「へえ。ヤタガラス、って言うんだ。ライドウの属する組織」
シュラファン倶楽部(仲魔ともいう)の妨害をかいくぐり、久しぶりに二人で会話をする時間を得て。
トクンと心弾みながらも、所詮は物心ついてこのかた帝都守護しか頭に無かった朴念仁。
仕事以外の柔らかい話題が振れるはずも無く。自然に共通する悪魔関連の話を交わす途中。
興味深そうに銀の瞳を瞬かせる悪魔に、ライドウの胸が愛しさでトクリと打つ。
「ええ。……あの黒い三本脚の悪魔そのものでは、もちろんありませんが」
そう、まじめに返すライドウに、
そりゃそうだよな。クロウがお前の上役だったらビックリするよ、俺。と。
くす、と笑んだ彼は。その柔らかい表情に一瞬見惚れたライドウに気付かず、ふと何かを思い出したように、小さく呟く。
《イザナミ祀る
熊野神
醜女が魄を
枯らす神 祀れば黒き 鳥群れて カラスと名付く―― 》
どこか中性的な彼の声が綴る、不可思議な何か。歌のような呪文のような。
それは?と首を捻るライドウの前で、いたずらっぽく微笑んだシュラは美しい言の葉を続ける。
《時に楠日命が 熊野神
招けばカラス 八つ来たる ここのハタレの 血を絞り――― 》
『ほう、ホツマか』
「――― あ、ゴウトさん」
ニャアと感嘆の声を上げる黒猫に、シュラは嬉しそうにその美しい音を止め。
うっとりと聞きほれていたライドウは、ム、と唸る。
『なるほど面白い。シュラ。“ヤタガラス”、から、そう来るとは』
「そういうのもご存知なんですね!やっぱりすごいなぁ。ゴウトさん」
『いや凄いのはお前の方だ。その若さでホツマを知るとは』
「い、え。……俺のは、仕方なくでしたから」
賞賛に返る声は、シュラにしては珍しく硬く。消えた笑顔を隠すように俯く彼を見て。
受胎で失った言霊使いの親族のことでも思い出させたかと、ライドウは口を挟む。
「ホツマ?とは何ですか」
「ううんっと、簡単に言えば、古代文献の一つだよ。言霊信仰の色が強いやつ」
「古代文献、と言えば、記紀のような?」
「うん。だけどヲシデで書かれてるし、あまり知られてない」
「ヲシデ」
「俺の時空での、古代文字」
俺の時空では日本固有の文字というのは無かったって説のほうが強くて。
古代文字そのものが作り物だって説もあってさ。
だからホツマも、偽典。偽の書物だって意見もあって、知らない人がほとんどだけど。
「放つ音の総てに神が宿る、っていう考え方は。俺は悪くないって思うよ」
「音の総てに神が、ですか」
「うん。自分の出した言葉すべてが神。ひとつひとつの音、すべてが」
つまり。良き言葉は良き神を、悪しき言葉は悪しき神を自ら召喚しているのと、同じなのだと。
聞かされてライドウは少しゾクリとし、ゴウトは小さく肯く。
悪しき言葉で悪しき神を招いて自滅した人間を、あまりに多く知っている故に。
◇◆◇
「だから。初めて会ったときにライドウが一言も話さなかったのも、俺、不思議に思わなかったんだ。
こんな不安定な土地で知らない悪魔と戦うときに、不用意な言霊なんか言えないから。
・・・ああ、こいつ賢い。賢くて強くて凄いって驚いた」
「そう、だったんですか」
そう褒められて。彼を好きだと気付いてから、初めて交戦したあのときのことを思い出すたびに自己嫌悪に陥っていたライドウは少し浮上する。
ああ、過去を変えることはできないけれど、あのときの自分を自分で斬ってやりたい。
できることなら、彼があのことを忘れてくれれば。何度も、そう思っていたのに。
「 ――― さっきのホツマの文言で言えば」
続けられるシュラの、どこか不可思議な言葉はライドウの無駄な物思いを柔らかに打ち消す。
「カラスは“枯らす”。不浄な魄を枯らす力を持つモノだって」
それが八羽来た。だからヤタガラス。八は神聖なる数字。そこから成るのが“ヤタの原理”
「なるほど。興味深いですね」
「時空が違うし、あまり詳しいことは分からないけれど」
不浄なるものから人々を護るライドウやゴウトさんの属する場の名前として
とてもふさわしいと思うよ、と呟いた彼の笑顔は、なぜか、どこか寂しそうだった。
何かを思い出すような、戸惑うような、そんな少しの沈黙の、後。
「そうだな。ライドウなら、“トホカミヱヒタメ”あたりなら知ってるかなぁ」
あれもヤタの原理だったよな、確か、と呟くその声を聞いて、ふと。生霊送りを為してくれたもう一人の自分を思い出す。
大切なのが音ならば。彼と僕の本質は同じということか。
ならばと。その“意味”を聞いてみたくて、問いかける。
「シュラ」
「ん?」
「では、貴方なら “ ら い ど う ”という音は、どう解釈を?」
「…難しい」
溜息までつかれるほど難しいのか、と驚くライドウの前でシュラは続ける。
そもそも“ ラ イ ”という音が、難しいよ。良い意味も悪しき意味も強すぎる。と。
「強すぎる?」
「うん。普通の人間なら、きっとその名前の強さに負ける。それほど、強い。
たとえば、“ 雷 ”と取れば最強の男神を指すことが多い。ほら、ギリシャのゼウスとかそうだろ?」
