逢魔ガ時 16


続けてディアラハン、と唱えてシュラの肉体を癒したワカは。
ピタリと静止し、視線だけをゆらと彷徨わせたままのシュラを、もう一度、呼ぶ。

「……おいで、シュラ。この帝都で、ライドウの身の安全を保障する代わりに。
坊でもなく、老でもなく……最初に、僕の気を受け入れると」

――― そういう、"契約"だった、だろう?

その契約の内容に、愕然とするライドウの耳に、いつかのシュラの言葉が落ちる。
今更なんだけどさ。 ……すごく怖くなった。

……あれは、いつ、だったか。
いや、もう今更、怖くなったって、どうしようも、ないのに。

……脅えて、震えて、消えるような声で。
――― もう、逃げられる、わけも、ない、のに)

……あの、時には、もう、貴方は。


澱む黒い瞳を遠目にちらりと見て、ワカが心話を送る。

(そう、だよ。ライドウ。この子は、そういう契約を僕と交わしたのだよ。
老の画策から、坊の癇癪から、そしてあらゆる不測の事態から、キミの命を守るように、とね)

……"自分"と、引き換えに?

(そういうこと、に、なるのかな?まあ、僕としてもキミを他の分体に弄られるのは嫌だったからね。
渡りに船、だったのだよ。"契約"を為すために行使できる魔力は、通常より増大するからね)


やがて、沈黙していたシュラがポツリと一つ単語を落とす。
「……今?」
震える声。どこか、諦めたような音の。

「今、だよ。だって、もう、立っているのも限界だろう?」
力を分けてあげよう。僕から気を奪うがいい。

「君だって本当は、"僕が"欲しくて仕方が無いはずだろう?だって、この器は」
僕たちが創ったモノなのだから。

言いながら、シュラの顎に指を走らせて、クイと顎を上げさせ。
に、と微笑んで、ワカはシュラの唇に己のソレを重ね合わせる。

(……っ、やめ、ろ!)
彼に、彼に触れるな!それ、ぐらいなら、僕を!

――― そう、僕なら、平気なのだ。
そういった行為など、ただの修行の、戦いの一つでしか、無いから。……無かった、から。
でも、彼は。
ア・シュラが言ったことが真実、なら。
全てを思い出した今の彼にとっては、その行為は。

叫ぶライドウの心に、魔王は残念そうに残酷な答えを返す。

(……魅力的な申し出なのだけどね、ライドウ。それも契約の内に入っていてね)
――― 君には、けして、手を出すな(・・・・・)、とね。

("僕たち"の性質をよくよく把握しているようだねぇ。"僕たち"の混沌王は)

クスクスと聞こえそうなほどの上機嫌な心の声は、悪魔召喚師の心に絶望を渡す。

(この子は「絶対の否定」を自らに科しているから、その洞察力が自分には向かないのだよ。
(しゅ)としてのヒトが原罪を負うと 洗脳し続けた某宗教の教え同様、それは堅く揺るぎない。
だから、自分にヒトから愛される価値があることなど、彼は、決して信じない(・・・・・・・)
だから(・・・)、平気で、こんなに優しい、 残酷なコトができるのだよ。最強最悪の悪魔、だからね)


に、と笑いながら、口づけを深めようとしたワカに。
ふる、と。無意識にか、シュラは頭を振って抵抗しようとする。が。

「シュラ?約束、だろう?」
言われて、ピクリと動きを止めた様子を見て、繋がりを解き、またワカは笑う。

「大体。僕の"後"から、坊のところへ行くのだろう?
まさか、その魅力的な態のままで、魔界に戻る気じゃないだろうね?」

ねえ、シュラ?見るものが見れば、君が誰かのモノになったことなど、すぐに分かるのだよ。
君の純潔と一途さが、これまで君の身を守ってきたことを、きちんと理解しているかい?
力をほぼ使い果たしたその状態では、君を恋い慕う輩に襲ってくれと言っているようなものだよ。
彼らもずっと我慢していただろうから、ね。君に手を出すことを。

(魔界とはそういうところだよ、ライドウ。強い意志と力を持つものが 求めるものを得られる。
初めてシュラを連れて帰った時は大騒ぎでね。……ただ、これまでは、純潔性の価値、というよりは、 その想いの深さが彼を守っていたのだよ。僕でさえ、手を出せなかったほどの力でね。
でも、君がその全ての「枷」を解いてくれたからね。……感謝するよ。魔界の住人を代表して、ね)


(……それ、すらも"計算"の内か)
弄ばれる心の痛みを隠し、瞑目する黒い瞳を、青い瞳はちらりと見やる。


ああ、それに、シュラ。
「いいのかい?」

――― 彼の記憶を消さなくとも。

優しい、優しい君のことだから。彼の心に残すつもりは、無いのだろう?
ア・シュラの話したことも、僕が彼に語ったことも、そして君との、ことも。
今の彼は、強いよ。相当の魔力を注がなければ、記憶の隠蔽や調整などできないだろう。


いずれにせよ。
いい機会、だろう?
このまま他者の気を奪うことができなければ、どのみち君は魔界では消滅する。
練習だと思って、がんばってごらん。
できなければ、君の大切な彼はこのまま狂うだけだ。

「どう?……本気に、なれたかい?」

魔王の、面白げな口調の中に混じる、どこか真摯な響き。
聞かせぬ部分が故意に混じる会話を聞きながら、ライドウの明晰な頭脳は理解する。

故無くば、他者を殺せぬ優しい彼が、魔界で生きていくために、コレは必要な過程なのだと。

そして、また。魔王の心も。
彼は、彼なりに、この自らの芸術品を、愛しているのだろう。と。

壊したくないと。大切にしたいと。愛でたいのだと。共に居たいと。願っているのだ。
それは、どの形を持つ彼も同様に。

――― だからこそ。
「気」が乱れるほどに限界が来ているのに、三者いずれもが同化を拒むのだ。
各々が各々の形で、彼を手に入れられるまでは、と。

……頭では、そう、理解はできても。
この、叫び続ける心臓の悲鳴が、止まるわけでも、無いのだけれど。













そして


永遠とも思えるほどに長い沈黙の数秒を経て

黙っていたままのシュラが、ゆるり、と、その容を変え

するり、と伸びた、しなやかな髪の先を、くるり、と、ワカの指が捉え


……悪魔召喚師は、今日、三度目の悪夢に出逢う。



――― 最愛のモノが、他者に侵食されていく、魔の時に。






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後書き反転

これまでライドウが閣下連中他の「魔の手」に落ちなかった理由、の巻。
特にワカ閣下は隙さえあれば、ライドウに手を出す気満々だったと予想されるので。
(「独り神」で助けに?来たのも、この契約に則って&ライドウに逢いたかったのだろう)

で、効率重視の老や坊に壊されるぐらいなら、シュラの申し出に即、乗っただろうと。
(というより、そういう流れに話を持って行った気がひしひしとします)
ライドウは守れるわ、シュラは先にいただけるわで、一石二鳥です。
いや、まだ他にも、捕まっている鳥がいるのかもしれませんが。