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なぜ、

僕ではいけないの、ですか











筑土町 銀楼閣
鳴海探偵社


彼らが居るのは、常に無く整頓が行き届いた、部屋。
彼らが見るのは、嘗て無い馳走が並べられた、机上。

「ああ、こんなご馳走までー!掃除も完璧だし、さっすがプロのメイドさん!!」

盆と正月が一度に来たようだと、能天気に浮かれる上司を見ながらライドウは頭痛を覚える。


そして、彼らが知覚するのは。

「もったいないお言葉です。鳴海様」

美しい少女の、柔らかい、けれどどこか冷たい温度を伴った、声。
瞳に色を持たぬ、作り物のような笑顔。




◇◆◇




一度、黒い百合に会いに行けと、己の心を整理しろと、そう黒猫に背中を押されたライドウが、
何故か浮き立つ心臓を宥めながら再び雷堂の帝都へと訪れたのは、三日前。
ちょうどどこかに出かけるところだったのか。顔に瑕持つ彼は身支度を整えながら、
ライドウの方に視線は寄越さぬまま、やはり来たかと一言、呟き。

「言わずとも良い。アレに会いに来たのだろう」
簡潔な質問に、コクリとライドウが一つ頷くのを確かめて。彼は言う。
ちょうど良かったと。

「ちょうど良かった?」
「あれを伴えぬ所用ができてな」
監視役兼おもり役が要ったのだと、そう説明して、彼は喚ぶ。

「Juli」
小さな声で。けれど、どこか愛しげに切なげに、哀しげに寂しげに、呼ぶ。

「御喚びでしょうか。雷堂様」
瞬時にその場に現れるのは、地獄の花。黒い百合。男たちの呪い。

「Juli。コイツと一緒にコイツの時空に行け」
「雷堂様?!」

自分の方を見もしない、その黒き魔女の様子にジクリと心臓を傷めながら、
再び会えたと、目の前に居ると、ただそれだけでドクリドクリと鳴る己の心音に、その激しさに
戸惑うライドウの前で、雷堂は続ける。

「命令だ、Juli。迎えに行くまで、あちらの帝都に居ろ」
こいつの傍に居て、こいつの用を成せ。

「です、が」
納得いかぬように瞳を揺らす彼女に、主はもう一度、言った。
命令だ、と。

「分かり、ました。では、以前の、ご命令は、どう」
(けしてもう一人の貴方様に触れるなとの、ご命令は?)

その質問には、暫しの間、沈黙し。
お前に任せる、と、やはり彼女を見ぬまま、彼は言い。

そのまま、よく事情が飲み込めぬままに、ライドウは彼女を連れて、ここへ帰ってきた、のだが。

そして、悪魔であるということを鳴海には伏せ、あちらの雷堂の知人だと。
彼が不在の間、こちらで預かることにと嘘をつかずにすむ事象だけで説明し。
その日から、彼らにとっては食事も掃除も“花”も行き届いた幸せな日々が始まったのだ。


「すみません。雑用を総てお任せして、しまって。…こんなつもり、では。それに、」
と続けようとしたのを、遮られる。

「いいえ、これが私の役割、ですから。ライドウ様。私はアクマデメイドですから」
「…なるほど」

美しい魔の優しい声と笑顔にほっとする。けれど、何故かライドウの胸はキリリと痛む。

違和感。

何だろう。何か分からない、けれど、何か、おかしい。
以前に会った彼女と、違う。何かが違う。…どこが?どこが違う?





◇◆◇





黒い百合を預かって、五日後。
答えは出たか、と、どこか心配そうに問うゴウトにいいや、と首を振る。

『何が分からないのだ?』
「…何もかも、だ」

そこに居るだけで心が浮き立つ。笑顔を見ると嬉しい。いつまでも話していたい。
寂しげな瞳をしていると、辛い。誰のことを想っているのかと思うと、悲しい。

「悲しい?」
「いや…よく、分からない。悲しいの、だと思う。彼女が悲しいから」
「…そうか」
この朴念仁が、と心中で罵った黒猫が早々に立ち去ったので、続きは言わずに済んだ。

ときどき、管に入れてしまいたくなるのだ、と。
彼女を置いてどこかに行ってしまう主など、忘れさせてやりたいと。
僕なら何があっても、置いていったりしない。そんな・・・をさせない。

「分からない」

生まれて一度も持ったことの無い、感情。甘くて苦くて嬉しくて苦しい。

ああ。違和感。

何だろう。何か分からない、けれど、何か、おかしい。
以前に在った自分と、違う。何かが違う。…どこが?どこが違う?




分かったのは更に数日後。預かって七日目。雨の日。夕立の降る。

しののつく雨の中を、小走りで依頼から戻り、濡れる手で滑るドアノブを常に無い強さでひねって。
バン、と思いのほか、大きくなった音を立てて部屋に入った男を。

その悪魔は酷く嬉しそうな声で、呼んだ。

「らいどう、さま!」

――― ああ。これ、だ。
この笑顔。心からの嬉しそうな、愛おしそうな。
こちらに来てから、一度も見たことが無かった表情。
だから違和感があったのか、と瞬時に巡る思考の前でその笑顔は変質する。

「…っ。お帰りなさいませ。ライドウ様」

ああ。ひどくお濡れになって。
お待ちください、今、手ぬぐいを。ええ、分かっております。帽子は取ってはいけないのですよね。

いつものように優しく、けれど何かを誤魔化すように綴られる言の葉はライドウの耳を通り抜ける。


今。

間違えた、のだ。
僕と、彼を、間違えて。

本当は、あの声で呼ぶのだ。
本当は、あの顔で笑うのだ。
彼になら、そうするのだ。僕には、そうしないのだ。

どうして。
どうして。“彼”、なのだ。

な ぜ ? “ 僕 ” じ ゃ 、 な い ?


「え?」
ライドウ様?と、少し見開いた銀の瞳に僕の瞳が映る。

濡れたままの両手で、彼女の両手首を捕らえて、机へと押し倒した僕の、どこか狂った色の瞳が。


「なぜ、」

なぜ、彼なのですか。
なぜ、僕ではいけないの、ですか。
なぜ、僕にはその声も笑顔も与えてはくれないのですか。

「なぜ。貴方はいつもいつも(・・・・・・)、僕を」

―――  僕 を 選 ば な い !?





自分が何をしているのか、気づいたのは。


僕の唇の下で彼女の冷たい唇が震え。もがく彼女の右手が僕の拘束から逃れ。

パシリと乾いた小さな音が、僕の頬の上で響いたときだった。







Ende


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