人の気も知らないで。
チュク、と小鳥に取られた分を取り返すように、奪う、その口付けは長い。
寝起きだからか、いや、疲れが抜けきっていないのだろう、返してくる舌の動きは鈍く。
それでも、水音の狭間に漏れる声は、甘い。
鳥の囀りのようなその声すらもからめとるように。
思い出しただけで、心が凍る記憶を、誤魔化す為に。口付けは深くなる。
――― あれは、確か、2年ほど、前。
懇意にしていた他社の担当者が、急に交代になったことが、あった。
「あれ。異動されたんですか、Mさん?」
「い、いや。……ちょっと、病気になったんですよ」
何の気なしにかけた質問に、酷く焦ったように返す先方に感じた違和感は。
後で、鳴海さんが解決、してくれた。。
うつ病、らしいよ。
うつ?ストレスですか?
いや……Mさんさ、半年前に結婚した奥さんが。
別れたんですか?
結果的にはそう、なんだけど。……死に別れたらしいよ。
え。
共働きでさ。会社の仕事も家の仕事も、ちょっと、頑張りすぎるタイプの女性だったらしくて。
朝、Mさんが起こしても起きないから、疲れてるのかなって、目覚ましを、セットして出かけて。
夜に帰ったら、朝と同じ格好でベッドに寝てて。
起こしても……やっぱり、起きなかったって。
昨日。ほぼ一月ぶりの休日の前日であったはずの、その日に。
深夜近くなっても、連絡の全く取れない由良に、嫌な予感がしたライドウが。
以前にもらった合鍵を使って、部屋へ入って……目に入ったのは。
「……っ!」
床に倒れて動かない、由良の体。
――― 過労死、だって。
おそらく、夜の間に……だろうって、検死の人に言われたって。
……同じベッドで寝ててさ、朝起きたら、横に冷たい体だけが……ってさ、ホント。
やりきれないよね。
悲鳴さえも、出なかった。
思考が追いつかぬままに、抱き起こして触れた手と頬の冷たさが心臓をえぐる。
体中を激痛が巡り、また、と、己のものではない思考が、脳内を占めた。また、失うのだ、と。
しばらく、して、やっと。微かな、彼の呼吸を、心臓の音を確かめて。
男は生まれて初めて、泣き崩れる、という経験をしたのだ。痛いほどの、安堵と、喜びと。
……どこか故の分からぬ、新しく生まれた不安とに。
◇◆◇
再生される痛みを誤魔化すように、少年のようなその体を逃がさぬように強く。抱きすくめる男の。
どこか切羽詰った風に。それでも。
口付け以上には進まぬ行為が語る、哀しい気遣いを知ってか、やがて、由良が呟く。
「……ごめん」
謝罪の内容は、その三文字を投げた本人にすら、把握できない。
心配させて、ごめん。迷惑かけて、ごめん。気遣ってもらって、ごめん。
(好きになって、ごめん?鍵なんか渡して、ごめん?……この手を離せなくて、ごめん?)
より拘束を強めた腕の中で、ごめんと、繰り返すたびに、
その三文字が示す本来の意味すら、男の中で、互いの間で、不明瞭になっていく。
この感覚は。……ああ、ゲシュタルト崩壊か、と惑いながらも、由良は腕を伸ばす。
ぽん、と。ぽんぽん、と回した腕で、相手の背中を優しくたたいて、由良は世界を再構築する。
頑是無い赤子をあやすような、その心地よいリズムがほんの少し、ライドウの心持を浮上させる。
「ありがとう、ライドウ」
もう、大丈夫、だよ。ちょっと、寝不足でさ。まさか、床で寝落ちするとは思わなかった。
視線を合わせてくる、疑いを隠さない瞳を受け取って、由良は苦く笑う。ホント、ごめん、と。
「怒らないで」
「大好きだよ」
だから、機嫌直して。……せっかく、久しぶりに遭えたのに。
拗ねたように甘えたように、そう言って、抱きしめ返してくる腕の力が、切なくて。
「……おはよう、ライドウ」
そういえば、と、今更に過ぎる、挨拶を投げられて。
「……おはようございます」
彼はとりあえず、他に返す言葉を、持たなかった。
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