妖精の恋人 2


その夜。
見張るライドウ達の前で、眠る青年の影から、ポゥと光る何かが現れる。
長い髪、清廉な美貌、気品のある横顔。
ヒトの女に酷似したそれは、青年にふわりと覆いかぶさり、そして。

「そこまでだ」
今にも青年の生気を吸い取ろうとしたその瞬間に、ライドウは隙の無い構えでその悪魔と向き合う。
初め、驚きと不快感を示した美しい悪魔の貌は、ライドウの容姿を見てとった途端に、にっこりと。
・・・獲物を見つけた獣のようにひどく美しくにっこりと微笑んだ。

「「まあ、何と美しい御方でしょう。ああ、どうか、私の恋人になってくださいませ」」

宙に浮いたまま、音も立てずライドウの傍に寄ったソレは、艶を含んだ眼差しでライドウを射る。
しなやかに伸ばされた腕は、男の頬を包み、ゆっくりとその唇を寄せてくる。
10人の男が居れば、10人とも受け入れるであろうその誘惑の手を、しかし、パシ、と何の感慨も
無く振り払ったライドウは、「お前の名は?」と、ただ一言問うた。

くすり。手を払われたことに眉を寄せながらも、それは妖艶に笑う。
「「先に、貴方様のお名前を聞かせてくださいませ」」

――― それは罠。名前は力あるモノには呪として使われる。軽々しく言ってはならない。だが。
「彼」には、その憂慮は無縁のもの。

「葛葉ライドウ」
一瞬、その名を聞いて、怪訝そうにした悪魔は、ゆっくりとその美しい顔を引きつらせる。
「「悪魔召喚師」」
「そうだ」
それは通り名。記号としての名。取ることもできず、使うこともできず。しかし。
その意味する内容を知るモノにとっては、自身の消滅を覚悟させる、恐ろしき名。

ひぃ、と声にならぬ叫び声をあげ、悪魔は横たわる青年の影に再び逃げ込もうとするが。
「させぬ」
瞬時に抜き、投げつけた退魔刀が悪魔の衣の裾を貫き、床へと縫いとめる。
その刀を追って、音も無く自らに近寄る黒衣の悪魔召喚師の美しさに、ソレは目を奪われる。

窓には満月。
その光を背に受けて。
黒衣も、黒髪も、黒い瞳でさえ、その白磁の肌を引き立てるかのような。
・・・悪魔よりも美しい人間。

「名は?」
既に悪魔が支配下に入ったことを疑わぬ召喚師は、そう、ただ一言、問う。
「「リャナンシー」」
『妖精の恋人、か』

ヒトの男を愛し、その命を吸い取る、美しい女性の姿をとる悪魔。
彼女に魅入られた男はその呪縛から逃れられぬ限り、確実に早逝する。だが、その代わり。
・・・異様なほどの、天分を、詩才を、得ると言う。

「「私の誘惑を拒絶なされた貴方様は、ただいまより私の唯一の主」」
「この男の生気は、戻せるか?」
「「・・・残念ながら。もう作品へと昇華されておしまいになりましたので」」
「・・・そうか」

――― 暫くの後。
青白い月の光が差し込む部屋で、緑色の光がポウと輝く。蛍の営み火を思わせる、その刹那の明滅がおさまると。また、悪魔召喚師と黒猫は音も無く、部屋を出て行った。



◇◆◇


「いやーご苦労さまー」
(どこから爪を研いでやろうか・・・。この穀潰しが)

あれから数日後。
新調した衣装に身を包んだ鳴海を見ながら、ゴウトは爪を光らせる。
黒猫様の怒りなど全く気付きもせず、高額な報酬をその身に纏った探偵所長はご機嫌だ。

「うんうん。あの後、すぐに体調が良くなったって、電話があってさー。礼もはずんでくれて。
これも的確に依頼内容を把握した俺の手柄だよね。・・・あ、でも」
「でも?」
・・・今更過ぎるあれこれにはもはや頓着せぬことにしたライドウが、それだけを問い返す。

「何でも、ものすごく美しいモノを見たとかで。一生に一度の作品を書き上げる!って、意気込んだのに、 どうしても思ったように書けなくて、悩んでいるらしいよ」
「そう、ですか」

まーそんなことは、俺の所とは管轄外だからねー。さーて、珈琲でも入れよっかなー。

呑気な所長の声を聞きながら、俯いたままのライドウにゴウトは話しかける。
『気にするな』
「・・・気になど」
『あのままなら、じきに衰弱して死んでいた。そうなれば、どのみち創作もできぬ』
「・・・」
『それに』
「それに?」
『・・・いや、何でもない。少し部屋で休め』
分かったと、パタンと部屋を出て行ったライドウを見送って、黒猫は溜息をつく。


――― それに。
おそらく、「一生に一度の作品」の題材は、お前なのだ。
だから。
本当にこれっぽっちも気に病む必要など、無いのだ。


『・・・己に無頓着過ぎるのも、罪だな』

いずれはその点も指導する必要があるかと、思いながら。
十四代目のその無垢さもを愛している黒猫は、まあ、とりあえずはこのままでと。問題を先送りし。
くるりと。
探偵所のソファの上で、丸くなった。




Ende


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以下はリャナンシーの説明

リャナンシー
アイルランド出身。名は「妖精の恋人」という意味。男がこの悪魔の愛を受け入れると、
その男はこの悪魔の所有物となる。反対にこの悪魔の誘惑を拒めたものは、この悪魔を支配
できるという。またこの悪魔に魅入られると、異常なまでの詩才、天分に恵まれると言われ、
当地では、優れた詩の才を持つ者が早死にするのは、この悪魔に憑かれた故だと見なされた。