消去



「なあ、ストーカーじゃあるまいし。どこまで付いてくる気?」

シンジュク衛生病院のターミナルから1階出口近くまで移動していたシュラは、ふいに立ち止まり、今となっては慣れた気配に声をかける。

「いつから気付いて」
「初めから」

応えるライドウを一顧だにせず、切りつけるように言葉を返すシュラにライドウは眉を寄せる。
誰にでも優しく、よく笑う普段のシュラを、その堅い表情から思い出すことは(かた)い。


「……それで、やっぱりこれも『依頼内容』?」
前を向いたまま、硬い声で尋ねるシュラに、ライドウの内の何かがしくりと痛む。
「はい」
その痛みを無視して、簡潔に返事をすると、そうか、と溜息混じりの声が返る。

「じゃ、悪いけどさ。今日は、できれば、誰とも話したくないんだ」
だから、ついてくるなら勝手にすればいいけど、俺の対応は期待するなよ。

それだけ言い捨てて、サクサクと歩みを進めるシュラの後を、ライドウは影のように黙したまま、
ついていった。



◇◆◇



恐らくはこの時代での高級住宅地、だったのだろう。
比較的広い敷地の邸宅が並んでいたと思われる跡がある地域に入ると、シュラはしばらく辺りを
見回し、その内でもっとも大きな邸宅の廃墟に入っていった。

壁が崩れ、床が抜け落ち、あちこち壊れている邸内を、シュラは迷い無く進む。
やがて、一つの部屋の前に立ち止まると、くるりとライドウの方を向いた。

「ここからは、入ってくるな」

目も合わさずに放たれた言葉の主は答えも待たずに扉の向こうにその音を消し。
続いて、カチャリと聞こえた明らかな拒絶の響きに、ライドウは軽く息を吐いた。

つい、と周りを見回す。
あちこち崩れてはいるが、品のいい調度品が並ぶ、落ち着いた雰囲気の家。
キィと、シュラが入っていったのとは異なるドアを開けると、見慣れぬ家電製品の残骸が見えた。

――― 彼はいったい何のために仲魔から一人離れて、この家に来たのか。
封魔の鈴を使ってはいるものの、この煌天時に。

……依頼内容と答えたのは嘘ではない。だが、それが全て本当でもない。
心配、だったのだと、言っても今の彼には通じないのだろう。いや、今、だけではない。
彼の笑顔は、減った。そう、彼が真の悪魔に、なってから。

第5カルパの最奥に進む彼を。僕は止められなかった。

いや、そもそも、僕に止める権利など無かった。それでも。
止めるべき、だったのでは無いのか。そう、失った彼の笑顔を思い出しては。
何度も、何度も頭の中で自問自答を繰り返し。でも。
彼は、いつからか。自らの意思を固く、決めていて。
気付いたときには、もう。

戦いならば、何とでもなるものを。心の扱いについては、僕は。彼よりも遥かに。
――― 無力だ。

歩みを進める内に、コツリと、つま先にぶつかった何かを拾い上げる。

・・・写真立て?
埃がたまったガラスの表面を、スイと指でなぞると。
記念写真?赤ちゃんを抱いた母親、と父親、か?
……! この、女性の、顔は。

「!」

ガシャリと。
離れたところから放たれた攻撃が、ライドウの手の中にあるものを壊す。

「何を」
パラパラと手の内から崩れ落ちるそれを見届けて。
ゆっくりとライドウはその攻撃を放った相手に振り向いた。

「・・・昔の、傷をさ、もう一回こじ開けて血が出るか認識させる趣味でもあるわけ?」
「え?」
「・・・何でもない。用事、終わったから、出るぞ」

そういう彼の手には、一冊の本。
とても、薄くて、小さい。題名は……Märchen? 外国の、文庫?

