紅の月 L












この世界に月は無い。
あるのはカグツチ。母神イザナミを焼き殺した、火の神
最愛の妻を亡くして怒り狂った父神、イザナギに殺されてしまった、悲しい哀しい、神。

(生まれなおしたいのだろうか。アレは)
優しい母と父の元で、もう一度?

その煌々とまばゆく輝く光に暴かれた、一つに合わさった二つの影はゆらゆらと揺れ。
その呪いに惑わされて、真の悪魔は妖艶に誘う。

「キス、して、ライドウ」

もちろん人に否やの返答は無い。
軽く一度触れ合わせて、少し離して、視線を絡めて、角度を変えて、もう一度。今度は深く。

どちらから求めたか分からぬ舌は、どちらの温度とも分からぬそれに交わるまで絡み合い。
やがて悪魔の紅い瞳が満足そうに孤を描き、うっとりと瞼を閉じるのを確認してから。
人も自分の美しい瞳を、苦しげにそっと伏せた。

反逆なのだろうか、と人は思う。
この狂いは。呪いは。カグツチの。
自らが生まれなおすために、受胎させる生贄を、探して。選んで。乱して。堕として。

身代わりなのか?誰の?
復讐なのか?何への?

人の思考を邪魔するように、腕の中で、はぁ、と愛しい声がする。
気持ちいい、もっとと、ねだるその言葉を。内の刺激だけで軽く達した悪魔の震えを。
抱きしめて、切り取って、誰にも見せぬ心の奥にしまいこむ。

「な、あ、ライドウ。多分、これが、最後だし、さ」
雌のカタチになってやろうかと、誘うように笑う悪魔に、黙って首を横に振る。
この地で、貴方を別の意で受胎させる可能性のある行為など、できるはずもない。
……たとえ、それが本来の貴方のカタチであり、カグツチが真に望むことだとしても。

――― いや、それだからこそ。













「離れろ」
――― え?

「聞こえなかったのか。離れろ」

あれは肌を重ねるようになって、幾度目かの煌天。
ついさっきまで、僕の耳元で甘い喘ぎ声を聞かせていた唇が、突然事務的な命令を繰り返して。

「抜け、と、言っている。十四代目葛葉ライドウ」
何を、と戸惑う思考を裏切って、僕の腰は勝手に動いた。彼の魔声の指示通りに。

「…ふ、仮の名前でも、この程度の命令なら割と素直にきくんだ、な」
離れるのを拒むような、先端の脹らみの刺激に微かに上ずった声がようやくと僕の思考を動かす。
そうだ、彼は最強の言霊使い。相手の名すら得ていれば、思いのままに人を操る魔物。
でも、これまで一度もその力をこんなにあからさまに使ったことはなかったのに。

「な、ぜ」
「やくそく」
「え?」
「約束、破った、だろ」

一言もしゃべるなと、言った。

僕の腕の檻から抜け出て、気だるげに立ち上がった体はまだ快楽の余韻を纏わせているのに。
僕の体中が、まだ、足りないと、貴方が欲しいと喘いでいるのに。

「たし、かに。でも」
ただ。たった、一言。思わず、言っただけ、なのに。
この募る思いを止められなくて。ただ欲を吐き出しているのではないと、知って欲しくて。
縋るような音になった僕の言葉に小さな溜息が落ちる。その音はまだ甘い気さえするのに。

「偽りの言霊はいらない」
「!…いつわり、などでは。……、僕は、貴方が」

けれど。言い訳を遮って、ふん、と小さい苦笑に続く断罪に、続く言葉と僕の全身は凍りついた。

「なあ、狂った悪魔を抱いてマガツヒを注ぎ込んでる、悪魔召喚師」


――― お前が、俺なら、その言葉、信じるか?











「好きだよ」
抱き合って、繋がって、膝上で甘く揺らしている最中に突然に告げられるいつかの言葉。
その、悪魔の、たった一言で、ズクリと僕の体と心が熱を持って、膨張する。
その刺激に甘く身を捩じらせておきながら、彼はくつくつと笑う。いつものように。

「正直、者」
そう揶揄ってくれるなら、どうして、貴方は僕の正直な気持ちを分かってくれない。
彼はいつもこんなふうに、好きだと告げてからかって、僕を煽って。熱くさせて。
その、少し後に、必ず。残酷に口の端を上げて、視線を逸らして。

「嘘だよ」
……ごめんと、そのたった一言で、僕の想いを地へ叩きつけるのだ。

ああ、普段の彼ならけしてせぬような、偽りの言葉の駆け引き。
彼はこの狂気の時のことを、記憶しない。
カグツチに支配され、肉と精の交わりを求める自分のことなぞ、知らない。
それでいいと思っていたのに。都合が良いとさえ考えていたはずなのに。だから。

