大正22年 2月 22日 2時22分
草木も眠る丑三つ時・・・
「えええええええええええーっ!!!!!」
件の若夫婦の部屋から素っ頓狂な悲鳴が響き、離れた小部屋で眠っていた黒猫は目を覚ます。
「・・・」
これが人修羅の声であれば、またあの夫が恒例の悪魔も裸足で逃げ出す無体をしておるか、と。
狐に、いや馬に蹴られたくは無いとばかりに、耳を塞ぐか、外に逃げるかするところであるが。
「ごごごっごご、ごうとーっ!!」
今のはどう聞いてもその鬼畜夫の声。しかもご指名付き。
若干の不安と、頭痛を覚えながら、若夫婦の寝室へ向かったゴウトが見たものは。
「カオルさん!僕のカオルさん!ああっ!!どうしてこんな姿にぃいいいっ!!」
「フニャーッ!!!」
白い手に、数本の可愛い爪あとを付けられながら、絶叫するライドウと。
下手くそな抱かれ方をされて、必死にもがく・・・きれいな模様のついた子猫だった。
さて。
とんでもない出会いをしたとんでもない二人が万難を排して結婚したwのは半年ほど前。
「どーせ、人の寿命の間に終わる戦いじゃないしー、もー結婚でも何でもすればー?」
一体、どんな強引な裏取引をしたものやら、どこか疲れたようなルイのありがたい言葉をもらい。
ついでに「もう戦闘も大正から現地直行でいいよー」という緩すぎるご指示までいただいて、あれよあれよと言う間に今やすっかり遠距離通勤の兼業主婦と化している人修羅であったのだが。
「にゃっ、にゃにゃにゃにゃにゃっ!(こ、こわかったですぅ!)」
『・・・もう、大丈夫であるから。・・・鳴くな、いや、泣くな』
暖かい布団でぬくぬくと幸せに寝ていたところを。
いきなり突拍子も無い声でたたき起こされたと思ったら。
「・・・にゃー。にゃにゃ。(・・・はい。ありがとうございます)」
『で、やはり何も思い出せぬのか?』
見も知らない男の人に、恐ろしい形相で抱きつかれた記憶喪失の子猫は。
駆けつけてきてくれた、優しげな同族の黒猫に、その恐怖を涙ながらに語り。
「にゃあ。(はい)」
『そうか・・・』
・・・やっと少し状況が落ち着いたかと、思ったら。
「カ、カオルさんっ!僕という夫がありながら、どうしてゴウトとばかり!!」
ゴウトの陰に隠れて、まったく自分に顔を見せないことに切れたその男がまた叫びだし。
「にゃーっ!!にゃにゃにゃー!!(ひいーっ!またこの人―っ!!)」
『・・・ライドウ。動物虐待はやめておけ』
ゴウトに深い溜息をつかさせた。
◇◆◇
さて、そうこうしているうちに、夫の出勤時間と相成りまして。
『しかし、よく、一目で、カオルだと分かったな・・・』
「僕のカオルさんへの愛情の深さを舐めてもらっては困る、ゴウト」
たとえ、カブトムシになっても、僕がカオルさんを間違えることなど、けして無い!
「・・・そうか・・・」
拳を握り締めて、熱く語る後継に、何だか目の前が白くなる黒猫様である。
(では、万が一カブトムシになって逃げられた日には、24時間、ヒロえもんを付けた、“運”が適正な仲魔をつけて、走り回るのだな・・・。拾うタイミング寸前で竜穴セーブだな)
不思議なことにw、何だかしょっちゅう見ている気がする光景ではあるが。
この場合の、その必死さは小遣い稼ぎの依頼のそれ、どころでは、当然、無いだろう。
そして、その必死の形相で走り回る彼の後ろをひたすらちょこまかとついていく自分の姿まで幻視した黒猫は、頼むから虫にだけはなってくれるな、と、心の中で人修羅様に手を合わす。
『それよりライドウ、本当にこの姿のシュ、じゃなかったカオルを探偵社に連れて行くのか』
「当たり前だ!こ、こんな可愛い、抵抗もできないカオルさんを家に一人にしておいたら・・・」
彼女を狙うあんな悪魔やこんな天使やそんな幻魔やどんな魔獣がやってくることか!
