IRIS 10



“ Ich möchte dir eine Aufgabe stellen,” 
「貴方に一つ課題を出したいと思います」

“ Tue das, es ist dein Recht,”
「そう、してください。それは貴女の権利だ」




「でも、納得いかないんだよな」
「イリスさんの出した、課題、か?」
「そうだよな」


――― Leb wohl, Anselm!
さようなら。アンゼルムさん。

Ich gebe dir die Hand und bitte dich : Geh und sieh,
私は貴方の手を取って願います。行って、そして探してください。

daß du das in deinem Gedächtnis wiederfindest,worando durch meinen Namen erinnert wirst.
私の名前を聞いて貴方が思い出すという何かを。貴方の記憶の中から。



「訳が分からないよ!Irisの意味を考えろだなんて!!」
「求婚を断るなら断るで、すっきりさっぱりそう言えばいいのに」

女の分際で(さか)しらなことを言って生意気な、と憤慨する少年達はまだまだこの時代の男尊女卑の思考から抜け出せてはいない。

「・・・比喩、なのでは無いだろうか」
「ライドウ?」「葛葉君?」

思わずと、その批判から庇うように、声が出たのは、どこかで彼とIrisを重ね合わせてだろうか。
・・・それとも、今の己と、アンゼルムを。

「“地上の全ての現象は、一つの比喩である”」
ああ、と思い出したように肯く級友を見て、ライドウは続ける。声の震えを隠して。

「アンゼルムが生きる上で大切なことを見失っていることに、気付いて、それで、彼女は」

彼の為に。彼が、幸せに生きていけるように。そんな、不可思議な、課題を。
僕の為に。僕が、幸せにいきていけるように。こんな、残酷な、課題を。

――― その、大切な何かさえ、見つかれば。

Irisは、そう、アンゼルムに約したのだ。
貴方が私に惹かれたのは、貴方が過去に失った大切な何かと私の名が結びついているからだと。だから、その、Irisという言葉に秘された本当の意味をアンゼルムが見出すことができれば。

それさえ、できれば。



Am Tage, wo du es wiedergefunden hast, will ich als deine Frau mit dir hingehen,
貴方がそれを再び見つけたその日には、私は貴方の妻としてついてまいります。

wohin du willst, und keine Wünsche mehr habe, als deine.
貴方の望む場所にどこにでも。そして、貴方の願い以上の願いを、持つことはありません。



黙り込んでしまったライドウを見て、何かを感じたか気遣うように級友がまた話し出す。

「・・・そう、かもしれないな。何らかの意図があるのだろうな」
「でも、さぁ。だからって、残酷だよ。イリスさん。気を持たすようなことしてさぁ」
「だよな。好きなら一緒に探せばいいじゃないか。その方が効率的だし」

何か、理由があるのかなぁ、と。
少年達が軽く笑いあったその数十分後に、イリスの意図は、明らかとなった。

妻となりたいと思うほどに大切な男のそばに、共に居ることができなかった理由が。




「・・・komm mit! Sie will sterben, sie liegt seit langem krank.」

――― えっ?

教師の流暢な、バステノールの響きで語られた、その一文に。
既にある程度、耳だけで原文を理解できるようになっていた一部の生徒が驚愕に顔を上げる。

その内でも、もっとも早く、その白磁の顔を、更に蒼白とした生徒を一瞬だけ、哀しげに見やり。
ドイツ語の教師は、アンゼルムを尋ねてきたイリスの兄の台詞を、日本語へと訳した。

「・・・一緒に来てくれ。イリスはもうすぐ死ぬ。ずっと、病気で、寝込んでいたのだ」

と。




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