ゲンザイ 03



『起きたか、仮眠は充分なようだな。ライドウ』
「……ゴウト?」

『何やら、うなされておったようだが、大丈夫か?』
「……ああ。よく、覚えていない、ぐらいだ、から。大したことは、無いだろう」

『ところで、ライドウ。出かける前に尋ねておきたいのだが、原罪、というのを、知っているか?』
「……ゲン、ザイ?」

『かの宗教の言葉だ。原初の罪と書く。異国の言葉で、original sin と言ったか』
「それが、何か」

『依頼先へ向かう前に、知っておいた方が良いと、思ってな』
「では、かの宗教の影響が濃い地、ということか」

『おそらくは、な』
「なるほど。……で、原罪とは、何だ」

『かの宗教では人の祖は、とある男とその骨から成された女だったとするのは知っているな』
「ああ」

『その二人が神の命に背いて、知恵の木の実を食した。それが原罪、だ』
「罪は、命に背いたことか、それとも知恵を得たことが」

『……それは各々の宗派によって、異なるようだ。ただ、現在の社会で相応するのは』
「前者、だな。後者では、文明社会全てを否定することになる」

『そうだ。そして、彼らの子孫であるがゆえに、人は全て生まれながらに罪人であると教える」
「つまり、罪が遺伝子として残る、ということか」

『そう思えば分かりやすいな。そして、その罪を償う罰、それが"人の生"だ』
「……では、つまり、生きることそのものが神から科せられた贖いで、ある、と」

『そういう、ことだ』
「なるほど。だから……かの宗教の信者は、自殺を禁じられるわけか」


自殺者を墓地にすら入れず、十字路の下に穢れたモノとして埋めるかの宗教の古き慣例。
穢れ無き悪戯を為した子供が早逝したのを、この上ない祝福として神に感謝する神父達。

幾つかの文献や、書物から得た情報をライドウの明晰な頭脳は繋ぎ合わせていく。

そうか。彼らはそれぞれ。
償いから逃げたから死してなお、屈辱を与えられ。
罪を全て許されたから安らかな死を与えられた、のか。


「自殺者は、生という罰から、牢獄から逃げ出そうとする、云わば脱走者と見なされるわけだな」
『うむ。生き恥を残すよりは、死して誇りを守りたい、と望む我らの文化とは何とも合わぬ考え方よ』

「……安易な自殺を防ぐ、という点からは良い教えのようにも、思うが、しかし」
『しかし?何だ、ライドウ?』

「その考え方は、非情な支配者にとって、都合が良かろうと」
『よく、気付いたな。そのとおりだ』

「その教えがあれば、どれほどに過酷な労働を、苦役を、屈辱を与えようとも」
『そうだ、その「原罪」の思考に縛られる限り、相手が自ら死を選ぶことは無い』

「僕には、あまり好ましい考え方とは、思えない」
『まあ、いずれにせよ、死という仕組み(システム )そのものから外れた我には 意見はしづらいな』

「…………。その罰は……辛くは、無いのか、ゴウト」
『辛くない、とは言わぬ。だが、これが我の業だ。償いだ。逃げようとは思わぬ』

「分かった。……では、そろそろ、あの老人の依頼の地へ向かおう、ゴウト」
『? 何を言っている、ライドウ。もう依頼は済んだでは無いか』

「え?」
『対象の調査と討伐、であったであろう? もう、お前はそれを済ませている。ほら』



――― お前の、足元に。






赤く染まった床に横たわる、美しい肢体を認めた瞬間、僕は。




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後書きは反転です。

存在そのものが罪。生きることそのものが罰。それが、かの宗教が人を縛る鎖。(らしい)
どれだけ現代人を束縛できているかは謎ですが。
何しろ「汝、裁くなかれ」「汝、殺すなかれ」と説いている本なのに、現状は……?

この宗教の背景を知ると、ヒジリさんとゴウトさんの共通項が見えてきたり。
それぞれが補佐役(聖は途中までですが)である彼と彼の共通点も垣間見える気がしたり。
(聖と業斗(敢えて漢字)では生の受取り方が違うので、考え方も違うわけですが)

ああ、だから真Vのパトはパトであり、ライドウの説教部屋は説教なのだと、思ったり。

ちなみに「原罪の考え方」は岩波ジュニア文庫「聖書小辞典」が凄く分かりやすかったです。
(ジュニア向けでも逃げずにサクッと書いちゃう岩波文庫!今も売ってるかな)