仮死


Weint, Madchen, hier bei Amors Grabe; hier
Sank er von nichts, von ohngefahr darnieder.
Doch ist er wurklich tot? Ich schwore nicht dafur:
Ein Nichts, ein Ohngefahr erweckt ihn ofters wieder.

Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)






暗闇の支配した部屋に、赤く白く明滅する対の光が多数、蠢いていた。
それらはゆっくりと、一つの生命体のように同じ方向に向かって進んでいる。
そこには一人の人間が倒れていた。生きているのか死んでいるのか、ピクリとも動かない。


(ニクイ)
(ニクシヤ)
(コロス)
(コロセ)
(ケシサレ)
(ココカラ)
(アノカタノ)
(メノマエカラ)

逸った一体が触手を伸ばす。
棘と粘液の絡まったそれが、倒れている人間の首に絡もうとしたとき、
「ギャアアアアアア」
何かに阻まれ、触手が蒸発した。


「それ以上、触るなよ」
そう言って、闇のもっとも濃いところから現れたのは、夜を凝縮したような美しい悪魔。

「シュラ様」「主様」「シュラ」
畏怖と敬愛と憧憬と、崇拝するものへのすべての感情が入り混じったような声で、
口々に彼らはその悪魔の名前を呼んだ。

「何してるの」
そう尋ねるシュラの声は、いっそ優しいといっておかしくないほどだった。
「こいつをどうしたいの」

その声音に後押しされたように、高位の悪魔達が彼に訴える。
「その者を屠らせてください、シュラ様」
「なぜ、このような者をお傍に置くのです」
「いかに強いとは言え、たかが人間を」
「貴方には我々がおります。人間など必要ありません」

「ふうん。それ、そいつが起きているときに言えたら、聞くだけは聞いてやるよ」
先ほどよりも少し硬質な声音でシュラは答えたが
それでも引き下がらない者が食い下がった。

「しかし、シュラ様。貴方のお力をいただいて、生き永らえているような者を!」

その言葉にシュラの紋様の光量が増し、瞳が金から赤に変わって輝きだす。
「……俺の言うコトが聞けない?」

悪魔の群れは一斉に跪いた。

「貴方の成長の糧と為るべく、御手による死を望む悪魔が居たとしても」
「心から貴方に逆らえる悪魔など、どこにも居りません」
「だからこそ許せないのです。貴方のお心を乱す存在が…っ!」
「貴方の御命を削らせておいて、平気な顔で存在する人間が!」

ふう。と困ったようにシュラは溜息をついた。
「お前達はホントよく見てるね。俺のこと」
まあ、当の本人が気づいてないんだから、いいんだけど。

そして、彼らの王は一言でその場を終わらせた。
「だったら、分かるよな。あと少しなんだから、我慢しろ」


去っていく悪魔の群れの一体にシュラは声をかけた。
「ああ、待って。お前 ちょっと来い」
声の無い悲鳴が上がる。それは先ほど触手を一本 蒸発された悪魔だった。
だがシュラの瞳に見つめられて、拒める悪魔など居ない。
消失の恐怖に怯えて震えながら、悪魔はシュラの前にやってきた。
「ちょっと、眼をつぶって」
ああ、私は消えるのだ。だが、シュラ様のお力で消されるのなら、それも良い。

「メディアラハン」
え?と思う間も無く、柔らかな癒しの光がシュラの手から放たれた。

「さっきはすまない。俺を心配してくれるのは嬉しいけどな。今はもう最期の戦いだけを考えてほしいんだ」
だからもう無茶をするなよ。そうシュラに微笑みかけられた悪魔は石像のように硬直し、
周りの悪魔にひきずられるように部屋を出て行った。


一部始終を見ていた黒い小さな影が、倒れている人間の横から呆れたように溜息をつき、それを聞きつけたシュラは慌てて声をかけた。

「ゴウトさん。大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
『いや。かたじけない。シュラ』
「遅くなってすみません。貴方が溜息をつくほど緊張させてしまうなんて」
そんな意味で溜息をついたのでは無いが、言っても無駄だなとゴウトは思う。

