銀の月






十二時。

街路に続く街路が

月の綜合の中に溶け合って、

月の呪文を囁きながら

記憶の床が溶解する








『鍵はきみがもっている』



「何、それ?詩?」
「ああ」
「何て、題名?」
「『風の夜の狂想曲』」
「またあれ?“四月は残酷な”……ええと、エリ何とか?」

エリオットだ、いい加減に覚えてはどうか、と囁くと、彼はふるりと体を揺らして笑った。

「そうやって、」
あんたがいつも、耳元でいい声で教えるから、覚えられないんだよ。と。

「いい声?私が?」
「自分では、分からないんだ?」

背中から、静寂の主に抱きすくめられた創世の悪魔はまた笑う。また、ふるりと揺れて。

そんな、ものだろう、自分で自分の美徳など分からぬものだと、呟くと。
あんた、絶対わざとやってるだろうと、彼は首だけ後ろに向けて、軽く睨んだ。


ほら、君とて。自分では、分かっていないだろう?

――― 君の両目に輝く銀の月が、私を縛って離さないことなど。









『昇りたまえ。』


「ぁっ、…は、ぁっ、…い、ィイ…っ」

この世界に月は無い。
代わりにあるのは、カグツチ。
自らが生まれる代償に、母を亡くした神の名を持つ、輝く球体。

カグツチの塔を昇れば昇るほどに。乱される、君の人の理。高揚する、君の悪魔の性。

(ふん、これもまたあれかな。為すべき課題のヒトツってところかな。…でもムカつくんだよな)
(君にしては珍しいな。何にムカつく)
(………俺が許してもいないのに、勝手に俺の中を乱してグチャグチャにするのが)

そう、どこか空虚な笑みを浮かべて、まばゆく輝く光源を忌々しげに睨み付けた彼を。
その怒りを悲しみを乱れを狂気を止めたくて、留めたくて、この手を伸ばしたのは。

「じら、さな、ぃ、…ぅん、…んっ」

毒は毒で、性は性で、欲動は欲動で抑えればいいと嘯いて。
心許さぬ他者に己の内を乱されることよしとせぬ誇り高い獣を、この腕で捕らえたのは。

――― いつのことだっただろう。


「ゃぁ、あっ、ぁあっ」

己の膝上で揺れる紅い光に見とれながら、ふと思う。
では、私は君の中を乱してグチャグチャにすることを許されているのかと。

そして、考える。
もし彼を、前から知っていたなら。
もし彼が、予言に示されしモノだと知っていたなら。
私は、果たして、受胎を引き起こしただろうか。彼が苦しむのを知っていながら。と。

「も、もう、だ、だ、めっ、。ぁ、あぁっ!」

こんなふうに問うだけ無駄な幾つもの質問を、私は自分の湖面に投げる。
湖面を揺らす波紋は、広がり広がって全体を揺さぶって、やがて

「!―――― ッ!!」









気を失った彼を抱いて、私はその美しい頬を人差し指の背で撫でる。
瞼で隠されて見えない二つの月は、けれど私の湖面に映ったまま、消えることは無い。

乱された湖は、いつかその名残を見せずに穏やかに凪ぐけれど。
投げ入れられた石は、その湖底に沈んで積もって消えることは、無いように。

彼の寝息が健やかなことを確かめて、私はこの世界の中心を見上げる。

おそらくは最後の煌天。
すべてのタカラを手に入れた君は、あの哀れなカグツチを壊すだろう。双方の望みどおりに。
そして、静寂の世界を創世するだろう。私のかつての願いどおりに。

「神、となられるか。我が静かなる夜」

新しい世界で君が何を選び、何を創り、何を求めるのか、それは私にはもう手の出せぬこと。
このままこの世界に居れば、離れずに済むのだろうかと。
理を裏切る自分の心が浅ましくも、愛しいものだと。自嘲しながら。

私は彼の頭を膝に乗せ。もう一度、エリオットの詩を呟いた。


『………眠りたまえ、生を生きるために』






Ende



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