「シュラ」
「ん?」
「いつになったら、教えてくれるのですか」
「何を」
「貴方の名前を」



戦闘と戦闘の合間の時間。

珍しく仲魔から離れて一人で休んでいたシュラを見つけて、例によって例のごとく。

また、いきなり話を振ってきたな、とシュラは脱力を覚えながら、黒ずくめの探偵を見る。
ここまで一方的だと、意地悪もしたくなるよな、と次の自らの発言内容を正当化した。

「……お前、人のこと言えるの?」
「何のことです」
「十四代目葛葉ライドウ」
「はい?」
「それはお前の”名前”じゃないだろ?」
「……」

黙したまま、動かぬライドウを見て、シュラが溜息をつく。

「悪かったよ。多少はお前の立場も理解できる。言えるわけが無いよな」
「いえ、もし貴方が知りたいというのなら」
「……知りたくない」
「……僕は知りたい」
食い下がるライドウに、もう一度シュラが溜息をついた。

「教えてやってもいいけど、記号でしかない名前だぞ」
「記号?」
「お前と一緒。俺という存在を指し示す指標としてのみの名前。本質じゃない」
『なかなかに穿った発言だな、人修羅』
「あ、ゴウトさん♪」
寄ってきた黒猫に喜色満面なシュラを見て、今度はライドウが溜息をつく。
――― あくまでも、彼の中での立ち位置はゴウトが優位らしい。

「まあ、ライドウが言い出したら、納得するまで引かないってのは骨身に染みて分かってるからな」
少し長くなるけど、いいな、と前置きをしてシュラは語りだした。



「ライドウは、アレか?『ゆらゆらと ふるえ』とか、やる方?」
「!」
『博識だな』

唐突な、だが核心をついた質問にライドウとゴウトが驚くが、続く言葉に更に驚かされる。

「……俺の母方が、いわゆる『言霊使い』の家系でした」
「言霊使い」
『能力者か』
「ただ、母の父。俺の祖父がドイツ人を伴侶に選びましたからね。その時点で、表向きは家系から外された んですが」
『力が、出たか』
「はい、母に。あと記憶はありませんが、幼い俺にも。それも一族の誰よりも強く」
『……揉めた、か』
「らしいです。資質よりも血統を重んじる傾向が強い家でしたから。
ただ、母の死後、俺の能力は出なくなったそうで、落ち着きましたが」
「それは、つまり貴方の母上が」
「……そう。封印していったんだ。・・・母さんが死んだのも、一族から嫌がらせのように無茶な量の仕事を 押し付けられたのが一因だと、聞いている、だから」
『お前が同じ目に遭うことを危惧して、か。だが、どうやって』

ゴウトの問いに、すう、と息を吸い、シュラはライドウを真っ直ぐに見つめる。
「ライドウ」
「はい」
「俺の人だったときの名は、和泉 カオルと言う」
「カオル」
「そうだ。呼んでみろ。呼べば、お前なら分かる。多分」

「和泉 カオル」
その、どこか透明な音を持つ中性的な名が彼に似合わないわけではない。
ただ、しっくりとこない。

「どう思う?」
「何かが、違う、気がします」
「どう、違う」
「それは、おそらく、貴方の 本当の 名では 無い」

そう断じるライドウに、ご名答、と、シュラがにこりと笑う。

「俺の真名は、母さんがつけて、母さんだけが呼んで、母さんしか知らない。
和泉カオルは本当の俺じゃない。だから本来の力も出せない」

『だが、いずれそれは歪が出る可能性があるぞ』
ゴウトが唸るように言う。
「父に遺した母の言葉では、必ず思い出せるようにしてある、とのことでした。
それがいつになるのか、何がきっかけなのかは、分かりませんが」

まあ、こんなことになっちゃった今となっては、もう無理かもしれませんけど。
そう言って笑うシュラをライドウは戸惑いの目で見る。


「……すみません」
「何が?」
「……」
「気にしなくて、いい」
「ですが」
「お前だって似たようなもんだろ。……いや、俺は母さんのおかげで結局は普通の子供として 過ごせたからな。お前の方がよっぽどか、大変だろうって、ことは、分かる」
「・・・僕の名を言うべきですか」
『ライドウ!やめろ!』
「・・・ゴウトさんを困らせるな、ライドウ」

