「混戦?低レベルの者共が諍いを起こして?」
「は。そのように、報告が」
それは。シュラが魔界へと堕ちてしばらくたった頃。
魔将として初めての戦。攻略するには容易いと思われていた拠点よりの不可思議な報告。
「おや。これはこれは」
「混沌の将の初陣に真にふさわしき、椿事ですな」
いや、お気の毒にと囁く者共のいずれかが仕掛けておいたであろう、稚拙な卑怯な、罠。
それを心中で嗤いつつ、ルシファーは愛し子に問いかける。
「どうする?シュラ」
「何を?」
「お前の初陣だ。勝利で飾りたいなら今回は見送っても」
確かに経験不足の将には、どう見ても手に余る戦場。けれど、敗戦は敗戦。評価は地に落ちる。
だからといって、ここで辞すれば“臆病者”の烙印はおそらくは永遠についてまわる。
どちらに転んでもシュラには不利。シュラを妬む愚か者どもには有利。
その現実を誰もが理解し、シュラの返答を固唾を飲んで待つ沈黙を。
しなやかな手足を持つ、弱弱しいとさえ見える華奢な美しい悪魔はあっさりと笑って、壊した。
「冗談だろ?」
の、一言で。
◇◆◇
「なるほど、混戦、ね」
本来の将が辿り着くまでに、既に始まっている“戦”。
それだけでも“おかしい”のに、本来は配置されていないはずの種族までが多数乱入しているのを見て、シュラが笑う。
「オニやら、ターラカやら。まーそろいもそろって、ホント、わっかりやすいぜー」
冷静に指示に従えったって、無理なヤツばっかり揃えたなあ、とロキは溜息をつき。
「どう、なされます。主様」
ダツエバまで居るか、と、余りに無秩序な自軍構成に、頭痛を覚えながらリンが問い。
百戦錬磨の強者が嘆くその惨状を、見ながら、それでもクスリ、と笑った主は。
「どうもこうも、無いだろ」
アイツラが従うのは圧倒的な力、それだけだ。
だから。
「「だから?」」
「突っ込むぞ」
「「えええ?!」」
◇◆◇
「これぐらい、ぐちゃぐちゃにすりゃあいいよなぁ」
へへ。絶対困ってやがる、アイツ。ルイ様のお気に入りだか何だか知らないが。
あーんな弱っちぃ体してるくせしやがって。将軍だと?
(大体が、気に入らねぇ。マントラの裁判でもあっさりとトールにまで勝っちまいやがって)
ブツブツと愚痴を垂れ流しながら、オニは新しい魔将軍となった悪魔を思い浮かべる。
「いっつもたくさん仲魔引き連れてやがったからな。どうせ自分は弱っちぃに違いねぇのに」
気に入らねぇ。オレ様の方が体も大きくて経験も積んでて、ぜってぇアイツより強いのに。
「どうせこのぐっちゃぐちゃな混戦を見て、震えあがって逃げたに決まってるよなぁ」
いい気味だ。と、笑うオニの視界に入るのは一体の弱ったエンジェル。
(…誰かに似てやがる)
なまっちろい肌に走る、黒い…。
(よし。こいつを仕上げにもっと混戦させて)
八つ当たりにちょうどいい。
そう思い、天使へと飛び掛った鬼の面に、メキリ、と音を立てて、美しい紋様を持つ指が喰いこむ。
「イテェっ、イテェって!」
慌てて引き剥がそうとしても、その指の力は己とは比較にならぬほど強く。びくともしない。
一体、何だ?こんな強ぇヤツがこの闘いで居たか、と、かろうじて認識できた視界に入るのは。
「ゲッ!オ、オメェはっ?!」
鮮やかな闘気と、黒い紋様を纏い。碧い炎をその身に浮かび上らせる、新しい魔界の将。
「な。オ、オメェ、味方になんてことしや」
「味方?」
自軍を混乱させて、自滅させようとするヤツが、味方?
鋭い糾弾と共に皮肉気に上がった口角と、睨みつけられた金色の瞳にオニの声と息が、止まる。
「まあ、もういいよ。それより、戦の邪魔だ。とっとと行け」
あっさりと解放されて、あんぐりと開いたオニの口の前で、美しい悪魔は違う者へ言葉を落とす。
「お前もだ。死にたくなければ、退け!」
誰に言ってやがる、と確かめると、シュラの左手から放たれるのはさっきのエンジェル。
(な。右でオレを抑えながら、左でエンジェルまで?)
息ひとつ乱さぬその様子から、彼にとっては何一つ負担にもならぬ行為だったのは如実で。
(だ。大体、コイツ一体どこから。ここはかなり奥まった位置だから、ここまで来るには)
戦場のほとんどを、突っ切ってこないと、と振り返るオニの目の前には。
「え?」
整然と、ロキやクー・フーリンの指示に従って戦う、自軍。その優勢さは一目で分かる。
「シュラ様。後方はほぼ、全て制圧いたしました」
「ありがと。ヤクシニー」
伝令の鬼女に笑顔で返し。じゃあ、後は、同じ要領でとっとと切り上げるか、と。
開いたシュラの口から放たれるのは、“雄叫び”と“挑発”。
そして、間も置かずに召喚されるのは。
「ティターン!」
「御前に」
大地の巨人。まばゆく輝く金の鎧を纏う体躯が、“弱っちぃ悪魔”の前にあっさりと膝を折り。
「もう一度、突っ込むぞ」
「御意。・・・では、これまでどおり、貴方様に従わぬ者は」
念を押すように尋ねられて。
ふふ。と、楽しそうにシュラは笑う。まるでゲームでもしているかの、ように。
「あ あ 、 俺 が 許 す 。 俺 に 逆 ら う や つ は」
――― 全 員 、 潰せ。
その、耳を疑うような、恐ろしい主従の会話を耳にして。
ゆっくりと自分たちのほうへ振り向いた混沌の王の、凄まじいほどの凶悪な笑みを目にして。
天軍は声にならぬ悲鳴を上げて、逃走を始め。
愚かな戦いを繰り広げていた悪魔どもは、全員。
新しい将に畏怖し、心酔して、その戦う姿の美しさに、跪いた。
◇◆◇
くす。
「何だよ。ルイ。いきなり笑い出して」
「いや。お前の初陣の大暴れを、少し思い出してね」
えええーあんな恥ずかしいの、思い出すなよーと腕の中で暴れる愛しい子供に。
何が恥ずかしいものかと、ルイはくすくすと微笑む。
(「潰せ」の一言と笑顔で。結局誰一人潰さずに、戦局を統括した将が。よく言う)
「そういえば、天軍を抜けてこちらに着きたいと、天使が一体、逃げてきたよ」
「へえ、珍しい。アイツラ盲目的に“あっちの方”を信奉しているのかと」
「重要な情報も持参してきたし。洗脳後はお前の軍に入れてやることにするよ」
「いい、けど。何で俺の?」
(それが、あの時お前に助けられた“その天使”が願った唯一の条件、でね)
残酷なまでに優しい、美しい悪魔を見つめながら、ルイはその言葉を音にせず、微笑む。
自らの判断を持たぬよう、目隠しをされ鎖に繋がれた天使すらその優しさで堕とす、混沌の王。
無意識に無秩序に、無神経に。その魅力で何もかもを混沌に引きずり込む、魔物の中の魔物。
「どうせ、お前は覚えてなど居ないだろうね」
「だから、何を?」
怪訝そうに問い返すその瞳をのぞきこんで。
何でもないよ。本当に“先”が楽しみだね、と微笑んで。
ルシファーは最愛の作品の頬を、ふわりと撫でた。