「ロキ様!」
(・・・今更だが。・・・こいつに、「様」をつけて呼ばれるのは、ホント慣れねぇよな〜)
何の用だ、と振り向きながら、ロキは思う。
「教えていただきたいことがあります」
目の前に居るのは、5本の尾を持つ妖狐だ。その名をクズノハという。
(もう5本、かよ。シュラの傍に居る"だけ"だってのに。ホント成長 速ぇな。ギネスものだ)
飼い主はシュラ、名付け親はルイという、魔界での黄門様の印籠を2つも持っている子狐は、
その恐ろしいほどの成長速度と能力値で、その過分と思われた扱いを周囲に納得させている。
「・・・教えてほしい、って。オレにか?」
はい、と肯くソレを見ながら、ロキは怪訝そうに首を捻る。
「ピクシーお姉さんは答えなかったか」
ピクリと正直に反応する妖狐は、魔力は強くとも精神はまだまだ子供だ。
――― 幼い心を置き去りにして。そうまでして成長を急ごうとするのは何の故か。
「他に、ケルベロスやパールヴァティにも聞いてみただろ」
「・・・はい。けれど、どなたも」
この、何かの為にひたすらに成長しようとする子狐クンは、その健気さ故にシュラの仲魔の大半を既に陥落しつつある。名を挙げた3体などは今や魔界での兄・姉と称してもいいほどの状態だ。
(そのアイツらが、答えなかったか)
余程の内容だな、とロキは考える。
「・・・答えてもいいが。条件があるぜ」
「何でしょうか?」
――― 後で人間体になってみな。
お前、人前でそうしないだけで、もうとっくに化けられるだろう?
何かを含むようなロキの言葉に、
ご存知でしたか、と返すクズノハの声は固い。
その硬度に頓着せず、交渉成立ならさっさと質問を言え、と北欧の魔王は、促した。
◇◆◇
「ライドウ、とは、どなたのことでしょうか」
チ、と舌打ちをしそうになる。なるほど、それで他のヤツは答えなかったか。
「・・・お前、どこで、その名前を、聞いた?」
アイツがその名を呼ぶのは、アノ時、ぐらいだ。
胸の奥に大事に閉じ込めて、鍵をかけたまま、手に握ったまま、離そうとしない、宝石。
その胸を切り裂いて、その宝石の色を確かめようと。
その手をこじ開けて、その宝物を捨てさせようとした、恋に狂うバカが今まで、どれだけ居たことか。
だが、この子狐は、まだ "お相手" はしていない。
してりゃすぐに分かるし、大体、シュラと繋がったなら、尻尾5本で済んでないだろうしな。
怪訝さを前面に押し出して問う魔王に、子狐はどこか躊躇しながら答えを返す。
「・・・少し、前に、シュラ様が、お部屋のソファで、うたた寝を、されたことが」
呼んでも起きないので、仕方なく人型になって、ベッドに運んで、布団をかけていたら。
突然に腕をつかまれ、引き倒され、唇を奪われた末に、その名を。
「そして、キスするだけして、寝ぼけたご主人様はそのまま眠ってしまいましたって、オチだな」
・・・そうです、と。俯く子狐の目元は少し赤い。
(・・・オレが言うのも何だが。・・・ホント”鬼”だな、シュラ。さすが最強最悪の悪魔サマ)
「教えてやってもいいけどよ。それを知って、お前どうする。つか、何故それを知りたい」
「・・・」
溜息混じりの魔王の質問に、子狐の答えは返らない。
暫しの後、ロキは仕方なさ気に答えを放り投げる。
「・・・それは、アイツが唯一愛した人間の名前だ」
「ニンゲン?」
それを聞いて、この幼い子狐が、どう変じるか、どこかで分かっていて、放る。
「唯一、アイした」
どこか呆然と、呪言のように繰り返して返す幼い狐の声に、魔王は、そうだ、と肯く。
唯一。・・・では、他の方々は?・・・ボクは?・・・あの方にアイされて、いない?
