逢魔ガ時 12


「オイタはそこまでだよ。"坊"」

よくも、僕と"老"が不在のときを狙って、抜け出してくれたものだね。
そう、その、帽子を被った金髪の男は、溜息混じりに呟き。

あの時の既視感はこれかと思うライドウに、哀しい兄妹を操って遊んだその悪魔は心話で囁く。

(遅くなってすまないね、ライドウ、無事でなにより。まぁ。シュラがどんな手段を使ってでも、キミを守っているのは 分かっていたけれどね。……ああ、悪いけど、僕が時間を潰すから。そのまま、その子を守っていて くれないかな。人格を取り込んだ後のその子は、しばらく動けなくなるのだよ)

軽く肯いたライドウが、目を閉じたまま動かないシュラを抱きしめるのを確かめると、金髪の青年は、 弟のような容を採る「それ」に向き直った。

「今回は、君の負けだよ。坊。……ねぇ。寝起きの癇癪で、大切な玩具を壊すつもり?」

ギン、と睨み返す小さな青い瞳の色は、その憎しみで相手を殺せるほどに強い。
その憎しみを快さ気に受け止めて、青年は言葉を続ける。

「ふふ。思い出したよ。君が初めてア・シュラを出した、あの時も酷かったねぇ」

君がつけたシュラの傷に回復魔法を使った彼の仲魔に癇癪を起こして。
たしか……。腕と脚を片方ずつ もがれたピクシーが、僕と老を呼びに飛んできたっけ。文字通り。
仕方なく様子を見に行ってみたら、他の子は"もっと酷い"有様だったけどねぇ。可哀想に。

黒猫の髭がピクリと動き、ライドウの黒い瞳が怒りに見開かれる。
シュラが"自分の為"には仲魔も呼ばず、回復すらしなかった理由はこれか。
……彼が、あれほどに脅え、畏れていたのは、配役を変えたその惨劇の再演。

二人の動揺に気付いた青年が再び、心話を送る。

(坊が気付くからそれ以上は抑えて、ライドウ。いや、しかし、キミはともかく、黒猫君やキミの仲魔までが全員無事とは 思わなかったよ。坊の理不尽な怒りが彼らに向かないように、この子がどれだけ 苦労したか、眼に見えるようだ。……まあ、感謝するんだね。もし、坊をちょっとでも 怒らせたら、彼ら全員が、シュラの仲魔の二の舞だったわけだ)

まあ、でも。坊、と。心話と器用に重なって声が聞こえる。

「悲しみと怒りで砕け落ちる寸前のシュラを守るために、初めて僕たちの前で顕在化したア・シュラが 君のお気に入りになったのは不幸中の幸い、かな。まあ、ア・シュラの、またシュラとは異なる 強さと、弱さと、美しさは僕も個人的に気に入ってはいたけれどね」

シュラを守る為だけに生まれた、シュラを何よりも愛するあの悲しくて愛しい人格をね。
……でも、もう、逢えないなんて。少し、寂しいね。キミもそうだろう、坊?

そう(うそぶ)く「兄」に、金髪の子供は憎悪に満ちた言葉を叩きかえす。

「……ナニがいいたいの?チュウコク?それとも、まさか、メイレイするキ?」
僕に?お前が?……僕たちの"残り滓"の分際で!

「言ってくれるねぇ」
クスクス、と、「兄」は「弟」に笑う。

確かにその通り、だけどね。この閉じられた特異点では、この程度の能力で十分だったのだから。

――― けれど、ね。
「老も僕と同意見だよ?」

これまでで一番強い口調で落とされたその言葉に、金髪の子供がピクリと頬を歪ませる。

「ロウ、が?」
「ああ、そう言ってたよ」
もし坊が従わないのなら、もう"同化"するべきだ、とね。

……同化、と少し擦れた声で、幼い口元がどこか虚ろに繰り返す。

「そろそろ今回の"分化"も限界だからね。だから君もそれほどに不安定になっているのだろう?」
分かるよ。僕も、"そう"だからね。
そもそも、分けた魔力と精神を安定させる役目の「彼女達」ですら、音を上げてしまって久しい。
これ以上、分化を続けるのは、ある意味で命取りだ。

――― だけど。それでも。

「君は、まだ同化したくはないだろう?……僕も、だよ。そして本当は老もそうだ」
だって、僕たちは、まだ誰も本当の意味で、この子を手に入れてはいないのだから。

その言葉と共に、ライドウの腕の中の悪魔をちろり、と "兄弟"揃って見やる視線に。

「喪服の女」が不在であった理由に納得しながらも、ライドウの背中はゾクリと震える。
本当の意味で、手に入れる?
それは、どう、いう。

クス、と、その動揺に気付いたように、青年の姿を採る悪魔は本当の声で話しかけてくる。

「ねえ。ライドウ。君は不思議に思ったことは無いかい?」
「……何、を」

その問いは、自分への(もてあそ)びであるが、 同時に、シュラの回復を待つ時間稼ぎでもあろうと判断し、ライドウは素直に言葉を返す。

そして(そうそう、上手だね)とワカは笑い、会話は続く。

「どうして、こんな優しい子が、"人修羅"に、"混沌王"に選ばれたんだろうかって」
もっと残忍な大人も、冷酷な子も、君のように優れた能力者も、いくらでも居たのに。

「……」

……そう。それは、彼の"人となり"を知ってから、ずっと心の奥にあった疑問。
――― なぜ、こんなにも優しい彼が、最強最悪の悪魔で、あるのか、と。
いつからか。彼のそのしなやかな、独特の強さを知ってからは、思わなくなっていった、疑問。

黙考するライドウを満足げに見やり、ワカはボウに にこり、と微笑んでみせる。

「ねえ、坊。僕はよく知っているよ。君がどうして(・・・・ )カオル(・・・)を選んだか」
――― だって、"君"は "僕"だからね。

「この子が、身の内に、果ての無い闇と光を同時に抱えていたから、だけじゃないだろう?」
だって、"人"は誰しも、「そういう」生き物なのだから。程度の差こそあれ。

「正直に、言ってごらん」
この子が "育って"いく様子を、どれだけ愛しく見守っていたか、を。

そう、楽しげに話しながら。
ねえ、坊、と繰り返す口元は、ゆうるりと残酷な喜びに弧を描いていく。

「戦うたびに、この優しい心が、叫んで、傷ついて、血みどろに染まっていくのを」
楽しんで、愉しんで見ていただろう?

「戦うたびに、この柔らかい心が、血を流し、悲鳴をあげ、強く、美しくなっていくのを」
誰よりも、何よりも、愛しく思っていただろう?

「戦うたびに、この美しい心が、痛みに磨かれ、赤く染まって、より輝きを増すのを」
大事な、宝物のように、うっとりと、眺めていただろう?

――― よく、分かるよ。だって、"僕"は "君"だからね。

何の痛痒も感じぬように、無表情にその弾劾を受けるボウと対比するかのごとく。
「その結論」の先を知って、ふるり、と身を震わせるライドウと、ゴウトを見て。
青年の容をした、魔王はくすくすと、嗤う。

「そう。そうだよ。ライドウ。僕たちがこの子を選んだ最大の理由は」

――― この子が誰よりも傷つきやすい、優しい柔らかい美しい心を持っていたからだよ。













いつかの、声が。

「「更に強く、美しゅうなられましたな」」
(おいたわしい、こと。どれだけ、傷つかれたのか)

あの時の、アマテラスの声が、聞こえるような気が、した。





next→

←back


帝都top



……ねえ。正直に、言ってごらん? "君"も不思議に思っていた、だろう?