「でも、いくらライドウでもそろそろ限界ですね」
そう言って、シュラは持っていた布を死んだように眠るライドウにふわりとかけた。

『そうだな。回復が遅い。あれだけの殺気を浴びても反応しないなど、これまで無かった』
「もう少し、ですから。我慢してください。ゴウトさん」
『もう少し、か。あとは』
「カグツチを残すのみですよ」

まあその後にまだ出てくるんでしょうけどね。
ラスボスが一体で終わるなんてコト、ありえ無いですし。
大体、その後にハルマゲドン待ってますよね。

さっき悪魔の群れが平伏した対象とは思えないほど、屈託無い声でシュラは楽しそうに笑う。
稚いと言っても良いほどの朗らかさで。

『シュラよ。怖くは無いのか』
今更と思いつつもゴウトは聞いてみた。

そうですね。とシュラが小首を傾げ、横たわるライドウの傍に膝をついた。
「ここに貴方と俺にとって、怖いモノが寝ていますよ」
そしてシュラはライドウの頬に手を当て、愛おしそうに言った。
「もう、俺には、彼より怖いモノは無いんです」

だから俺は大丈夫なんですよ。ゴウトさん。と微笑むシュラに、
ゴウトはそれ以上何も言わなかった。

「まだ顔色が悪いですね。少しエネルギー入れときますけど、いいですよね」
『ああ、すまないが頼む』

シュラはそっとライドウの唇に自らのそれを重ねた。

「外」から来た「人間」であるライドウは、その能力はともかく、
身体は受胎後のトウキョウで悲鳴をあげていた。それに気づいたゴウトは
シュラを仲魔とし、ゴウトの希望を受け入れたシュラはライドウに気づかれぬよう、
自分のエネルギーをライドウに補給し続けていた。


しかしゴウトは知らなかったことだが、それは、外部から取り込めるマグネタイトや
マガツヒとは異なり、生体エネルギーをそのまま移す行為。
平たく言えば、シュラの命数をライドウに与えているようなものだった。
そして、ゴウトがそのことに気づいたのはバアル・アバターを倒した後のことだった。

(……そのこと自体も補給の仕方も、そのどちらもが「シュラ様命」の悪魔どもが
怒り狂った要因だが、悪魔どもの本当の気持ちは、こいつは分かっておらぬのだろうな。
シュラといいライドウといい、天然というか無自覚というか悪魔キラーというか)

もう一度ゴウトが深い溜息をつくと、死んだように眠るライドウに口付けていたシュラが身を起こした。

「ホントにすみません。もう二度と、あんなことさせませんから。
彼等だって、こいつが起きているときには、うっとり見惚れているくせに。
うっかり管に入ってしまいたい、って気にさせられてるの、見え見えなんですけどね」

でも、多分そのこと自体も許せないんですよ。彼等は。
そう言って、シュラはクスクスと笑った。



「う……、ん」
見るからに顔色の良くなったライドウから微かな声が漏れる。

「もう起きるようですね。では俺はこれで。ゴウトさん、後はよろしく」
『待て、シュラ』
「はい?」
『お前はいいのか。本当にこのままで…』
引き止めたものの、ゴウトも何を言ってよいのか分からず言葉が途切れる。

シュラは困ったように微笑んだ。
「ありがとう、ゴウトさん。でも、俺は貴方とライドウに会えて救われたんです」
だから、どうか気にしないで。
その言葉と共にシュラは消え、

「……シュラ?」
目覚めたライドウが唇に残るぬくもりに、その名を呼んでも。

後に残るは ただ、優しい闇ばかり。





泣きなさい、娘よ。ここが恋の神(アムール)の墓場。
恋の神はここで、理由も無く、ふとしたことで死んだのです。
でも彼が本当に死んだのかどうか、私には分からない。
理由も無く、ふとしたことで恋の神は再び眼を覚ますものだから。




Ende

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こんな理由でも無かったら、わざわざ仲魔にしないんじゃなかろうか、と。