逢魔ガ時 21


「い、や、です」
「……ライドウ」

困惑の色を濃くする、悪魔の己を呼ぶ声。
それでも、悪魔召喚師は、何度も、何度も首を横に振る。

――― 嫌、だ。忘れ、たくない。
"夜"が、永遠に僕の心と体を苛んで、蝕んで、壊し続けても。離したくない。失いたく、ない。
貴方を愛した記憶を、取られたく、ない。

「ライドウ、お願い、だから」
心、閉じないで。俺の言葉、受け入れて。でないと、記憶、消せないよ。

ただ首を振る僕に向けられる、優しすぎる懇願の音。とても、哀しげな、苦しげな。
……胸が痛む。僕はいつも、貴方を困らせることしか、できない。

それでも。
これだけは。

「嫌、です」

何て。惰弱な。
頑是無い子供のように、嫌だと、首を振ることしか、できぬ、とは。

す、と傍に座る気配がして、そっと肩を抱き締められる。それでも顔を上げない僕に、
ね、ライドウ。と、幼子に語りかけるように貴方が優しく言葉を落とす。

「ごめん、ね。ライドウ」
首を振る。貴方が、貴方が僕に謝ることなど、ひとつだって、ありはしない。
謝らないで。そんな、悲しい声を出さないで。言うことを聞いて、しまいたく、なる。


やがて。ふぅ、と。何かを振り切るような溜息。続く声はどこか、固い。

「……ね。聞いて、ライドウ。……ホントは、さ、お前は俺なんか愛してないんだよ」
――― え?

「お前のそれは錯覚、だよ」
「なに、を」

いきなり、何を、彼が言い出したのか、理解できない。
僕が(・・)貴方を愛していない(・・・・・・・・・)

思わず上げた僕の顔を覗き込んで、貴方は母親のような表情を浮かべる。

この、気持ちが、想いが、錯覚?
何を、馬鹿なことを……。

戸惑う僕に言い聞かせるように貴方が微笑んで、言葉の刃を投げる。

「ほら、ボルテクスで。お前の瑕にさ、俺の命が入り込んだから。……お前勘違いしちゃったんだよ」

――― 勘、違い? この、体中を引き裂かれるような痛みが?

呆然として、ただ、首を振る。
「違、い、ます」
言葉が、それしか、出ない。

――― 違う、違う違う違う! いくら僕が愚かでも、それぐらいは分かる。
この、身を食い破るような想いが、錯覚でなど、勘違いでなど、ある、はずが。
……でも。

言葉の裏側で気付かされた、残酷すぎる事実は、ゆっくりと男の心を崩壊させていく。

……では、まさか、貴方は今まで(・・・)一度も(・・・)


「違わないよ。ライドウ。お前みたいな綺麗な人間が、俺なんかを愛するはずがない」
(この子は「絶対の否定」を自らに科しているから、その洞察力が 自分には向かないのだよ)

「違います!錯覚などでは」
「違わないよ」
(カオルは他者も、その愛情も信じられない)

「違う!」
「違わない」
(自分にヒトから愛される価値があることなど、彼は、決して信じない)

「違う!違う違う違う!」
「違わない。ライドウ」
「……っ」

……まるで、異なる言語を、話して、いる、ようだ。僕の言の葉は欠片も、通じない。

言葉が届かぬ無力さと、絶望に苛まれながら、男は残酷な真実を理解する。



――― では。貴方は今まで、ただの一度も(・・・・・・)僕の気持ちを(・・・・・・)信じては(・・・・)いなかった (・・・・・)、のか。



引き裂かれる心のソレを誤魔化すために。
知らず、地面を抉り、痛みを得たがる白い指に気付き、そっと悪魔の指先が止める。
……いつも、そうだ。貴方はこんなにも、優しいのに。どうして、こんなにも、残酷で、いられる?

血のにじむ指先を哀しそうに見て、悪魔が言葉を続ける。
「……ごめん。もっと早くに言えば、良かったんだけど」
俺が、弱い、から。……ごめん。
「違、う」

弱いのは貴方じゃない。痛いのは指じゃない。血を流しているのは、身体じゃ、ない。
貴方は、こんなに、優しいのに。どうして、気付いて、くれない。

こんなにも、苦しいのに。愛しいのに。愛しているのに、愛しているのに、 愛して、いる、のに!






――― でも、どれだけ、言葉を尽くしても。

貴方は、信じない、のだ。

(カオルは絶望したんだよ)

僕が、貴方を、愛している、ことを。

信じて、くれない、のだ。

(自分が醜い悪魔だから、この美しい人間は何度も自分を殺そうと するんだってなあ!)

……僕がヒトだから。

貴方を傷つけ続けた、弱い、愚かな醜いヒトだから。






「……は」

己の喉から、乾いた笑い声が出るのを知覚する。

「は、はは」
何もかもが、腑に落ちる。

だから(・・・)、貴方は僕を連れて行かない、のだ。平気で置き去りにできる、のだ。
僕が貴方を愛していることなど、ただのひとかけらも、信じていない、から。
だから、何もかもを消そうとするのだ。それが、僕の幸せだと、疑いもせずに。

「……は、は。……・っ」
笑い声が嗚咽に変わる。愛しさと哀しさが絡み合って、心は混沌(あなた)へと堕ちる。







では。

あの夜もあの夜もあの夜も。

貴方は、貴方を愛していない男だと、信じて、それでも、身を委ねたのか。
あんな、目に、遭わされてまで、抱かれ続けた、と。
貴方を、愛してもいない、はずの、男に?

いつか、必ず、その、記憶を、自分の手で、奪うのだと、思いながら、傍に、いた、のか。
その、愚かな、男の、為に?




「……ぁ……っ」





――― 哀しい。

貴方のその、独りよがりな、歪な無償の愛が、ただ、哀しい。








そして。



貴方をそんな哀しい生き物に創り上げた人間達が。



その哀しさに気付かないままに、貴方の身体を弄んでいた自分が。



貴方の闇の、欠片もはらうことができない無力な自分が。



いつも。

貴方を傷つけることしか、できない自分が。







心の底から。






憎い。





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……「だから」、つれていきません。