ゲンザイ 01



ひどく、のどが、かわく。
なにか、のみものを、と。





暗い、長い、黒の廊下を、僕は歩く。
その果てには、隙間から枠に沿って、四角い光をのぞかせる扉。


キィと鳴いて開いた扉の向こうには、長い、長い食卓。
どこかで見覚えのある燭台(メノラー)に灯るロウソクの灯りに、僕の影は、長く、ゆうらりとなびく。


表情すらはっきりと見えぬ遠い上座と、その両横に座る3人の人影。
やはり、君も来たか。歓迎するよ、と、内の一人が手で合図をおくると。


コトリ、と。
目には見えないモノが僕の前に置いたのは、柄の細い、大きなグラス。
満たされるのは。赤い、液体。

葡萄酒(ワイン)

いや、まだジュースだよ。
熟成させていないからね。


渇きを癒したくて、ゴクリと飲む。
……甘い。意識が、とろけそうなほどに。


美味しいだろう。

あっという間にそれを飲み干した僕に、その男は誘う。


良ければ、もう一杯どうかね。

肯く僕に、それはこの上も無く優しく、笑う。


おや。しまった。デキャンタが空だ。
酌んでくるけれど、ああ、良かったら、君もおいで。


我が家の葡萄の木は、とても美しいから。
一見の価値はあるよ。


気付くと、仄かな光の灯る、部屋に移動している。
いつのまに。……これは温室?


頭上の光から様々な色の光が零れ落ちてくる。
……ステンドグラスを嵌めこんだ温室とは、何て豪奢な。


この葡萄の木は、世界に一本しかない貴重なものだからね。
もっと、贅沢な部屋にしてやってもいいぐらいなのだけれど。
彼は意外と倹約家でね。


――― 彼?

彼女、と言ってもいいのだけれど。
ほら、奥に居るだろう。

その男が指す先に、視線をやる。


茨で作られた十字架に、絡みつかされた(・・・・・)、その葡萄の蔓は、指。
象牙色の美しい、しなやかな、愛しい腕は、枝。
無数の疵に彩られる身体は、幹。


傍に居るだけで香ってくる、馨しい、甘い、香。
瑕だらけのその象牙色の表皮から、滴り落ちる、甘い液。
閉じられた瞳から、伝い落ちる……紅涙。


赤い、赤い紋様を、明滅させながら。
ポタリ、ポタリと落ちる赤い液体を流し続ける、美しい悪魔の樹。


耳元で聞こえる、魔王の優しい声。
何を、震えているんだい?……美味しかったのだろう?


植物というのは面白いものでね、劣悪な環境に置くほど、美味しい果実を実らせるらしい。

――― 水をやらず、肥料をやらず、飢えさせて、傷つけて。

くすくす。酷い目に逢わせれば逢わせるほどに、甘く、なるのだ、そうだよ。
本当に、君達人間は、素晴らしいことを思いつき、そして実践するのだね。
さすがは、アダムとイブの末裔だ。


知っているかい。マスクメロンのあの美しい網目。
あれが、全て、自らその身を裂いてできた、傷の痕なのだと。

……つまり、瘡蓋(かさぶた)

そういうことになるね。
しかも、人間界では、その疵痕の美しさでまた価値も上がるそうじゃないか。

くすくす。まったく、君達人間の価値観と審美眼は、素晴らしいよ。
僕達が身震いをするほどに。


――― で、それをちょっと真似してみたんだけど。どうかな。
確かに、最高に甘く、美しくなったと思うのだけれど。

ああ、見てご覧。ちょうど心臓の辺りに、ほら。

お陰で糖度が一気に増したよ。ありがとう。




赤く明滅する身体を貫く、陰陽葛葉を認めた瞬間に、僕は。




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後書きは反転です。

いわゆる永田農法。そしてメロン好きな方、すみません!
少しだけ続きます