死にし子と 夢に語れり 冬の朝 さめての後の 物のさびしさ
西田 幾多郎
目覚めた男の視界に入るのは、見慣れた天井。
いつからか。もう、この男は。
目覚めて、誰も居ない腕の中を確かめることを、しなくなって、久しい。
胸の内。鮮明に残る何かに、止まりそうになる息を、ゆっくりと吸って、吐いて。
冬の大気の冷たさに呼吸の仕方を思い出し。
やがて、ふ、と無表情な白い溜息を、男は落とす。
「夢、か」
夢が、この男に残酷なのは、常のこと。
目覚めるたびに心を切り刻むその現象を、男は何度も憎み、いつしか、その痛みに慣れた。
それでも。さすがに。今日の夢は
「酷い、な」
いつからか。もう、この男は。
かの悪魔の夢を見た、その回数を、数えなくなって、久しい。
幸せな、夢。
幸せで、あればあるほど、目覚めた後は。
息をもう一つ、つき、パサ、と暖かい布団を跳ね上げると、襲ってくるのは冷気。
立ち上がり、キシと歩む床の冷たさは、心の臓まで響くよう。
たどり着いた洗面台の、キュと鳴く蛇口の取っ手も、シュと流れ出す冬の水も
何かを、真っ直ぐに切り裂くような温度を男へと、放る。
組んだ白い掌の窪みに溜めたそれを、パシャと、顔にかけた飛沫は。
何故か温度の異なる、数滴の雫を誤魔化して、排水溝へと紛れ込ませた。
冬の朝。凍てつく大気。冷たい水。
だが、そのどれにも負けぬほどに冷たい何かは、男の内に陣取ったまま、消えることは無い。
痛い。
胸が、痛い。
凍るように、燃えるように、痛い。
己の愚かさに、反吐が出る。
何度、夢を見れば、気が済むのだ。思い知るのだ。
もう、彼は、此処に戻っては、来ない。
――― もう、二度と、僕の、ところには。
痛みを誤魔化すために、もう一度、水を顔で受け、フルと頭を振る。
こうやって。熱を流して。己を冷やし、続けて。
この叫ぶ心臓の鼓動さえ、凍らせてしまえれば。
いつか、冷たい、貴方の、ところへ、たどりつける、だろうか。
ツ、と胸元まで滴る雫を、胸元を肌蹴て、厭うように手拭いで拭い。
軋み続ける心臓を、知らず、掴もうとして。
は、と。男は、気付く。
心臓の真上に、一つだけ。
残された、朱鷺色の、印。
◇◆◇
(ライドウ。ほら。心臓の、音)
くすくす、と。嬉しそうに幸せそうに、貴方が。僕の胸に耳を当てて。
(ここ、かな)
口付けられて、チクリ、と甘い痛みを感じて。戸惑う僕に、貴方が。
ごめん。痕つけちゃった、と、確信犯の笑顔で。
(綺麗だね。ライドウ。白い胸に、桜の花びらが落ちた、みたいだ)
そう言って、笑った貴方こそが、散っていく桜のように綺麗で儚いと、僕は。
――― 夢、じゃ、ない?
残された胸の花弁は熱となり、瞬時に男の全身を巡る。
凍りついた心を溶かされた男は、荒れ狂う心臓を手で押さえ。
至上の幸福と、地獄の苦しみを同時に与える、残酷な恋人の名を、呼んだ。
◇◆◇
白を纏う人修羅が選んだのは。
己の、哀しいまでの白さを未だ知らぬ、白磁の肌の
悪魔召喚師。
Ende
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冬 来たりなば、 春 遠からじ と信じたい。
以下、もう1フレーズ、反転。
ね。ライドウ。お前の心臓の音、俺、大好き、なんだ。
だから、できるだけ、長く。この音、聞かせて。
これ、約束の印、だから。・・・ね。 忘れないで。
貴方はいつも、そうやって、残酷に僕を束縛して。
そして、僕は、いつも。
貴方の願いを裏切ることなど、できはしないのだ。