天主教会





ステンドグラスから注がれる荘厳な光

七色の輝きをその闇色の紋様に受けて佇む混沌の悪魔を


……きれいだと

その背徳的とも言える光景をただ、きれいだと、思った




◇◆◇





異界で暴れまわった後の被害が気になっていたらしいシュラは、本来の姿を取り戻すとすぐに、
現実世界の天主教会に行きたい、とライドウに言った。
天主教会と言えば……と、ソコによく居る金髪の誰かを思い出し、すんなりと快諾はできなかった
ライドウだったが、この最強最悪の悪魔に魅了されたままのヘタレ悪魔召喚師に、その要望を
はねつけられる甲斐性があるはずもなく。

護衛と、何かあったときの保険として、(というより本人がシュラから離れなかった)リンを伴って
教会にたどりついたのは、つい先ほどのこと。予想を裏切り「彼」はココには居なかった。

ホウと安堵の溜息をつくライドウの心も知らず、スタスタと祭壇まで進んだシュラはついと顔を上げ。 十字架に架けられた、その方の顔をどこか親しげな瞳で見つめた。

「教会は、何か懐かしいよ」
「懐かしい?」

彼から出る言葉は良くも悪くも、いつも意外性が高い。

「あ。今、悪魔のくせにとか思っただろ?」
「い、いえ。そういうわけ、では」

拗ねて横を向く仕草にすら見蕩れて言葉が出なくなる自分は、本当にもうどうしようもないのだと
ライドウは、思う。

「ほら、祖母さんがドイツ人だったからさ。幼稚園はカトリック系に入れられたんだ」
もうちょっとで洗礼名までもらっちゃうところだったんだぞ〜
と、ぼやく彼の笑顔はいつもどおり屈託が無い。

「で、もらわなかったのですか?」
「ん?ああ、洗礼名?……祖母さんはそうしたかったみたいだけど、これ以上「名」を増やすのは
どんな影響があるか分からない、って止められたらしい」

そういう彼は、既に更に多くの名を持ってしまっている。
「シュラ」という呼称の名。「和泉 カオル」という人間の名。「人修羅」という生体の名。
「混沌王」という尊称の名。そして。

「……まだ、真名は思い出せませんか?」

卑怯だと思いつつ、彼に問う。

「あ、ああ。うん。まだ、なんだ」
「そう、ですか」

嘘の、上手い悪魔。彼はきっと、思い出している。その美しい恐ろしい名前を。けれど

「……僕には、駄目ですか」
「え?」
「いえ。独り言です」

あの時、ゴウトは何かを叫んでいた。何かの名前。花のような、女神のような美しい響きの何か。
そして、その音が響いた瞬間に、彼は現れた。その凄まじい力で闇も光も切り裂いて。

キュ、とライドウは拳を握り締める。隣に居る悪魔に気付かれぬ、ように。そっと。

思い出しても、無駄だ。その"音"だけ知っていても、何にもならない。
そう、それは悪魔との交渉と同じく。本人から、その名を呼ぶ許しをもらわなければ。
……けれど。きっと、彼は。僕、には。

キラ。

キラリ、と光る何かが揺れるのに気付いて、ライドウは思考の海から浮上する。

見るとシュラが何かを指の先にかけて、ゆらり、ゆらりと揺らしていた。
細い鎖の先に薄い石がついたその首飾りは確か。

「それは、あのときの」
「うん。母さんのペンダント」

あのステンドグラスを見てたら、どう光るか試したくなってさ、と言いながら、彼はそれを揺らす。

たしか、「(にじ)瑪瑙(めのう)」と言っていたか。
その名に違わず、奇跡のような色彩を魅せるその石は、確かにここの光の下で、 より美しく輝くように見える。そして、小さな七色の光は、 キラリキラリとその持ち主の顔に、肩に、腕に、身体に、
嬉しそうに、はしゃぐかのように、はねかえる。

「きれい、ですね」
そう呟くライドウの視線が、ペンダントの持ち主にしか注がれていないことも知らず。

「うん」
素直にそう返したシュラは、しゃら、と、ライドウにそのペンダントを投げて寄越した。
その、揺れる動きに逆らわず、あくまで自然に。

「やる」
慌てて受け止めたライドウに遅れて言葉も投げられる。

「え?」
「お前にやる。もらって」
「し、しかし」
「俺が持ってたら、そのうち、必ず、壊れる」

目を合わさず、言葉が少ないのは、何かに苦しんでいるときの彼の癖。

「……大事に、します」
ライドウはそう返して、礼を言った。



◇◆◇


共に黙ってステンドグラスを見上げていたライドウは、ふとあることに気づく。

忠実にシュラに付き従い、今も黙したまま傍に控える美しい幻魔。
教会は苦手だから遠慮しとくわ、と遊びに出かけた気紛れな魔王。
彼らと共に、その白い翼でシュラを守るように常に傍に居た、この場に、よりふさわしい、あの。

「そういえば、シュラ」
「ん?」
「ウリエルは、どうしたのですか?」

微かに走る緊張感。
ピクリと動いたシュラの肩に、一瞬見せた痛みを瞼の下に隠した瞳に、己の迂闊さを呪う。

「アイツは、帰った」
「え?」
「天に」
まさか、と思う。あの天使はシュラの傍を離れるぐらいなら死を選ぶはずだ。自分と、同じく。

「なぜ」
「主様、ライドウ、そろそろ」
帰途につかねば、お食事の時間が、と促すクー・フーリンの強い視線は、
それ以上の質問をライドウに禁じていた。


◇◆◇


ちょっと疲れたから着くまで一寝入りするな、と言って、大タラスクの背でころりと寝転ぶシュラ。
その寝息を確かめ、即座に自分のマントをかけてからリンはライドウに向き直る。

「先ほどは、お言葉を遮り、申し訳ありません」
「いや。いい。それより」
「はい。詳しいことは話せませんが、ウリエルが天に帰ったことは確かです」
「……そうか」

納得のいかない響きを感じたのか、リンが説明を加える。

「最後の戦いを前に、今我らが拠点とする地は、天使属が存することなど能わぬ魔界中の魔界。
既に主様の仲魔に天使属は一体も居りません」
「自分から去ったのか、それとも、シュラが」
「……詳しいことは」
「話せない、か」
「はい。……ただ、どうか。二度とウリエルの名は主様に聞かせないでいただきたい、と」
「……分かった」

言われずとも、と思う。一瞬見せたあの瞳の色は、見ているだけで辛くなるほど痛いものだった。

「感謝、いたします」
では、お礼と言っては何ですが、と白い幻魔は続ける。

「その石の名はご存知ですか?」
そう言って、ライドウが首にかけたままのそれを指す。

「たしか、虹瑪瑙、だったか?」
「……異国では違う名を持っております。一度、主様にお尋ねになられるとよろしいかと」

何かを含めたような物言い。問い詰めてもこのシュラ命の幻魔はこれ以上は何も答えまい。


暖かい日差しの中、どんぶらこどんぶらこという擬音が似合いそうな、亀の背の上。
無防備に、すぅ、と微かな寝息を漏らす愛しい悪魔を見ながら。


「……お前の主は、嘘が上手い」
「……はい」

おまけに罪作りだ。

その言葉は音には出さず。

黒ずくめの悪魔召喚師と、白ずくめのケルト幻魔は、そろって溜息をついた。





Ende

帝都top



虹瑪瑙。異国名 IRIS AGATE。
様々に色を変える彼によく似合う奇跡の石。