重陽 04



秋の夜。

美しい月の光の下で。
黒を纏った白磁の肌の少年は。
はらり、はらりと、その花を解す。

黄色のそれは、照り映える公孫樹に投げかける、秋の日の光のように。
薄紫のそれは、暮れることを惜しむような、秋の夕の光のように。

はらりはらりと、彼の白い指先が、落としていく、その光を。
一幅の絵のような、その光景を、黒猫と男は目を細めて、眺めた。






「菊酒って、言うんだよ」
少年が解した花びらを、酒に浮かべて、男は笑う。

ほら、今日は旧暦の九月九日。重陽の節句だろ。
昔から、この菊の節句には、酒に菊の花びらを浮かべて飲むんだよ。
ほんとは、一月ぐらいは漬け込んでおくもの、らしいんだけど。

(みやび)、ですね」
「い、いや。た、たまには、こういう、のも、いいかな、って、思ってさ」

にこ、と微笑んだ少年に、率直に褒められて、男は顔を赤くする。


「そ、それより、俺、お前に言いたいことが、あったんだ」
言いたいこと?、と聞いて、生真面目な少年は居住まいを正す。

「い、いや。そんな大したことじゃないから、足は、崩して」
そう、ですか、と、少し態度を軟化する少年の風情は、この情景の中では艶がありすぎて。
若干、不埒な感情を隠し持つ探偵は、困ったように目を逸らして、語り出す。

「・・・『人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく』って、知ってるか?」
暫しの時を置いて、少年は肯く。

「この言葉を使って、自分の思想を貫き通した男の、話。あるだろ」
ちょうど、この、頃に。

もう一度、ライドウは肯く。
知っている。有名な話だ。確か、『雨月物語』の、一編。

――― 菊の節句までに、戻ってくるからと。
どうか、待っていてくれと義兄弟に言い残した、その男は。
約束どおり、その日の、皆が寝静まった、夜遅くに帰ってきた。
自刃して、体を捨てて、魂だけに、なって。義弟との約束を果たす、それだけの為に。

「俺、あの話、嫌いなんだ」

そんな約束、破っても良かったじゃないか。
そんなことの、ために。そんなことを、守って。死ななくても。
もう二度と、会えなくなるほうが、残された者がどれだけ、辛いかって。

「日本的な美徳、なんだって、分かる、ことは分かる、けどさ」

俺は、嫌なんだよ。ライドウ。
お前は、きっと、その男と、同じだ。
義を重んじ、その為になら、己の命も厭わない。

だけど。

神妙な顔で、黙して聞いている助手が、再び正座しているのを、男は気づく。

「潔くなくても、美しくなくても、諦めが悪くても、いいからさ」

清流でしか生きられない魚に、泥の中で生きろっていうのは、残酷なのかもしれないけど。
それでも。

「生きてて、ほしいって、生きてて、ほしかったって、思う、んだ」

そう、言う、所長の瞳の先に。
今はもう居ない誰かが居ることを、慧眼なる少年は承知している。
己の信じるものの為に、己の命を騙すことができなかった、日本的な美徳を具現する、誰か。

――― 生きててほしかった、誰か。

置いていかれたものの、苦しみを、きっとこの人は誰よりも知っている。
ならば。その苦しみを与えない為に、己ができることは。

「生きて、帰ってきます」
「え?」

「僕は、泥の中でも結構平気ですから」
実は、諦めも相当悪いですよ、と。
相手の真意を、分かっているのか、分かっていないのか、分からない笑みを、少年は浮かべる。

その美しい笑みにうっかりと悩殺され。

「そ、そういや。せっかくの菊酒が、不味くなるな」
あ、でも、お前は酒はダメだぞ。お前用には、ちゃんとラムネを買ってきてあるから。
そ、そういや、持ってくるの、忘れてた。

では、僕が取ってきます、というのを留めて、
どこか、慌てた風で、赤い顔で階段を駆け下りる所長の足音に紛れ。

クスリ、と笑う黒猫に、何か、と少年は尋ねる。

『いや。・・・後で、鳴海にな。この花の名を知っているか、と聞いてやれ』
「この花?・・・菊、では無いのか」
『クックッ。いや、この紫の菊のほうだ。・・・別名がある』

――― それが、今の、我の答え(・・・・)だ、と付け加えてな。





暫しの後。

菊酒と菊ラムネで、雅な秋の夜を過ごした後に。
黒猫に言われた通りの質問を、宝物の少年から投げかけられた探偵所長は。

「うっわー。やっぱり、ゴウトちゃん。俺の言ったこと全部、分かってたんだ〜!!」と。

この日、一番の赤い顔で、叫ぶこととなった。


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※ ネタは『雨月物語』の「菊花の約」。
こういう表現はどうかと思いますが、腐女子的にも必読の書。

実は、幾つか、学術論文とかも漁りに行きましたが・・・。
真っ当な論文でもやはり「この話はそういう(・・・・)話でしょう」と太鼓判w。