建物から出たシュラは、真っ直ぐに庭と思しき区画の端に向かう。そこにあるのは。
「桜?」
枯れてはいるが、その独特の表皮は、確かに。
でも、何て、大きい。

「死体が埋まってる」
「え?」
くす。……笑い声。
「冗談」
・・・でも、目は笑わないまま。

――― 彼のあの優しい笑顔を見たのは、もういつのことだったか。
彼と出会って、そう長い年月が経ったわけでもないのに。
あの笑顔を失ったことに。
心が、チリと痛む。


桜の根元に膝をついた彼が、ポンと地面を叩くと半径50cmほどの孔がぐるり、と、開く。
その奥に腕を差し込んだ彼は、金属でできた小さな箱を取り出した。

「鍵、は、無いな」
言いながら、ピンと右の人差し指で鍵穴を、弾き。クシャとつぶれた、その蓋を彼はこじ開けた。

「何、が入っているのですか?」
「死体」
「死体?」
「想いの死骸。……形見だよ。母さんと、大オジの」

やはり、と思う。
さっきの写真の女性は、シュラにそっくり、だった。
だから、この家は貴方の。貴方が人だった、ときの。

シャラと音を立てて、箱から取り出したペンダントを彼が首に掛ける。
後は、指輪と、ネクタイピン?

「封印しておいたんだ。高校に入った、ときに」
そう言って、彼はその2つをズボンのポケットにねじ込む。

「封印?」
ライドウの疑問系の単語に返る言葉は無い。


――― あの時は。
もう、人の想いなんか、持っているほうが、辛い、よな、って。思って。
気持ちも願いも何もかも、閉じ込めてしまえば、きっと、楽だよなって。

でも今は。
俺が、人だったコトの形見に、証に、しようと、思って。
――― あと。きっと、コレとさっきの本が。俺の名前の、ヒント。

……力は、多いほうがいい。「守る」ために。


キラリ、と光る何かをシュラが揺らす。
ペンダントの先についている、薄い・・・宝石?

「それは?」
「……たしか、虹瑪瑙」
なるほど。確かに、薄い層が様々な色に光る。虹のように綺麗で、壊れそうに儚いメノウ。

やがて、しばらく黙っていた彼がポツリと言葉を落とす。

「ライドウ。悪いけど、少し、一人にしてくれ」
「……」
「どこにも行かない。ここに居るだけだ」
依頼には支障無いだろ、探偵さん。
茶化すように言う、彼の口元は笑い、目元はやはり、笑わない。

依頼だから、じゃない。
目を離せば、どこかに行ってしまいそうな貴方が。闇の底に崩れ落ちていきそうな貴方が。
……心配なのだと、言えれば、いいのに。

視界からはずれる寸前にライドウが振り返ると、先ほどの本をパラと開く彼が見えた。



◇◆◇



「待たせたな、ライドウ」
あ、と思う。さっきとは彼の色合いがどこか、違う?

「何か、ありましたか」
「……どうして、そう思う?」
「……」
具体的には答えられず、沈黙で返すライドウをシュラは笑わない瞳でしばらく見つめ。
「帰るぞ」
と、一言落として、また、スタスタと歩き出した。

門扉らしきものを出たシュラはくるりと、反転する。
「下がってろ、ライドウ」
そう言うなり、何かを投げる。さっきの、本か?
そして、魔力を収束する気配。

「!何を、シュラ!!」

ゴゴゴ、と地響きが起こり。
怒りを叩きつけるような凄まじい力が、地面を引き裂いていく。

これは、地母の、晩餐。
音と響きが収まったときには、その場にはもう家も、樹木も、もちろん本も。
何一つ、残ってはおらず。

黙ったまま、歩き出したシュラをまた、ライドウは影のように、追いかけ。

振り返らぬ悪魔の背中を見つめたまま、告げられぬ言葉をこくりと、嚥下した。








貴方は
ここに

何かを、捨てに来たのだ



そして、僕は

そうやって、何かを捨てて、ただ前に進む貴方を
見ていることだけしか、できない




……心配なのだと
貴方のあの優しい笑顔が、もう一度、見たいのだと。






――― 貴方が、大切、なのだと。

言えれば、いいのに。




Ende

ボルテクスtop


以下、微妙な後書きなので反転
逢魔ガ時9まで出して、やっと書けた過去話。
多分これで真実の名もゲットしたと思われます。
帝都で形見を全部置いていった時点の想いは皆様の心の中でご判断いただければ幸い。