裁きの天使 4



「……ん?あ、れ?」
「気付きました、か、シュラ。……気分は?」
「ライドウ?……俺、どうして」

言いながら、半身を起こす彼に。
「なかなか屋上から降りてこないので、見に行ったら貴方が倒れていたんですよ」

……お願いですから、あまり心配させないでください、と、湯飲みに入った白湯を渡す。
その表面が、常よりも震えていることに気付く者は渡した本人のみ。

ありがとう、と受け取って一口飲んだ彼は、暖かいなと柔らかく微笑み。

今はまだ、その笑みすら直視できない男は、止まらない手の震えを、強く握り締めて、殺した。





気を失ったままのシュラを部屋に運びいれ、介抱した後、
クー・フーリンはどこか思いつめた様子で、ライドウの前に跪いた。

「ライドウ、いえ、ライドウ殿」
「……何の真似だ」

己の主(シュラ)以外にその膝を付くこと等、ありえないはずの幻魔の行動にライドウが眉を寄せる。

「伏してお願い申し上げます」
「……」
「どうか、貴方様の方から、主様の御手をお離しいただきますよう」
「……」

――― 手を離せ?……手離せ、と?あの、何よりも愛しい悪魔、を?

「……オレからも、頼む」
気まぐれで残酷な魔王が、ありえないほどの真摯さでライドウに跪く。

「酷なことを言っているのは百も承知だ」
だが、アイツがお前を最後の戦いに連れて行くことは、絶対に、無い。

「そして、オレ達は、もう二度と」

――― あんなシュラを見たくない。

「……理由を、聞かせてくれ」
暫しの沈黙の後、悪魔召喚師はその一言だけを悪魔達に返した。





「……アイツの腕の傷、知っているか?」
「左腕、の赤い線、か?」
そうだ。と魔王が頷く。

ウリエルは、と白い幻魔が続ける。
「ウリエルは最後まで、主様の御手を離そうとしませんでした」

魔界に降りるに従い、ミカエルもラファエルもガブリエルも、メタトロンも。全ての天使族を。
いずれは敵となることを承知で、それでも主様が鳥籠から放つようにLeaveしていく中で。
ただ独り、それをかたくなに拒み続けた。

裏切り者として天軍に追い詰められるその時まで。

「恐らくは、天軍のヤツラは天使族が入れない魔界の領域を熟知していたんだろう」
そして、ウリエルが俺たちと別れざるを得ない、その瞬間を狙って襲い掛かって来やがった。

「ただ、主様もそのことを薄々は予想しておられた」
「だから。天軍の目の前で、一芝居打ちやがったんだ」

――― 誰にも相談すら、せずに。


その(・・)時、ウリエルが掴んでいた自分の左腕を、あっさりと自ら切り落として。
愛しい主の返り血を浴びて、呆然とするウリエルをその言霊の力で操って。


……そして、天軍の者達が見た風景は。

左腕から血を噴出しながら、「この裏切り者!」と叫ぶ悪魔と。
切り取られた腕を握り締めながら、「この機会を待っていたのですよ」と嗤う天使。

その悪魔の瞳が、どれだけ悲しげに愛しげに、その天使を見ていたか。
その天使の体が、どれだけ、意に反して動く自らを引き裂いてしまいたいと願っていたか。
……遠目には誰も気付くことなく。

「そして、主様は絶妙に手加減を加えた攻撃をウリエルに与え、気絶した彼は……」
そのまま天軍に帰還しました。……血に染まった、主様の腕を握り締めたまま。
人修羅に加担した裏切り者としてではなく、「英雄」として。主様の思惑通りに。


――― 俺の、罪の証だよ。ライドウ。

いつかの言葉を思い出し、ライドウは、ふる、と体を震わせる。


「あの後、主様がどれだけその「()」に苦しまれたか」
体よりもその御心の、とリンは俯く。

「あんなシュラをもう一度見るぐらいなら、俺の腕を切り落とされたほうがましだ」
……だから、頼む。ライドウ。あいつの手を、離してやってくれ。
あいつがまた、馬鹿なことをする前に。

――― あいつが、お前をどれだけ大切に思っているか、お前だって分かってるんだろう?




「……ん? ライドウ? どうか、した?」
黙ったままのライドウに気づき、シュラが怪訝そうに尋ねる。
「いいえ」
ちょっと考え事をと、笑う男の微かな震えに気づくこともなく。
そっか。なら、いいんだけどと悪魔は微笑む。


……残酷な、優しい悪魔。
きっと、あの天使は、「最期」まで貴方の傍に居たかったのだろうに。
死を覚悟した愛情を、そのような形で裏切られるなど、夢にも思わなかった、だろうに。

なぜ、貴方には分かってもらえないのか。
貴方を犠牲にして、永らえた命を、自ら失うこともできず。
二度と触れ合えぬ地の底の悪魔を、ただ恋い慕い恨み憎み続けて生きる苦しみを。




「……ごめん。ライドウ。もう、少しだけ、休むな」
「はい。ゆっくり、休んでください」

ありがと、と微笑んで、すぅと死んだように眠る悪魔の手は布団の外に放り出されたままで。
気付いて、そっと、布団の中に入れようとした男の手は。
幼子が親の手をつかむように、無意識に キュ、と握り返される。

でも。

――― あ、と震えた悪魔召喚師の心に気付いたように。


すぐにまた、するりとその悪魔の手は、力を失い。

はら、と床に落ちた。



Ende


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