IRIS 03



「今日カラハ、新シイ課題ニ取リ組ンデミマショウ」
――― ある程度、文法も身についたことですし、ドイツ語の作品を読解していきます。

「誰の作品なのですか?」
「Hermann Hesse デス」

「ヘルマン・ヘッセ?」
「あ!知ってます・・・確か、『車輪の下』」

「Ja. 『Unterm Rad』 ハ、有名デスネ」
――― ですが、私個人としては、今の皆さんに、あれを読んでほしくは無いので。
彼の、『Märchen』という作品から、幾つか選びたいと、思います。

「先生。メルヒェンって、たしか、御伽噺、ですよね。赤頭巾とか、白雪姫、とか」
そんな子供っぽいのするんですか、と、暗に不満を見せる 幼い子供(・・)に教師はニッと笑う。

「確カニ名前ハMärchenデスガ」
――― おそらく、あなたの思っているものとは、全く違いますよ。
それを分かってもらうためにも、とりあえず、この3つの作品を手始めにやってみましょう、と。

そう言って、教師は題名を板書し始め。

『Augustus』(アウグスツス)

『Merkwurdige Nachricht von einem andern Stern』(別の星の奇妙なたより)

『Iris』(イリス(アヤメ))


「!」

最後に書かれた題名を見て、ライドウの鼓動はトクリ、と音を立てた。



◇◆◇




「しかし、組に分担して読解。毎回進んだところまで前に出て発表する、なんて、驚いたよ」
「最初はどうなることかと思ったけど、やってみると面白いな」
「ああ、ほとんどの語句は先生が訳をつけてあるし、全訳しないといけない文は・・・」
「・・・うん。いい文章ばっかりだ。・・・話も」

文章読解の共同作業など、したことが無かった少年達の当初の戸惑いは。
やがて、若く聡明な彼等が、優秀なる教師の深遠な思惑を捉えたことで、感謝へと変わる。

「『アウグスツス』の、さ。"君は、もう、金も宝も、権力も女の愛もいらないだろう"ってとことか」
「うん。考えさせられたよな・・・。誰からも愛される、って素敵なことだと思ってたのに」
「本当に、そう、なったら・・・俺も、きっとああなると思うな。アウグスツスみたいに」
「それとさ。あと、『Merk・・・」

言いかけて、賢明な少年は口を噤み、そっと周囲を伺う。
その作品は、一語たりとも"日本語"で残すことを、教師は許さなかった、から。

「・・・うん。それも良かった、よな。でも」
もう、話さないほうがいいんだよな、と寂しげに彼等は黙ってその事実を受け止めた。

『Merkwurdige Nachricht von einem andern Stern』(別の星の奇妙なたより)

――― それは、戦争も殺人も絶望も無い、別の星から来た少年の、話。

彼は言うのだ。”軍隊を持ち、戦争を続ける国”の悲しい王に。
あなた方の生活は悪夢のようだ。
でも、本当は、あなた方は、気付いているのではないか。
戦い続ける自分達が、”正しいことをしていない”、ことに・・・と。

(コノ作品ノ受ケ取リ方ハ、人ソレゾレデイイト、思イマス。
――― ただ、ある種の人々は、この文章を見ると不快な思いにとらわれるでしょう。
そして、この文章を知るものを憎むでしょう。
・・・それは、今のこの国を生きる、皆さんにとって、おそらく、いいことではありません。)

そう、諭すように言った教師の真摯な青い瞳は、少年達の思慮を更に深くさせたのだ。

「そ、そういえば、今日からついに"IRIS"だよな!」
慌てて、話題を変えるように、クラスでもムードメーカーな少年が楽しげに言う。

「ああ、うん。俺も楽しみなんだ!」
「僕もだ。次はどんな深い意味を持った話なのかって」
「うん。隠された意味に、気付いていくのが楽しい、よな。謎解きみたいで」

いつしか彼等は気付いていた。この"読解"が、文章だけのそれでは無いことに。
広い視点の肝要さを示そうとする教師が、これからの人生を考えるために必要な何かを
自分達にこういう形で与えてくれているのだ、ということに。

「楽しいって、言えばさ。俺たち、前はこんなふうに話したりすること、少なかったよな。でも」
「うんうん。たくさん話すようになったよな。・・・っと、ほら、特に」

あ!、と。
話していた少年達は、皆、ガラガラと開いた教室の扉を、嬉しそうに見る。

「おはよう、ライドウ!」
「今日は来れたんだな!!」
「・・・おはようございます」

そっけないほどの挨拶しか返さない彼が、本当はとてもいいヤツだということを、皆知っている。

「お前も大変だよなー!勤労学生って、聞いてたけど、ホントしょっちゅう休んでさ」
「・・・そうだ。ライドウ。休んでいたときの授業内容、見るか?」

ありがとう、と。微かに、本当に微かに笑む彼の表情に、少年達はうっとりと見惚れる。

「いつも、すまない。・・・すぐに写して、返す」
「あ!それ、もう、返さなくていいから!!」
「・・・え?」
「も、もう写しておいたんだ。お、おれの汚い字でどうかな、とは思ったんだけど」
お、お前、忙しいのに、大変だなって、お、思って。

きょとん、とするライドウの前で、そう言う少年の頬は真っ赤だ。

(ず、ずりぃ、アイツ! 抜け駆けだ!!)
(くそ。よ、よし!・・・つ、次は、俺が)
(おい、待てよ。また揉めるぞ。交代制を採ろう)
(・・・また、”対ライドウ不可侵条約”に一項、追加か)
(はー。もっと早くあんなヤツだと分かっていたらなぁ)
(うんうん。真面目だわ優しいわ賢いわ・・・綺麗だわ)
(責任感強くて、男らしいし、おまけに)
((((思いのほか、熱い!))))

と。
この授業での共同作業を通して、やっと知りえた"級友の魅力"に総落ちした少年達は。
本当にありがとう、と、頭を下げるライドウの前で、カチンコチンになる少年を羨ましげに睨んだ。



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”対ライドウ不可侵条約”を締結したらしい、弓月の君師範学校 某学年某組総員。
熱いって、ほら、熱血漢って、そういう意味の。・・・え?他にどんな意味がって?w
あの世代だと、見た目美人なバンカラ漢って、きっと大人気・・・アリと思います!!

しかし大正20年=昭和5年は、戦争という観点では本当に微妙な時期ですね。

ライドウ世界が正規なら、今でも軍隊は存続してしまうのだろうか、と、ふと。