“信じるか?”
いつかのその問いへの己の答えは、明白に“否”だった。
僕なら信じない。何を確かめることもせず、いきなりに攻撃してきた相手など。
問答無用で一方的に罠を仕掛け、刀で切り刻み、弾丸を何十発も撃ち込んだ相手など。

言葉は嘘をつくることができる。でも行動はそのままの事象しか示さない。
後でどれだけ取り繕おうとも、言い訳を並べようとも、為した事実は変わらない。
もちろんその真意は受け取る側の寛容さに左右されるかもしれないけれども、それでも。

僕なら、信じない。僕が正気を失っていると記憶を残さないと分かって僕を抱く相手を。
そんな卑怯で汚い相手が、僕を、好きだ、と告げたところで、けして。

信じない。










「は、ぁ…っ、」
両手で彼の腰を掴んで引き寄せ、そのまま指を上へずらし、胸の先端を嬲る。
きゅうと甘く締め付ける内の攻撃を耐えて唇を合わせると、負けず嫌いの悪魔は僕の舌を求めて、攻めてくるから。 僕は右手を彼の首の後ろへ回して。敏感な角に指を滑らせて応戦する。
いや、それはいや、許してと甘く啼きだす悪魔に、心臓を抉られながら。


…許して、もらえていると、思っていた。
彼が優しく笑ってくれるから。

好意を持ってくれていると、思っていた。
狂っているにせよ、僕をその身に受け入れてくれたから。おそらくは、初めての相手として。

慣れぬ感覚に戸惑って、でもカグツチに侵食されるよりは楽であると判断してか。
僕の腕の中で、硬い初心な蕾は溶けるようにほどけた。罠かと思うほどに美しく。
溺れているのは翻弄されているのは自分のほうだと、気づくのにそう時間はかからなかった。

(ああ、腕の中で揺れる美しい赤。
これが最後だと言うのなら、次は誰が。僕ではない、誰が、貴方を)

あれは、離せと告げられて、去っていかれた日のしばらく後。
記憶が無いと分かっていても、どこか気まずくて、でも。
謝りたくて、分かって欲しくて、僕の心を、今の本当の気持ちを、聞いてほしくて。
何かの拍子に傍を横切ろうとした彼の手を、呼びかけるよりもうっかり先に掴まえて。
ほんの一瞬、びくりと震えた彼の反応にやっと僕は気づいた。

…疎まれているのだ。僕は。怖がっているのだ。彼は。今も。まだ。心の奥で。
どうして!と叫んだ身勝手な心は、当然だろう、と呟いた乾いた理性が踏みにじった。

「な、に?どうしたの、ライドウ」
動揺を綺麗に覆い隠した優しい笑顔の裏で。
お前なら許せるか、と彼から糾弾された気がして、慌てて僕は彼の手を離した。

何でもありません、驚かせてすみませんと早口で謝った声は震えていなかっただろうか。












「ぁっ、だ、めっ。…ぃ、ゃ、いやっ、だ」
逃げを打つ体を抱きしめて、深く突き上げる。ああ、いい。死にそうなほど。
ガクガクと震えだす愛しい肢体。終わりが近い。終わりたくなど無いのに。

自分の気持ちを、彼の心を。もっと早く知っていれば。
もっと早く気づいていれば、僕は彼がアマラの最下層に降りるのを止めただろうか。

その答えも、“否”。
どのコトワリを選んでも、その時点で道は分かたれる。彼は僕のものにはならない。

彼が“真の悪魔”になってしまえば。
管に入れてしまえるのではと、あわよくば、と、どこかで願っていなかったか。
自分だけのものにしてしまえるのではと、暗い期待を持ってはいなかったか。

だから、僕は、煌天で狂う彼を探して、こうやっていつも、腕に抱いて。
僕に陥落してはもらえないかと、どこかで、いつも。

ああ、こんな汚い僕だから。貴方は愛の言葉すら受け取ってはくれないのだ。

「ライ、ドウ」
愛しい、声。甘く、擦れた、音。逢瀬でしか聞けない、儚い楽。

「目を、瞑って。ライドウ」
いつも貴方は最後(・・)に、そう命じる。
そしてまた僕の体は素直にその命をきき。
制限された知覚は、それ以外の感度を全て、上げる。

縋る腕、絡まる舌、落ちる水音、甘い爪跡、腰に絡まる脚、締め上げる肉。
視覚以外の、貴方の何もかもに誘われて、狂ったように貴方を貪る僕を呼ぶ声。

もって、いかれる。
何モカモ、貴方ニ、モッテイカレル。

「ぁ、っ、あ。…ュラッ」

いい。

忘れられてもいい。
信じてもらえなくてもいい。
最後だから、どうか、これだけはと願った言葉は。

「愛して、るよ。ライドウ」
「!」

一足先に、からかうような調子で貴方に奪われた。






ENDE ?

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続きは中篇(下手すると長編)になりました(汗)。新規サイトでアップします。

今はここまで。(生殺し?)