ゴウトとシュラが共に制止する。

「知りたくない、と言った。お前のようなモノ(・・・・・・・・)の名は特に」
「……っ」
シュラらしからぬ厳しい視線と辛らつな表現で断じられて、さすがのライドウも言葉が詰まる。

「・・・誤解するな。力のあるモノの名はいらない、と、言ってる。お前なら『言霊使い』がどういう類の 能力を使うかぐらい、知ってるだろ?」
『知識は正しいようだな、シュラ』
ゴウトの言葉に安堵の色が混じる。

「ある程度は父や大叔父から教わりました。・・・こんなコトになって、真名と力を取り戻したとき、
俺がどうなっているか分からない以上、俺は他者との関わりは極力、持ちたくない。だから」
「シュラと名乗るのですか」
「……そうだよ。今じゃ、カオルより、よっぽどか"本質"だろ?」

さらりと言って笑うシュラを強いと思う。
名を明かさぬ理由にそんな事情があることなどチラとも見せぬ意思を尊いと思う。
……己以上に強い同世代の者など、存在しないとどこかで思っていたのに。



「さて、そろそろ仲魔のところに帰るかな。いいかげん、誰かが痺れを切らして俺を探しに来る頃だ」
あー。で。さっきの話は、あいつらには絶対内緒な!あいつらも俺の人間名をずっと知りたがっていたからな〜、 お前に教えたなんてバレたら、エライ騒ぎになる。
そう、片目をつぶって、いたずらっぽく内緒事を頼む彼の心に、死してなお、彼を守護し続ける母親が居ることなど、 誰が気付くだろうか。

「いつか」
「ん?」
「いつか、僕の、母のことを、お話し、します」
「……うん。お前が、話したく、なったらな」
でも、絶対にお前の名は俺に言うなよ。「いらない」からな!

その言葉は優しい彼の気遣いなのに、なぜか心のどこかが、しくりと痛んだ。


「ゴウト」
仲魔の居る方へ小走りで去っていく彼の後姿を見ながら、お目付け役に問う。

『何だ?』
「言霊使いに真名を取られると、どこまで『支配』されるのだ?」
『言霊使いの能力に由る。低ければ、たとえ真名を知っていても、使えば相手に喰われるだけだ』
「我らと同じか」
『そうだ。だが、能力が高ければ、全てを支配できる』
「全て」
『文字通り全てだ。身も心も魂も支配される。死ねと言われれば死ぬ。生きろと言われれば生きる』

遠目に仲魔たちがシュラを迎えに来た様子が見える。愛情表現が過多な仲魔たちに埋もれてあわあわと 慌てている様子が微笑ましい、が。

「だが、……既にシュラはその能力を使っていないか?」
『確かに……。本来の力が出ない今で、ああだとすると、これは敵に回すと恐ろしい相手となるな。 そういえば、我もお前もシュラには弱いな。知らずに力を使われていたのやもしれん』

そう言って、ゴウトは更に釘を刺す。

『心しておくことだな。ライドウ。死してなお支配が続くほどの能力者の例すらある』
「死んでも続くのか?」
『自縛霊のようなもの、と言えば分かるか。言霊使いに魂ごと縛りつけられて、冥府にも行けぬ。
永遠に続く隷属よ』
「永遠?言霊使いが死んでも?」
『言霊使いがそう望めばな。その霊魂に縛り付けられる』
「……」
『慎重にして豪胆。大らかでいて繊細。心身ともに矛盾を抱える存在とは思っていたが、あのような
過去を隠していたとはな。今はシュラがああいう性格であったことを幸いと思うべきだが』
だが、いつ、本当の悪魔に化しても不思議ではない存在。くれぐれも、気を許すな。

その言葉にこくりと頷きながらもライドウは仲魔たちを優しくなでるシュラを見る。


――― 永遠の隷属。
言い換えれば、永遠に共に居ることができる、というコト。

もし、今ここで彼がそのレベルの力を持っていたならば、恐らくは、どの仲魔も「それ」を望むだろう。
そして優しい彼は、仲魔にとって「幸せ」だと判じれば、その力を使うだろう。
ずっと、共にあるために。


――― 心のどこかで羨ましいと感じるのは・・・やはり彼の力を使われているのかもしれない。

そう、冷静に自らの心を見ながらも、やはり彼に自分の名を伝えたいと微かに思う己を。
彼のあの優しい声で、自分の名が音となるのを聞きたいと願う自分を。

ライドウは目を閉じて、愚かだと、断じた。




Ende

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目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