「泣かないで」
ああ、まただ。また、俺のせいで、コイツが、傷つく。
――― やめて、ください。
「ごめん、な、ライドウ」
謝って、済むなんて、思っちゃいない、けど。
――― 謝らないで、ください。ああ、いっそ、詰ってくれれば、いいのに。
「……俺と居ると、お前、傷ついてばっかだな」
違う、って言いたそうな、顔をする。ありがとう。でも、いいんだ、無理、しなくて。
――― 違う。逆だ。僕と居るから、貴方が、傷つくのだ。
「もう、少ししたら、俺、消える、からさ」
もう、少しだけ、お前と居させて、もらって、いいかな。
――― 優しい、貴方が、最後に、何を言いたいのか。
「俺のワガママで。ゴメン、な」
もう、迷惑、かけない、から。
――― 僕に何を望んでいるのか、分かって、います。
「……でも、俺、さ。お前にとっては偽物、かもしれないけど、さ」
それでも、言って、おきたい、んだ。ゴメン。
――― でも。お願いです。……この記憶を、奪わないで。僕から、貴方を、奪わないで。
「お前のこと、大事、なんだよ。……傍に、居たい、んだ」
許される限りは。それは、あと、ほんの、少しの、時間、だから。
――― 貴方のこの瑕を、忘れてしまったら。きっと、また、僕は。貴方を。
「俺のエゴだって、分かってる、けど」
自分勝手に、過ぎるって、よく、分かってる、けど。
――― 貴方を、傷つける。さっきのように。ボルテクスでのように。
「俺、お前だけは、守りたいんだよ」
……なのに、どうしてだろう。傷つけて、ばっかりだ。お前のこと。
――― 守りたい。守りたいのに、貴方を。……なのに、僕は、気付けば、いつも。
「だから、お願いだよ。……記憶、消させて」
その、強い強い、心の壁を。扉を、開けて。俺の声、受け入れて。
――― お願い、です。もう、僕に。もう、貴方を、傷つけさせないで。
同じ強さの同じ想いは、同じ方向を示す、故に。それは平行を辿る。
けれど。
無為な時間を過ごす危うさを誰よりも知る悪魔の頭脳は、それを打開するべく動きだす。
常に最良の一手を探らんとする、魔界有数の将としての能力を、遺憾なく発揮させて。
「……ライドウ」
やがて、赤い瞳が、黒い瞳を捕らえる。強い意志をこめて。
「信じて、もらえない、だろうけど、偽物、かもしれない、けど、言わせて」
これだけで、いいから、俺の言うこと、聞いて。
「……っ、シュ、ラ……ッ」
これまでに、聞いたことも無いほどの強い力の篭もる、それでいて甘い、声。
その言霊の力は、最強の悪魔召喚師の抵抗すら、凌駕し、
彼の心臓をトクリと打ち、身体をビクリと震えさせる。
ああ、囚われる、と怯えた耳に入った言葉は。
「……愛してるよ。ライドウ。お前だけだ」
「!」
……哀れな悪魔召喚師から、全ての思考を奪った。
◇◆◇
それは、ずっと、欲しかった言葉。
唯一埋まらなかった心の瑕、……最後の、隙間。
欲しくて、欲しくてたまらなくて、でも、けして、もらえることはないと、どこかで諦めていた音。
たとえ、この欠落が永遠に埋まらなくとも、この悪魔が居れば、それでいいのだと、言い聞かせて。
でも、本当は、ずっと。……ずっと、諦められなかった恋焦がれていた、欠片。
その最後のピースがパチリと埋まった音が、どこかで、して。
無意識に、無防備に、悪魔召喚師の唇は、腕は、動く。
愛しい悪魔の、残酷な思惑の方へと。
やっと手に入れた心を逃がさぬようにと、辿りついた腕は檻を成し。
流れる全ての音を零さぬようにと、唇は間近へ引き寄せられる。
「本、当に?」
「……うん」
「もう、一度。言って、ください」
「……愛してるよ」
「もう、一度」
「……愛してる。ライドウ」
もう一度、と何度も、繰り返し。繰り返させて。
抱きすくめた悪魔の愛しい体が、自分の腕の中で、何度もその言葉を紡ぐのを聞きながら。
黒い瞳は、再び一筋の涙を落とす。
――― 嬉、しい。
こんなとき、なのに、死んでもいい、ほどに、嬉しい。
あんなに、傷つけたのに。あんなに、酷いことを、言ったのに。
貴方はこんなにも、優しい。
ああ、もう、どうなっても、いい。
この悪魔のためならば、もう、どう、なっても、僕は。
甘い涙を落とす人の顔を、安心したように、でもどこか哀しそうに見つめた悪魔は、
零れ落ちた滴を唇で掬い取り。両手で頬を優しく包んで、その黒い瞳を覗き込む。
瞳を合わせながら、ゆっくりと顔を近づけて。そっ、と、唇を触れ合わせて。
もう一度、強い言の葉を、紡ぐ。
「愛してるよ。だから」
オレノコト、ワスレテ。ライドウ。
――― 完全に無防備になった男の心に、悪魔は優しく微笑んで、そう命じた。