この世界に月は無い。あるのはカグツチ。母の女陰を焼いて生まれた、悲しい火の神
父にすら愛してもらえなかった、哀れな、母殺しの神。
その呪いに縛されて、人の誘いに絆されて、悪魔は人の中を穿つ。ゆるやかに。
「月夜よし、夜よしと人に 告げやらば、…だっけ」
「…」
言の葉を禁じられた人は、心の中でその歌の続きを吟じる。
――― 来てふに似たり 待たずしもあらず
(月が綺麗だ、と、伝えたら、貴方を誘っているように聞こえるでしょうか)
もちろん待っていないわけではありませんが、と、婉曲に逢瀬を希う古人の、雅な恋歌。
その歌の意を受けて、彼は哂い、僕は震える。
「やっぱり、知ってるんだ」
ホントにお前は博識だね、ライドウ。
自分の博識さを棚に上げて彼は語り続ける。僕を貫いてなど居ないように平然と。
帝都の守護者となるべく。幼き頃より知識を叩き込まれた僕と同等、いやもしかしたらそれ以上に、彼が言の葉に詳しい理由は、僕とて既に理解はしているけれども。
(人としての彼の器は、その気になれば、命じただけで相手を操れるほどの言霊使い。
知らず他者に「死ね」と言う可能性すらあることを思えば、その深い知識は当然の)
与えられる感覚を散らしたくて、思考を巡らす僕の耳に悪魔はまた囁く。くすくすと。
「でも、俺は」
煌天が綺麗だなんて、一言も言ったこと無いのに。どうしてお前は?俺のところに来るの?
「…」
答えられぬと知っていながら、それを聞くのだ。この悪魔は。
なぜ、僕が貴方に抱かれに来るのか。僕にはもうそれを答える資格なぞ無いと、知って、いながら。
「ふ。ホントお前ってば、博識」
ほら、こんなことまで、と少し息が上がった揶揄が落ちたのは、僕が彼を内で締め付けた、から。
「ねえ、誰に教えてもらったの」
なにを言いだすのか、と、戸惑い、疑問の色で見つめれば、彼は哂う。残酷に。
「この、いやらしい体。誰に、こんなこと、仕込んで、もらったの?」
言いながら、胸の先端を赤い舌で舐め上げる悪魔を、ヒクンと揺れた人は睨みつけた。
初めは、ただの好奇心。
見た目は以前と変わらぬ彼が、真の悪魔となって何がどう、只人と異なったのかと。
そして、同情。
過去の自分をすべて切り捨て、新しい生態を選ばなければ、生存すらできない哀れな生き物への。
だから、あとは、恐らくは、醜い卑小な優越感。
僕はコレとは違う。僕には待ってくれている人がたくさん居る。護るべきものもたくさんある。
――― ああ、なんて、可哀想な悪魔。せめて別れるまでの間、少しは優しくしてやろうと。
そんな汚いモノで幾重にも梱包し隠蔽した自分の本当の気持ちを、もっと早く気づいていれば。
何かが変わっていただろうか。
「喘ぎ声ぐらいは、いいって言ったのに」
「…ッ」
僕の中心を握りこんで彼は愉しげに言う。僕の内側を抉りながら哂う。
覚えている。
あれは、何度目かの煌天。
快楽のあまり、思わずと意味のある語を叫んだ僕から、ずるりと楔を抜いて。
約束を破ったねと、全身の毛が逆立つような冷たい声で、耳元で甘く囁いて。
……この悪魔は僕をそのまま、置き去りに、したのだ。
僕など何の価値も無いと言いたげに、冷酷に残酷にあっさりと。
待ってください、と叫んで縋ることさえ許されない僕は愕然と、した。
可哀想なのは、置いていかれるのは、独りで残されるのは、本当はどちらなのかと、気づいて。
中途半端なままに投げ出された自分の行き場の無い肉体以上に、心が悲鳴を上げた。
いかないで、と―――。
「ぅ、んっ、…っ」
ふふ。苦い、けど、甘いね。お前の、白いマガツヒ。すごく、美味しい。
「もっと、出して」
「っ、ぃ、あっ、あぁ」
ああ、それだけ、じゃない。彼は、いつも。
いつも、何度も、こうやって、僕の欲を搾り出して舐めて啜って、のみこむくせに。
一度も。
彼は一度も、僕に。
獣の形で後ろから激しく、穿たれる。それが、嫌なわけではない。
ただ、最後だから。これが、最後の逢瀬だから。だから、せめて。
首を振り、身を捩り、手を伸ばして、彼の腕を掴む。
緩やかになる彼の動きに、不機嫌さが含まれていないことに安堵する。
首を回して、怪訝そうな紅い月を覗き込んで、懇願する。
どうか、どうかお願い。最後だから、これがきっと最後だから、どうか。
僕を見て、僕の顔を見ながら。貴方を見せて、貴方の顔を見ながら、どうか。
ぱちぱちと、二度またたく紅い瞳。
そのまま何の感情も見せぬ表情で、僕から離れて、僕の身体を反転させて。
「ぁ、あぁ…っ」
再び深く、穿たれる。屈曲された脚の微かな痛みさえ、嬉しい。
激しく揺らされる体はもう最上の快楽しか訴えない。
ああ、この感覚は、貴方が、最凶の悪魔だからと、思い込んでいられれば、良かったのに。
――― 自分の心など、気づかなければ、良かったのに。
「狂っていいよ、もう」
優しい断罪の言葉に、体と心が跳ね上がる。いい。何もかもがいい。泣きそうなほどにいい。
ああでも、きっと、貴方はこの逢瀬を忘れる。何もかも忘れる。これまでどおりに。
何度、体を重ねても。積もるのは僕の想いだけで。貴方は、変わらない。変わらなかった。
当然だ。僕はこの想いを伝える術を持たなかった。その権利は無かった。初めから。
「強情、だね」
「…っ!」
弱いところを何度も責められて、限界が近い。終わりたくなど無いのに。
良すぎて辛くて哀しくて。
縋る先を求めて、彼の背に腕を回す。
募る何かに促されるまま、僕は爪を立てて、彼の背に光る翼を更に赤く、汚す。
「、く、っ」
やっと聞けた彼の、切羽詰った声。
嬉しくて。硬く閉じていた瞳を僕は薄く開く。
見えるのは、愛しい悪魔の、甘く寄った眉根。紅く光る瞳。ああ、どうかそのまま。
一緒に。
一度でいい。どうか貴方も僕と一緒に。最後だから、これで最後だから。どうか。
――― そう、思ったのに。
一瞬、僕と視線を交わらせた彼は、困ったように、ふ、と笑んで。
「…っ!」
左手で僕の両目を優しく塞いで。
いや。独りはいやだ。置いていかないで、と、泣き叫ぶ僕の心を無視して。
いつものように、僕だけを地獄の底へ落とした。
Ende ?
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続きは中篇(下手すると長編)になりました(汗)。新規サイトでアップします。
今はここまで。(生殺し?)