「・・・その、人間は、今、何処に」
切れ上がった狐の口元から覗く白い牙が。幼い、美しい感情を剥き出しにする。
カチカチと音さえしそうなほどの憎しみの色は、己の長男の灰色狼を彷彿とさせる程に鮮やかだ。
「死んだぜ」
え?と、顔を上げるクズノハに。
「死んだ。その人間は、さ」
紫の肌の魔王はニヤリと嗤う。
「そのことを、シュラ様は」
「いや、アイツは多分、知らない。そもそも、名前すら、ろくに覚えてもいないはずだからな」
だから、その幼い嫉妬と羨望と憎しみと、純粋な殺意の矛先は既に存在しない。
だが。
そう聞かされても。動き出した想いは止まらない。
そして。
――― 覚えてもいないのに、と。
子狐の口元と、ロキの心中は同じ言の葉を紡ぐ。音も立てずに。
・・・そうだ。アノ最凶の悪魔は喚ぶんだ。覚えてもいないのに、その名前を。
アノ時に。無意識に。無邪気に。甘く、嬉しげに。
アイツを恋い慕う、繋がった相手の心が、ズタズタに引き裂かれるのを楽しむように。
実際に狂って、思い余って、あの世界まで当の本人を殺しに行ったバカまで、出るほどに。
・・・お前は知らないだろうな。不幸な子狐クン。
キスしただけでその”忌み名”を聞けたお前がどれだけ幸いか。
「どんな、人間だったの、ですか」
「黒い瞳、黒い髪、白い肌。キレーな奴だったぜ。おまけに強かった」
「強い?ニンゲンごときが?」
「ああ、何度もシュラを追い詰めやがった。出遭ったときは向こうの方が強かったらしいぞ」
まさか!と驚く相手に、あの頃はシュラもほんの生まれたてだったからな、とロキは笑った。
――― いつか、どこかで、オマエと、
こんな話をしたな、葛葉、と思いながら。
◇◆◇
やがて。
もう、いいだろう。死んだ奴のことを、いくら言っても仕方がない。
約束を果たせ、と言われて、クズノハは、ポン、と宙返りをしてみせる。
瞬時に現れたのは、人の少年の容をした、一体の魔。
どこかで見た黒い瞳、黒い髪、白い肌。
「・・・」
幾分、見た目は幼くて。身に着けているものは違うが。
キスだけでアイツが名前を呼んだのも無理は無い。そのまんまじゃねーか。
しかも。
「・・・何で、男性体なんだ?狐は、陰の獣、だろうが。デフォルトはメス、だろ?」
さては、オレを警戒したか?と、笑うと。
でふぉると?と。
意味が分からぬようにきょとんとした顔をして。
女性体ではシュラ様を守れません、と、当然のように返ってくる。
「守る?シュラを?・・・お前がか?」
・・・まだ、僕の力は皆様の足元にも及びませんが、お役に立ってみせます。
いつか、必ず。
冗談交じりの揶揄に、真剣にそう言い募る、その瞳の色と輝きは純粋で、儚くて、強い。
相変わらず悪魔殺しの特性もそのままか。
ああ、こりゃ、純な部分の多い輩は、うっかりと絆されるだろうなぁ。
・・・つっても、クー・フーリンやウリエルを納得させられるかどうかは、また違う問題だが。
どこか冷静に、どこか愉しんで、そう思いながら。
しかし、ホントこいつキレイだよなー。ちょっと触るぐらい、いいか、と。
お得意の悪戯スキルを発動させようとした困ったさんの魔王の指は。
パシリ、と、美しい紋様を描く掌に払われる。
「こーらー、ロキ!お前また悪い癖を!!」
「シュラ様!」
「・・・シュラ。会議は終わったか」
「さりげなく、話題を変えようとしても無駄だから、ロキ!」
お前もだ。クズノハ!危ないから、
俺の部屋以外では人型になるなって、あれほど!!
どこか、拗ねたように、最愛の主にそう言われ。
おでこをつん、と付かれて、す、すみません、と焦る少年は急いでポンと宙返りをする。
ああ、せっかくの目の保養が、と残念に思いつつ。
よしよし、あー無事で良かった。何か、悪い予感がして急いで帰って来て正解〜。
と、抱き上げて子狐をなでなでするご主人様を見ながら、
ひでぇ、言われようだが、まあ、これはこれで目の保養だな、と、ロキは苦笑する。
(・・・やーっぱ、お前か。シュラ。クズノハに人型禁止令を出したのは)
確かにあれは、お前の傍に居ることの嫉妬も手伝って、周囲が悪い方向に作用しそうな姿だよな。
何しろ、魔界、だからな。
――― 欲しいものは、自分の手で掴み取ればいい世界、だからな。
その魔界の中心で。
呆れ果ててモノも言えないような純愛路線を突っ走る方々は。
互いの愛情にすら気付かないまま、ただ、互いだけを視界に入れて、嬉しげに、笑う。
「・・・まあ、できれば、お前達、どっちも、だな」
その破壊力ありすぎな魅力であまり周囲を狂わすな。苦労するのは、オレ達、だから。
恋自体が、この世界では。いや、ヒトの世界でも狂気であり、凶器であることを。
身をもって知っている魔王は、そう言って、困ったように。
笑った。