伏線




Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,


「あれ、鳴海さん、その歌」
気づいたシュラが嬉しげに笑い、横でライドウが首を傾げる。

ああ、そういえば、お祖母さんがドイツ人だって、言ってたか、と鳴海は思う。
こんな風に笑ってくれるなら、もっと早く歌えば良かったかなと。

「何の歌、なのですか」
「ライドウも日本語なら、知ってるんじゃないかな?ほら、わーらーべーはー見―たーり♪って」
歌ってみせるシュラに、それなら、聞いたことがあると、ライドウも肯く。確か。
「『野ばら』?」
「うん。そう」
時空が違っても、こういうのは同じなんだ、とシュラが呟く。

「しかし、鳴海さんが原語で歌えるとは意外ですね」
「あーライドウちゃん。その言い方は傷ついちゃうなー」
「えと。鳴海さんの頃の方が、ドイツ語教育って盛んだったんじゃなかったでしたっけ」
鴎外とかも、渡独してましたよね。確か。そういう頃じゃないですか?

医学や政治面に留まらず、日本が多くの影響を受けた国。
彼の祖母の祖国である国。
その言語は彼の奥で、彼の色合いをより深いものとする。

「シュラも、原語で歌えるのですか?」
「うん。よく祖母さんが歌ってたから、勝手に覚えたんだ」
「……少し、教えて、もらっても?」
Ja(いーよ).natürlich(も ち ろ ん)!」

その願いは、鳴海の方がシュラに近い位置にある環境が許せなかったからか。
シュラの透明な声で響く歌を聴きたかったからか。


「Sah ein Knab' ein Röslein stehn,」
繰り返してみて?とシュラが促す。
「ザー アイン クナープ アイン レースライン、スティーン?」

くす。
「O Freunde, nicht diese Töne!」
「オー フロインデ ニヒト ディーゼ テーネ?」
「ああ、ごめん。違う違う。今のは、第九の出だし。『その音は違うよ』って言ったんだ」
「?」

彼が言うには、ドイツ語には「ウムラウト」という日本語では発音しづらい特殊な母音があるらしい。 題名の一部でもある「Röslein」にそれがあるので、簡単なようで歌いづらい歌だという。

「あー、それそれ、僕も学生時代に苦労したんだよ〜。なーんか言いにくくって」
と鳴海も同意する。何かコツってある?と聞く鳴海に、えっと、舌の先を下の歯の裏にくっつけて〜と、 まじめにシュラが答えるのを見ながら。
「ところで、どんな意味の歌なんですか?」と、日本語での冒頭しか知らないライドウが話題を振る。

その問いに、何故か鳴海もシュラも少し逡巡し。

「……大体の直訳でいい?」と、シュラが確認を取る。

その何かを含んだ言い方に
「あ、シュラちゃんも知ってるんだ」と、鳴海が苦笑いをし。
「うん。鴎外の『舞姫』と、どっこいどっこいの話ですよね」とシュラが溜息をつく。

「?」と、首を傾げるライドウの横で、ゴウトも面白そうに髭を揺らしてみせる。

「ええっとね。一番の歌詞は『子供が野に咲く小さなバラを見つけました。その咲き始めたばかりの 若々しく目覚めるような美しさに子供は駆け寄って、喜んでそれを見つめました』って感じかな」
「二番は?」
「うーんと。確か。『お前を折るよ、と子供は言いました。ならば私はあなたを棘で刺しましょう、と
バラは言いました』って感じ、ですよね?鳴海さん」
「うん。僕もそんなぐらいしか覚えてないけどね」
「何番まであるのですか?」
「ああ、三番まで、だけど。結局、摘まれちゃうんだよね〜。赤いバラがその子供に」

また何かを含めた言い方で鳴海が笑い、同じく困ったように笑っていたシュラの顔が、
ふいにピクリ、と固まる。
――― 何か、とても恐ろしいことを、思い出したように。

急に黙り込んだシュラを周りが怪訝そうに見る。
握り締めた拳は微かに震え、その顔色は蒼白だ。
「シュラ?」
「ごめん。ちょっと、用、思い出した、から」
そのまま逃げるようにシュラは部屋を出て行き、残された者たちは暫し沈黙をする。

「……鳴海さん?」
温暖湿潤気候から一気にツンドラ気候に入った、ライドウの声音に鳴海が震え上がる。
「……説明お願いします」
「せ、説明って?」
「どういう、歌、なんですか?」


◇◆◇


(いや、だからさ。歌詞としては言ったとおりなんだって。
少年が咲き始めたばかりの小さな赤いバラに見惚れて、そのまま手折っちゃうって歌詞。
もちろん、バラは抵抗するんだけどね。まあ……抵抗むなしくって、ことで)
(……つまり、それは)
(うん。そういう(・・・・)歌だって言われてる。 でも、シュラちゃんも『舞姫』って言ってたし、当然、そんな
裏の意味があるってことは知ってたはずだけど)

……何が、彼を、あんなに、怖がらせたのかな。


そのまま帰ってこないシュラを探しに行ったライドウは、部屋の中で、布団をかぶった塊を見つける。
「シュラ」と呼ぶと、その塊がピクリと動いて。
「連想ゲームに失敗した」と、硬い声で笑う。

「連想ゲーム?」
布団をかぶったままの彼の隣に座る。

「うん。『野ばら』って、ゲーテの詩をシューベルトが作曲したやつが有名だから」
さっき、歌ってたのが、それ。

「ゲーテと、シューベルト?」
「……もう一つ、すごく有名なのがあるんだ。ウムラウト付きの題名で」

もう、すごく、今更なんだけどさ。
どういうのかな。伏線って感じがして、すごく怖くなった。
いや、もう今更、怖くなったって、どうしようも、ないのに。
――― もう、逃げられる、わけも、ない、のに)

震えて、小さくなる声。
布団の中の表情は、分からない、けれど。

「……え?ライ、ドウ?」
「寒いので、少しだけ、いいですか」
「……うん」

布団の上から、ふわりと腕を回されて。
それで、ライドウが、暖かくなるはずも、ないのに。
不器用な心遣いが嬉しくて、少しだけ。震えはおさまった。



「どうだった?シュラちゃん」
「少し、落ち着いたみたいで、今は眠っています」
「そっか」
よく分からないけど、何か辛いこと思い出したの、かな。

心配そうにする鳴海に、先ほどの疑問を尋ねてみる。

「へ?ゲーテでシューベルトでウムラウト?」
「はい。分かりますか?」
「えー。僕もそんなに詳しいわけじゃないんだけど、すごく有名……って、ああ、あれかぁ!」

あれだよ。ほら、「お父さん、お父さん!」って、ヤツ。
父親が子供を抱きしめて馬に乗ってるんだけど、
家に着いたときには腕の中で死んでたってあれ。
えーと。確か、題名は。



「愛らしくも心ひくそなたの美しき姿よ。進みて来ずば、力もて引き行かん」
「父上、父上。魔王はわれを捕らえたり!魔王はわれを苛めり!」

父はおぞけ立ち、馬をせかしぬ。
うめく子を腕に抱え、からくも屋敷に着きけるが、
腕の中のいとし子は死にてありき。



「Der Erlkönig」
―― 魔王




Ende

帝都top


いったい誰の何の為の伏線なのか。
魔王部分は尊敬する高橋健二様バージョン。