シュラよ。
何ですか。ゴウトさん。
ペンダントの秘密、とは何だ。
心配いりません・・・多分、ライドウだけでは秘密は解けません、から。
な、それは、どういうことだ。ライドウを騙した、のか?あの場をしのぐために。
いえ。嘘ではありません。ただ・・・一人では解けない、と思います。
他者の協力が必要ということか?
ええ。Irisは難解に過ぎます。・・・訳文が出るのもまだ先でしょう。
訳文?
いえ、独り言です・・・ただ、いつかは。
いつか。
ええ。ライドウ一人、であれば、長い、長い時を過ごせば、いつかは。
一人、であれば?
・・・共に読み解く教師と、友が居れば、恐らくはもっと、早く。
なるほど教師と友、か。・・・では、謎が解けたその時は、本当にライドウを受け入れる気か?
・・・“その時”は、ライドウは、きっともう、俺なんかを必要としませんよ。ゴウトさん。
◇◆◇
諦めたような優しい笑みを思い起こしながら、ゴウトの心はじくり、と痛む。
幸福の概念、とは、人それぞれに異なるとは、思うが。
学ぶことの喜びを知るものは、人生の喜びをもまた知る、・・・それは、自明の理。
誰に強制されるわけでもなく、新しい事象を、その真実を、追究する過程の面白さ。
それは探究心とでも呼べばいいのだろうか、それとも向上心か。
自ら、より高みの学問を、より深みの思想を目指し、得ようとする姿勢。
それも、それが単独ではなく。
このライドウをして、難解と言わしめるほどの文章を共に読み解けるほどに
優れた教師。信頼できる友人。彼らと共に学び、切磋琢磨し、新しい知識を得る、その経験。
なるほど。
(確かに“それ”は、ほぼ全ての人にとって、生きる為の必要十分条件の一つであろう)
信頼できる教師に導かれ、優秀な友人たちと協力し、理解ある大人に護られて、
知らぬ言語を知り、知らぬ文化を知り、新しい拓かれた世界に出会うことは、
若者にとって、どれだけの”喜び”であり、”幸福”であろうか。
だが。と、ゴウトの心は、また、じくりと痛む。
“それ”は、正に、ボルテクスでお前が演じさせられた惨劇の裏返し、だったのだな。シュラ。
◇◆◇
堕ちた教師。壊れた友人。理解の範疇を超えて醜く変貌していく大人たち。
彼らと共に憎みあい、壊し合い、新しい世界を産むために延々と受け続ける”陣痛”。
(それほどに、苦しかったか)
(それほどに、渇望したか、絶望したか)
(故にお前はこれほどに、ライドウを大切に思ったか)
お前が失った、人としての幸せを全てライドウに与えたいと、願うほどに。
ライドウが、唯一、お前の手の中に残った、”美しい、人のGestalt”で、あった故に。
ずくりずくり、と痛む心を抱えて、すまぬ、と黒猫は思う。
もっと。お前に優しくしてやれば、良かった。
我はお前のことも、大事に思うていたと、きちんと、口に出して、言ってやれば、良かった。
せめて、もう一回だけでも、本当に嬉しそうな心からの笑顔を、浮かべさせてやれば、良かった。
・・・もう、二度と、叶わぬ、コトを、願うなど、我ながら、軟弱で、あることよ、と思いつつ。
これは、後悔だ。
これは、自らの心を慰める帰結しか得ぬ、自慰行為だ。
そう、分かっていながらも。
もう一度、すまぬ、とゴウトは心の中で呟いた。