああ『ソロモンの指輪』?」
「はい」
「確か。動物学」
「はい?」
「動物の様子や気持ちをその行動から読み取る、といったような」
「・・・なるほど。それで」
納得して頷くウリエルに、でもうろ覚えだから〜あんま信用しないで、と笑うシュラ。

「私も貴方専用のソロモンの指輪が必要ですね」
「え?」
くす。
「いえ、独り言です」
そう言って、ウリエルはソロモンの指輪を心に持つ少年に微笑んだ。
悪魔も天使も跪かせる、得がたき存在に。








どうか。

泣けない貴方が泣きたいときはどうかお傍に。

貴方の心を守ることができるよう。

どうか。










悪魔に魅せられた天使が祈るべき神は―――もう、どこにも、居ないけれど。





Ende

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崇敬するコンラート・ローレンツ博士と、サーザ・グレアム・ダルトンに捧ぐ