北欧のトールも主神じゃないけど、強さではトップだろ。賢さではオーディンだけど。
ああ、でも、悪知恵はロキかな、と苦笑するシュラを見ながら、そういえばとライドウも思う。
「たしかに、日本でも雷神といえば、天満宮の菅公も最強の」
“祟り神”、と言いかけるライドウの唇をシュラの人差し指が、止める。
(――― あ)
少年にしてはしなやかで細い、冷たいそれに、そっと。
自分の熱い唇に絶妙に触れられて、ぞわりと背筋を振るわせるライドウに気付かず。
ダメだよ、とシュラは笑う。力のあるヒトは、悪い言葉は言っちゃだめだ、悪神を喚ぶと。
「確かに天神様にはその意味合いもあるけど。まずは学問の神様。賢さの象徴。
あと、日本では強さと優しさを兼ねた意味も取れる。雷は“稲の妻”を落とす恵みの神だから」
「稲の妻?」
「稲妻。稲にとって、恵みの雨を呼ぶモノ」
「なるほど。ゆえに “ 葛 葉 ”、と合わせて」
『…いくらなんでも、話を飛ばしすぎだ馬鹿者』
稲妻から葛葉をいきなり繋げるな、と、呆れたように苦言を呈する黒猫に、
いえ何となく分かりましたからとシュラは笑う。
「葛葉といえば力ある狐の代表。狐も害獣から稲を護る獣、転じて稲荷神、だろ?」
自分の連想を解説されて、ライドウは笑む。そのとおりですと。
「そう繋げられる貴方の住む地も、稲穂の実る麗しき地、なのですね」
「う…ん。そう、だな。そういうとこもまだ残ってたよ。東京には少なかったけど」
少し言いにくそうに過去形で語るシュラに、しまった、とライドウは思う。
(……っ)
時々。時々忘れるのだ。いつも彼が朗らかだから。優しいから。笑ってくれるから。
今、自分たちが居るのが、彼が総てを失ったその土地だということを。
(ボルテクスの、この何かを自分で生み出すしかない破壊の地では。
自分の言葉は、いかに美しくとも相手を傷つける刃になりかねないということを)
そんなライドウの戸惑いに気付いたのか、シュラはにこりと言う。
「ライドウのコトバに負の心は無いから、心配いらないよ」と。
「そう、ですか」
シュラの気遣いに少し安堵するライドウに、ホントホントとかけられる声に濁りは無い。
「コトバには意味がある。書くカタチに、そして、何より、その音に」
馬鹿と書かれた落書きには大した力は無いけれど、バカと音にされた言葉には力がこもる。
他人を貶めたくて罵って言う、バカ、という音と。
事故に遭いそうになった大事な子供を抱きしめて、バカ、という音は違う。その意味も、力も。力の行く先も ―――。
肯くライドウの横で、ゴウトもポンとその黒い尾を打つ。
これは意外なほどに、優れた良き教師であるな。里の言霊指導に勧誘したいものだと。
◇◆◇
「ああ、でも。“くずのは らいどう”、か。ほんとに凄く強い名だよね」
音を聞いているだけでも、ぞわぞわする。とシュラは肩をすくめてみせる。
ライドウで十四代目だっけ?じゃあ、これまでに13人もその名を背負ってきたのかぁ。と。
「最初にライドウと名乗った初代って、きっと凄い人だったんだろうね」
『!』
「ああ、それは。……っ」
「?」
パシリと尾で脚をはたかれた少年は、怪訝そうに黒猫を見るが。
チロリとその緑の目で、暗にそれ以上言うなと釘を刺される。
そして、所用を思い出したと、そそくさと立ち去る黒猫を残念そうに見送るシュラを見ながら。
次から二人きりになりたいときはこの手を使おうとライドウは思う。
思って、更に有利な情報は無いかと、尋ねる。
「シュラ」
「ん?」
「悪しき方の “ ら い ど う ”の意味は?」
「それは、言わない」
「言わない?」
うん。とシュラは答える。ライドウだってホントは知ってるんだろ?と軽くにらんで。
「だって、俺が知っているだけでも4つ以上あるよ。ライの音の悪しき意味」
「4つ以上」
「ストレートに負の意味を持つヤツから、弱い悪魔ならとんで逃げそうな、深い闇まで」
「そこまで、ですか」
「でもそれは、多分、分かっていて付けているんだ。お前を魔から護るために」
小さい子供に魔を寄せないために、鬼や夜叉ってつける風習あるだろ?それと、同じで。
言いながら。彼は伸ばしていた足を引き寄せて抱え込む。
それは心細いときに子供がする、仕草。
誰かを思い出したのだろうか、とライドウは思う。もうどこにも居ない誰かをと。
「そんなふうに。親が子を想うそんなふうに。
普通の人なら相手への愛情があれば、負の言葉でも大丈夫だろうけど。
俺は、何を引き起こしてしまうか、自分でも分からないから。
悪い意味の言葉は極力使わない。使えない。…使いたく、ない」
◇◆◇
そう、言ったまま。沈黙してしまった彼が。
「コトバには意味がある。書くカタチに、そして、何より、その音に」
そう。もう一度、透き通った響きで“音”にした後に。
「俺はライドウが好きだよ」
そんなことを、言うから。
「強くて怖くて綺麗で、恐ろしいほどに魔力を持つ、ライドウの名前が、とても好きだ」
突然にそんなコトバを、言うから。僕は聞けなかったのだ。
では、なぜ貴方は、僕に貴方を “ 修 羅 ” と呼ばせるのですか、とは――― 。