「・・・申し訳、ないのですが」
せめても、と、一礼をし、再び上げた僕の目の前には。
このところ、よく見る気のする表情が苦しげに眼を潤ませていた。
筑土町 銀楼閣
鳴海探偵社
「ラーイドウ、最近、隅に置けないねぇ♪」
「・・・はい?」
鼻歌交じりでえらくご機嫌な所長は、これまた非常にご機嫌そうに自らの助手の肩を叩く。
『・・・』
最近も何も、元々隅に置けたためしなど、この十四代目にあったか!と
突っ込みたいのをグッと我慢したまま、耳をかくゴウトの横でライドウは怪訝そうに首を傾げる。
「・・・何のことを?所長?」
「まーたまた。誤魔化しちゃって〜」
ほら、今日もつかまってただろ。△△カフェに勤めている女給さん。あの子、可愛くて有名なんだよ。で、昨日は○○女学校のお嬢様で、その前は・・・。
『・・・』
つらつらと並び立てる鳴海の情報収集能力をさすが、と褒むるべきか。
その能力を何故普段は1割も使おうとしないのだ、と、罵るべきか。
またしても、グッと我慢したままソファに爪を差し込むゴウトの横でライドウは下を向く。
「・・・知って、おられたのですか」
「そりゃ、お前のことだしね。・・・それに、ほら。お前あれ、だろ・・・ああ、ちょっと待って」
楽しげに言って、鳴海は水屋に行って、何かを手に戻ってくる。
「ほら、今のお前って、ずばりコレに夢中だろ!!」
その鳴海の手の中にある、ソレを見て。
ライドウとゴウトは共に、心の底から驚愕した。
◇◆◇
「な・・・ぜ、所長が、その、ことを?」
「ふふーん。俺の人生経験の深さを舐めちゃいけないぜ」
自慢げに語る、鳴海が持つのは花瓶。その中にあるのは。
黒百合。
ユリ。ゆり。Juli。
黒衣に身を包んだ、魔物。
異世界の自分を守護する、少女の容をした悪魔。
こちらに戻ってきてから、一連の事件の解決に追われて思い出すことも。
いや、おそらくは、無理に、思い出さぬように、していた、のに。
――― 心に鍵をかけて。
「いつ、ご存知に」
「え?そりゃ、ここんとこの、お前、見てりゃ、分かるよ」
「・・・そう、ですか」
所長にまで、分かるのかと、ライドウは眉を寄せる。
やはり、魅入られたか、と黒猫の容で再び戻ったゴウトが溜息をついたのは先日のこと。
あれほどの、魔力を見せ付けられてはな、と。
悪魔召喚師の性、か、仕方あるまい、と。諦めたように。
あれから、何度も、諦めようと、思い出すまいとするのに。
――― 忘れられない。
アレは、己のモノでは無い。もう一人の自分のモノだ。
あの、嬉しそうな声は、優しい視線は、柔らかい唇は。
全て、彼の。
「で、どうなの?」
「・・・どう、とは」
「ほら、告白したりしないの?お前だったら、二つ返事でオッケーが」
「こく、はく?」
『?・・・何のことを言っておるのだ、こやつ』
「だから、この花の、花言葉に夢中、なんだろ?お前」
もう、ここんところ、おじさんですら困っちゃうような、苦しげな表情しちゃってさー。
これじゃ、町の娘さん達がコロッといっちゃうのも、無理ないよねぇ。
「す、すみません。花言葉、とは何の、ことを」
『む。そうと知っていて話を進めるとは、鳴海もこれは実は大した話術ではないか』
鳴海探偵社の所長と助手と黒猫は、三者共に噛み合わぬ会話をもう暫く続けることとなる。
◇◆◇
『大体が鳴海が思わせぶりな話の振り方を!!』
一通りの誤解と曲解が解け、どこかぐったりとしたライドウの横でゴウトが憤る。
『しかし、黒百合の花言葉が「恋」とはな、我の知っているものとは違ったが』
「ゴウトが、知っているのは?」
『・・・い、いや。話が余計にややこしくなるからな、それはいずれ、ということにして』
そんなことより。どう、なのだ。
お前の心の在り様は、と黒猫に訊ねられて。
ライドウは逡巡する。
「わから、ない」
・・・ただ。
「思い出す、のだ」
思い出さぬように、しようと、すれば、するほど。
「朝、起きて、自分のこの顔を、鏡で、見る度に」
同じ顔の彼のことを、その傍に仕えるあの黒い花のことを。そうして、そのときの自分は。
――― 己への好意を断った時の、彼女達と同じ表情を、していた。鏡の中で。
『どう、したい』
「それこそ、わからない。ただ」
『ただ?』
「・・・会いたい」
もう一度、会いたい。
会って、確かめたい。
この、自分で把握しきれぬ、この心の在り様を。
『なるほど』
やはり、今のお前の様は、我の知る「もう一つの花言葉」が相応しいな。
いや、「恋」も言い換えれば、一つのそれの形、やもしれん。
「ゴウト?」
溜息を付いて、トンと床に下りた黒猫が呟いた言葉が聞き取れず。
少年はどこか心細げな声を出す。
『・・・ならば、一度、会いに行って来い』
次の大きな敵が現れる、までに、その迷いは払拭しておかねばな。
「迷いは、弱さに、なる」
『そうだ』
会って。そして、黒百合が持つもう一つの言葉を、解いてくるが、いい。
「分かった」
少し力強く、そう返した少年が、花瓶に刺さった花をどこか苦しそうに見やるのを横目に。
す、と。黒猫はその部屋を去った。
その花に囚われた少年が、心を整理する時間を与えるために。
「恋」という甘い言葉を持つ、その黒い花のもう一つの花言葉は
「呪い」
Ende
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