「・・・今日は、さ。もう、帰ったほうが、いいよ、ライドウ」
「・・・」
ほとぼりが冷めた頃に、恐る恐る帰社した鳴海が見た光景は。
満腹になって眠くなった子猫様が、己の膝に上がってくるのを止めることなど出来もせず。
クルクル〜と甘い喉音を聞きながら、ソファから一歩も動けないで居る、哀れな幸せ者の姿。
「仕事にならないよね・・・というか、ホント、大丈夫?精神崩壊してない?」
「・・・」
己の閉じた脚の狭間で、うにょーんと伸びた可愛い子猫の姿に、もう声もなく、見惚れる若者に。
もう、いいから、とっとと帰れ、と。
鳴海は、コンと、ライドウがカオル猫を運んできた籠をぶつけてやった。
さて、その日の晩となりまして。
「あ、あの。まだ、寒いので、僕の布団で、寝ませんか?」
カオル、さん?と、おそるおそる聞いてくる人間の顔は、とても。
(ああ、やっぱり、綺麗だニャア)と、子猫はついうっかりと見蕩れる。
美味しい餌ももらえたし、落ち着くと変なこともしなかったし、何よりとっても綺麗だし。
ライドウへの印象を変えつつある子猫は、まじまじとその白い顔を見ながら、考える。
ホントは、本当は、嫌いでは無い、のだ。この綺麗な人間が。
むしろ、撫でられたり抱き上げられたり微笑みかけられたりしていると。
気持ちよくて、嬉しくて、幸せで。・・・泣きそうなほど、幸せで。
(どうしていいか、分からなくなるニャ)
でも。
(ホントはこんニャことしてちゃ、だめだニャって、心のどこかで・・・誰かが)
この人が大事なら、早く離れてあげないとダメだよ、って、悲しい声で誰かが、言うから。
そんなふうに思って、何だか悲しくなった、その時。
突然。
ふわり、と抱き上げられて。
「また、変なこと考えているでしょう。カオルさん」
至近距離で微笑まれ。
今度は、上手に優しく、抱きしめられて。
「知ってますよ。貴女、いつ、僕を、捨てようか、って、いつも、考えて、いるでしょう」
耳元で、詰られた。
“浮気をしたら即、離婚”以外に、結婚するときに貴女が僕に出した条件は、もう一つ。
“職場には絶対に来ない”
何だ、そんな当たり前の条件でいいのか、と思った僕はやはり貴女の掌の上の狐、だった。
「僕が仕事で女性と接触するとき、貴女は必ず、魔界に帰ります、よね。仕事だって言って」
ああ。そういう意味だったのかと、思い知りました。
そんなに、”離婚したい”んですね、貴女は。”僕を自由にするため”に。
「・・・酷い、ですよね」
よくよく考えれば、もう一つの条件も。
おかげで、僕は、魔界にも天界にも行けない。共に、戦闘も、できない。
戦いで、貴女が傷ついて、倒れても、助けに、すら、行けない。
たとえ、貴女が二度と、ここに帰ってこなくても、迎えに行くこと、すら。
その亡骸にすがりつくことすら、許してもらえない。
「ねえ。貴女が居ない間、僕がここで、どんな思いで待ってるか、貴女、知らないでしょう」
貴女が居なくなったら、僕は狂って死にますよって、何度言っても何度言っても、貴女は。
いつも、そうやって。隙さえあれば、僕の手を離そうと・・・。
「・・・ニャァ?」(・・・どうしたの?)
とても悲しそうにうつむいてしまった、綺麗な人が心配で子猫は小さく問いかける。
その音の響きに、少し心が浮上した男は、微かに微笑む。
「貴女は知らなくてもいいことですよ。カオルさん」
貴女が帰ってくるまで、怖くて、怖くて、叫びだしそうな思いで僕が待ってること、なんて。
無理に作った笑顔に、むう、と思った子猫は、ぺろ、と、愚かな人間の鼻先を舐め。
舐められた男は、どきりと、する。
もう一度、ぺろ、と舌先でつつかれて、ああ、慰めてくれているのだ、と。
嬉しくて、愛しくて。お返しとばかりにカオル猫の口元に、チュと小さく口付けると、とても優しいその感触に、子猫は思わず、ゴロゴロと喉を鳴らす。
やがて。
チュ、と己が口付けるたびに、腕の中の重みが増していくことに、気付いて。
ああ。やっぱり。
悪魔の呪いを解くのは、”コレ”で良かったわけ、ですね。
と。ライドウは、心の底から嬉しそうに、愛しい奥様を、抱きしめた。
そして、しばらくの間。一人と一匹は甘い、声の無い会話をずっと続けた。
・・・共に幸せな夢に入るまで。
翌朝
「えええええええええええーっ!!!!!」
件の若夫婦の部屋から素っ頓狂な悲鳴が響き、離れた小部屋で眠っていた黒猫は目を覚ます。
「・・・」
また、夫の方の声か。もう猫なのは分かったであろうに、今度は一体また何を。
そう思いつつも、わざわざと様子を見に行ってやった過保護な黒猫が目にしたものは。
「カ、カオル、さん?・・・ど、どうして、こんな中途半端な戻り方を・・・っ」
とてもきれいな・・・猫の耳と猫の尻尾と、ついでに人の耳も持っている。
・・・3歳ぐらいの可愛い子供を抱いて、絶句する14代目の姿だった・・・。