The cuckoo's nest 02










人の気も知らないで。











チュク、と小鳥に取られた分を取り返すように、奪う、その口付けは長い。
寝起きだからか、いや、疲れが抜けきっていないのだろう、返してくる舌の動きは鈍く。
それでも、水音の狭間に漏れる声は、甘い。


鳥の(さえず)りのようなその声すらもからめとるように。
思い出しただけで、心が凍る記憶を、誤魔化す為に。口付けは深くなる。



――― あれは、確か、2年ほど、前。
懇意にしていた他社の担当者が、急に交代になったことが、あった。

「あれ。異動されたんですか、Mさん?」
「い、いや。……ちょっと、病気になったんですよ」
何の気なしにかけた質問に、酷く焦ったように返す先方に感じた違和感は。

後で、鳴海さんが解決、してくれた。。


うつ病、らしいよ。
うつ?ストレスですか?
いや……Mさんさ、半年前に結婚した奥さんが。
別れたんですか?
結果的にはそう、なんだけど。……死に別れたらしいよ。
え。

共働きでさ。会社の仕事も家の仕事も、ちょっと、頑張りすぎるタイプの女性だったらしくて。
朝、Mさんが起こしても起きないから、疲れてるのかなって、目覚ましを、セットして出かけて。
夜に帰ったら、朝と同じ格好でベッドに寝てて。
起こしても……やっぱり、起きなかったって。




昨日。ほぼ一月ぶりの休日の前日であったはずの、その日に。
深夜近くなっても、連絡の全く取れない由良に、嫌な予感がしたライドウが。
以前にもらった合鍵を使って、部屋へ入って……目に入ったのは。

「……っ!」

床に倒れて動かない、由良の体。



――― 過労死、だって。
おそらく、夜の間に……だろうって、検死の人に言われたって。
……同じベッドで寝ててさ、朝起きたら、横に冷たい体だけが……ってさ、ホント。
やりきれないよね。




悲鳴さえも、出なかった。
思考が追いつかぬままに、抱き起こして触れた手と頬の冷たさが心臓をえぐる。
体中を激痛が巡り、また(・・)、と、己のものではない思考が、脳内を占めた。また(・・)、失うのだ、と。


しばらく、して、やっと。微かな、彼の呼吸を、心臓の音を確かめて。
男は生まれて初めて、泣き崩れる、という経験をしたのだ。痛いほどの、安堵と、喜びと。
……どこか故の分からぬ、新しく生まれた不安とに。






◇◆◇




再生される痛みを誤魔化すように、少年のようなその体を逃がさぬように強く。抱きすくめる男の。
どこか切羽詰った風に。それでも。
口付け以上には進まぬ行為が語る、哀しい気遣いを知ってか、やがて、由良が呟く。

「……ごめん」

謝罪の内容は、その三文字を投げた本人にすら、把握できない。
心配させて、ごめん。迷惑かけて、ごめん。気遣ってもらって、ごめん。
(好きになって、ごめん?鍵なんか渡して、ごめん?……この手を離せなくて、ごめん?)

より拘束を強めた腕の中で、ごめんと、繰り返すたびに、
その三文字が示す本来の意味すら、男の中で、互いの間で、不明瞭になっていく。
この感覚は。……ああ、ゲシュタルト崩壊か、と惑いながらも、由良は腕を伸ばす。

ぽん、と。ぽんぽん、と回した腕で、相手の背中を優しくたたいて、由良は世界を再構築する。
頑是無い赤子をあやすような、その心地よいリズムがほんの少し、ライドウの心持を浮上させる。

「ありがとう、ライドウ」
もう、大丈夫、だよ。ちょっと、寝不足でさ。まさか、床で寝落ちするとは思わなかった。

視線を合わせてくる、疑いを隠さない瞳を受け取って、由良は苦く笑う。ホント、ごめん、と。

「怒らないで」
「大好きだよ」
だから、機嫌直して。……せっかく、久しぶりに遭えたのに。

拗ねたように甘えたように、そう言って、抱きしめ返してくる腕の力が、切なくて。

「……おはよう、ライドウ」
そういえば、と、今更に過ぎる、挨拶を投げられて。

「……おはようございます」
彼はとりあえず、他に返す言葉を、持たなかった。







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