als alles auf der Welt



弓月の君師範学校
某学年某組
3時限目終了後

「なあ、ライドウ、次の授業の予習してたら、見せてくれないか?」
「……。次は今日から新しく始まる科目では?」
「……あ!そうか!!忘れてた」

なーんだ。焦って損した〜と脱力する級友を見ながら、ライドウは嘆息する。

……平凡で、穏やかな、日常。
目の前で日々の学業に一喜一憂している学友たちは思いもしないのだろう。
今、この時も、その心を切り裂いて、戦っている者が居ることを。

ギシリと痛む胸をライドウが知覚したとき、次の科目の新しい教師が教室の扉を開けた。

「Guten Tag!(グーテン ターク)」
聞きなれぬ言葉をにこやかに言った、その教師は、明け方の空のような青い瞳をしていた。



◇◆◇



「Ich heiße Michael Schneider.(イッヒ ハイセ ミヒャエル シュナイダー)」
「Wie heißen Sie? (ヴィー ハイセン ジー?)」

(……? どこかで聞いたような)
「え、な、何?」

「Ich wohne in Harumicho.」(イッヒ ヴォーネ イン ハルミチョウ)
「Wo wohnen Sie?」(ヴォー ヴォーネン ジー?)

「な、ボ?ヴォ?ヴォーネって何、何て言えばいいの?!」
「晴海町って、聞こえたぞ。住んでるとか言う意味か?」

いきなり立て続けに異国語で問いかけられ、教室は軽いパニック状態だ。しかも相手が190cmは
あろうかという長身。銀髪に青い眼、彫りの深い顔を持つ渋い美中年男性なものだから、雰囲気
まで圧倒されて、なかなか声も出なかったが。

「心配イリマセン。ドウシテモ 分カラナイ時ハ、日本語デ聞イテクダサイ」
ふふ、と親しげに微笑まれて、一気に安心感と信頼感が芽生え、そこからはどんどんと新しいモノへの知識欲と好奇心に皆が眼を輝かせた。


「デハ、何カ、独逸語デ言ッテミタイ言葉ヤ、知リタイ言葉ハアリマセンカ?」
授業も終盤に入り、青い瞳の教師が皆に興味を促す問いかけをする。

(なかなか教え方の上手い、しかも日本語も流暢とは、良い教師に出会えた、か)
どこか冷めた眼で分析するライドウの耳に聞き知った語が再度 飛び込んできた。

「先生の名前は、どんな意味があるのですか」

「姓ガSchneider(シュナイダー) デスガ、コレハ直訳スルト『切ルモノ』デスネ。Schneiden(シュナイデン)ト、イウ動詞が『切ル』トイウ意味ナノデスガ、ソレガ名詞化サレタモノデス」

「『切ルモノ』!かっこいいですね〜」
「Danke!……デスガ、普通ニ使ウト『仕立て屋サン』トイウ意味デスヨ」

なんだそれ〜、と生徒達が楽しげに笑う。

(「ホントにお前は、ザンザカザンザカ人のこと斬りつけやがって!これからSchneiderって呼んで
やろうか!あ、でもそれじゃ『仕立て屋さん』じゃん!……似合わね〜!!」)



「じゃあ、名前の方は?えーと、ミ、ミヒャ?」

「Michael(ミヒャエル)。英語ヤラテン語系ダト、皆サンナラ絶対ニ知ッテイル有名ナ名前デスヨ」
「英語だと?」
「マイケル」
「ラテン語?系だと」
「ミカエル。大天使ミカエルノ御名デス」

(「大丈夫かミカエル〜?食いしばりあって助かったな。今、ディアラハンかけるから。
……あ、でも今のお前って、あれだな!ミヒャエルって感じ!はは!」)



「では、『ありがとう』、は?」
「Danke」(ダンケ)

「『おはよう』は?」
「Guten Morgen」(グーテン モーゲン)

「『おやすみ』は?」
「Gute Nacht」(グーテ ナハト)

「じゃあ、『友達』は?」
「……ウーン、ソレハ難問デス」

すらすらと答えていた教師が腕組みをして考え込み、これもまた皆の関心を引く。

「英語だとfriendですよね。独逸語にはそういう意味の語は無いのですか?」
「無クハ無イノデスガ…デハ私カラ質問デス。皆サンノ言ウ『友達』トハ、ドノヨウナ人ノコトデスカ」

簡単なようでとても難しい質問に少年達が戸惑う。

「え」
「ど、どのようなって、一緒に遊んだり」
「一緒に話したり、勉強したり……仲良し、って感じかな」
「ソノ『友達』ナラ、恐ラクハBekannter(ベカンター)デスネ。『知リ合イ』トイウ意味」

