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逃げてもいいのですよ、と。男は言った。 羊水のように温かく、たゆたう液体の中で。 ……先に、出て……部屋で、待って、います。 でも。 もし、嫌なら。部屋に入ったときに、そう、言ってください。 僕が、貴方に、触れる前に、言って、ください。 きっと。触れてしまったら、もう。 そう、言い残した男の部屋に向かい。 その部屋の扉を開けて。 どこか儚げにこちらを向く、その切なげな表情に悪魔の胸が詰まる。 何て、顔をするんだよ。お前。 しばしの後、悪魔が「ライドウ」と声をかけると。 男は、ビクリと、近づく足の速度を緩める。 「俺は、お前に、何の言葉も、やれない」 「……」 沈黙は承諾の意。男は静かに悪魔を見る。 「俺は、何も、返せない」 「俺は、何も、残せない」 「いいのか、それでも」 あと、少しで触れ合う位置で止まり、男もまた、言葉を返す。 「貴方の命を返してしまったら、貴方に憎まれると、思って、いました」 そうなれば 「貴方の後を追っても、貴方は傷つかないの、では、と」 でも 「おそらく、貴方は僕を憎んではくれない」 そして 「僕も貴方を憎むことなど、できない」 ならば 「愛することしか、できないならば、たとえ一刹那だけでも」 ……貴方に一番近いところに居てはいけませんか。 黒い瞳が覗き込むと、灰色の瞳はどこか戸惑ったようにその光を返し、暫し惑ってから ゆっくりと瞼を下ろし。それを許しの合図のように、男はそっと悪魔を抱きしめ、唇を重ねた。 第三夜(※女性体につき注意) 第一夜 裏top |