数日前、男は最愛の者と体を繋げた。……その、心も共に。
故に、その後の自分が、何らかの狂いを生じさせることも予測はしていた。
――― ある、程度は。
だが。
その次の朝、意識を戻さぬままのその者を、今はそれを庇護する役目のモノに手渡し。
心ならずも、一時、自分の傍から手放した、その暁から延々と。
男を襲ったのは、不可解な、未知の感情。
男はけして惰弱な者では無かった。
同年代の者など比ぶるまでもない。齢を重ね経験を積んだ者すら戸惑うほどに強きその体と心。
幼き頃より積み重ねた鍛錬と努力によるその結実は、けして己惚れ等では無く。
それでも、その、空恐ろしくなるような、自分で自分の心の臓を食い破るような、その。
激痛、とすら知覚できる、その未だかつて覚えの無い感情に、その男が苦しむこと一昼夜。
朝、と言えぬほどに太陽の傾斜角が垂直に近くなった頃に。
にこり、と どこか照れたように笑って、それが戻ってきたとき。
その笑顔を、ただいまという優しい声を、忘れられぬ肌の香を、温度を、目の前に。
やっと、男は理解したのだ。
――― あれは、喪失であったと。
――― それは、飢餓であったと。
知らず、その者を抱き寄せてきつく拘束しようと動く腕を、己が意思で必死に留めながら。
……これは、渇望である。
と。
そして、気づいたその瞬間に男は知る。
自らの深淵が、がばりと顎を開き、どろりと濁る醜いモノが己を覆うのを。
時を置かず、また男は知る。
それはもう既に、随分と前より、自らの内も外も覆っていたのだ。
いや、その醜いモノこそが己自身なのだ。
それを、見ぬ振りをしていただけなのだ。
と。
そのときから。
男は、その最愛の者に極力、触れようとはしなくなった。
……あらゆる意味合いにおいて。
手も触れず、視線も合わさず、必要最小限の会話のみで接触を避けようとするその様子に。
彼の者の瞳がゆるりと傷つき、やがて諦めの色を生して、暗く孤を描いたのにも気づかぬまま。