何かを断罪されたような感覚さえ起こす強い言葉を、その異国人はあっさりと言い、
なぜかシン、となる教室内に、静かなよく通る声が響いた。

「では、『心を捧げた唯一無二の友』、なら、どうなるのですか」

おや、と青い眼がその質問を発した生徒の目を見る。

「イイ質問デスネ。Herr(ヘア)クズノハ。ソノ場合ハ」

――― Freund(フロイント) と言うのですよ。
一般的な日本語なら『大切な人』というところでしょうね。あなたが表現したように、いわゆる「親友」よりも更に意味が強いので、注意が必要ですよ。

(……お前は俺のFreundだから。お前にやる。
フロイント?……英語のfriendみたいな、ものですか?音が、似てますね。
そう、だな。よく似たもん)


「英語のfriendと似ていますね〜」
「フフ。デスカラ、気ヲ ツケナイト イケマセンヨ〜」

――― 異性に使うと、ほぼ確実に「恋人」という意味になりますから。
以前も、とある日本女性が、知り合いの独逸人男性を、うっかり自分の友達にFreundと紹介して
しまって、その後、誤解した彼から猛烈にプロポーズされたのですよ。……実話ですよ。

と聞かされてまた生徒達は爆笑する。


「独逸語モ、日本語モ、モチロン他ノ言語モ、奥ガ深ク、面白イ モノデス」
――― 私の国と皆さんの国は、きっとこれからより親しくなることでしょう。その時の為にも、
正しく言葉を知っていってもらいたい、と、思います。

やがて真面目な表情でそう語る教師を見つめる皆の眼は真剣で、この国の行く先の明度を暗示
しているように思えた。



◇◆◇



――― それでは、最後に、必ず貴方がたに必要になる言葉を一つ、教えてあげましょう。
そう言って、いたずらっぽく青い眼の教師が紹介した言葉は。

「Ich liebe dich.」(イッヒ リーベ ディッヒ)

「それは何ですか、先生」
「英語ナラ、I love you.デス」
そう言って、教師はウィンクをしてみせる。

「わわ」
「そ、それって」
純情な少年達が照れて、俯く。

「……Ich habe dich lieber als alles auf der Welt.」

「オー!ソレハ貴方ガ、誰カニ、言ワレタノデスカ!? Herr クズノハ」

ふと、その語感から、シュラが残していった「おまじない」を思い出したライドウが小さく呟くと、
驚いたように教師は振り向く。

「いえ、僕の友人が、彼の、幼い頃に亡くなった母親から遺された言葉だと」

それを聞いて、面白げだった青い瞳が、感慨深げに色を変える。

「……ソウ、デスカ」

「え、どんな意味なんですか?」
「すごいの知ってるな、さすが、ライドウ」

ざわめく生徒達を制止して。

「トテモ美シイ、愛ノ言葉デス」
そう言って、独逸語の教師は黒板にその言葉を綴る。

――― Ich は 「私」。
habe は、皆さんにはまだ難しいので、そういう「状態」なのだと思ってください。
dich は 「貴方を」 、du の格が変わった形です。
lieber は 「愛する」 の比較級
als は 「〜よりも」。英語なら than ですね。
alles は 「全て」
auf der Welt は、まだ難しいですから、まとめて 「世界の」

一言ずつ区切って、単語を確かめる内に、教室内がざわめいていく。

「え、じゃ、じゃあ、それって」
「うわ。すごい」

――― お前は一人じゃないよって。自分を、大切にしろよって、「おまじない」。

……その方は、愛しい者を残して独り去っていくことを、どんなに哀しく思っていたことでしょう。
「ドウカ ソノ ゴ友人ヲ 大切ニ。Herrクズノハ」

静かな青い瞳でそう言われて、ライドウはただ頷くことしかできなかった。






あの時。

あの時、彼は。
どんな顔で、どんな声で、どんな瞳で。
僕にその言葉を。








愛してるよ、ライドウ

この世界の全てより







Ende

帝都top


以下は蛇足なので反転

元々は白雪姫の王子様の台詞。出会ってすぐの死体にキスした上に、生き返ったら即
性格も何も知らないのに、サクっとこんな台詞を言えるのはさすがに御伽噺の王子様。
Freundのネタはドイツ人の先生から聞いた話。勘違いプロポーズは本当に実話らしい。
誰でも彼でもアミーゴにしちゃう国の人たちとは話が合わないだろう。
で、まあ。実は言うことはちゃんと言ってたシュラちゃんだったという話。
「夜」では、復唱でもライドウに言ってもらえたので「ありがと」と言ったわけですね。健気だ。