そのまま言葉を失った彼の頭の中では、要らない妄想が、グルグルと回っているのだろう。
赤くなったり青くなったり、果ては顔面蒼白のまま、8体召喚をしかけるライドウを必死で止めながら、ゴウトは、ライドウがしっかりと抱え持つ籠の中で、記憶が無くとも体が覚えている”トラウマに近い恐怖”に怯えてガタガタと震える子猫に、心から同情した。
ちなみに蛇足ではあるが。シュラではなく、カオル、と呼ばれている件についてだが。
「彼女とは、幼馴染で生まれたときからの許婚だったんです」
「先日、彼女の身内が皆、流行り病で・・・。ええ、前に居たシュラは彼女の兄なんですが」
「ですので、ええ、はい。天涯孤独となった許婚と、里で祝言をあげてきまして」
そう、鼻の下を伸ばして語るライドウと、その横で赤い顔をしてうつむく薄幸の美少女の関係を疑うような人間は、この帝都には居らず。
そのライドウの立て板に水な惚気全開説明と共に、男性体シュラ改め女性体カオルは、帝都のライドウの「嫁」としての立場を半強制的に確立され。故に今は帝都ではカオルと呼ばれることとなっているのである。
さて、話を戻して。
シュラぬこ、いや、今はカオル猫を入れた籠を抱え持つライドウの足取りは常よりも軽快である。
「ああ、でも、ホント、カオルさんは猫になってもかわいいですね・・・」
食べてしまいたいほど可愛いって、ホントこのことですね。でも、今日はどうしてまた、こんな子猫ちゃんになっちゃったんでしょうね。新種のマガタマか何かの副作用でしょうかね。
ちょっと、びっくりしましたけど、これはこれで幸せですね。だって。
「貴女を籠に閉じ込めて、四六時中持ち運べればどんなに安心かって、よく思ってましたから」
ふふ、と微笑むその顔は、見ているだけならうっとりするほど美しい、が。
犯罪者一歩手前な愛情だだもれの告白を聞かされている猫たちには、怖気立つほど禍々しい。
「ニャニャ、にゃーにゃーフニャーッ!(やだやだ、やっぱりこの人こわいーっ)」
あまりの恐ろしさに叫ぶ子猫の声に、築土町の野良猫達が野次馬のように集まってくる。
そこに、ガタガタと暴れたはずみで、籠の蓋が開き、彼らにとって闖入者である子猫が落下する。
しまっ・・・
ライドウが思う暇も無く、周囲の野良猫達は戦闘態勢に入るが。
その殺気を鋭敏に感じ取ったのか、クルリと上手に着地した子猫は。
シャ!と、野良猫に白い牙を向いて、同じく瞬時に見事な戦闘態勢を取る。
その、子猫とはとても思えぬ、無駄の無い美しい動きに見惚れながら。
(・・・あれ?)
((この感覚はどこかで・・・?))
ライドウとゴウトが不思議な既視感を持った直後。
野良猫の群れは、やはり、どこかで見たような様子ですぐさまその場へと、へたり込み
「「「「にゃーにゃあにゃあにゃあ!にゃにゃーにゃあ!!!」」」」と。
どこかで見たような交渉を、カオル猫へと持ちかけ始めた。
「・・・ゴウト」
『・・・何だ』
「通訳を、頼む」
『・・・必要なかろう』
「念の為だ」
不穏な台詞の一つでもほざいていれば、即刻、全員、三味線にしてくれる!と、刀の柄に手をやる十四代目を見ながら。仕方なく、ゴウトは自分でも言ってて脱力するような、言葉を、呟いた。
『・・・・・・・・・“ニャかま”にしてほしいのだ、そうだ・・・』
チキ!!