IRIS 11



列。

長い長い列。

長過ぎるほどに続く、悪魔の列を、僕は、うっそりと見る。

延々と、果てなく、俯いたままの悪魔達は、ただ何かに従って、歩く。

列の先頭が抱える、何かの入った箱の、進む方向へと、ただ。

(なんだろう?)
首を捻った僕は、自分が白い子狐の容を採っていることに、やっと気付く。

(擬態、していたのか)
たしかに。これだけの大量の悪魔と対するのは無謀だ。魔物の子と思わせるのは得策。

(たしかめて、みるか)
牛歩のごとき列の横を走り、間をすりぬけて、先頭へと近づく。止める者は居ない。


何たることか。あの方がお隠れになるとは。
最後の敵と相打ちとのこと。ご立派な最期だ。
側近の方々は?どうされたのか。
殉じる許しを得ていた方々は、皆、その場で。
なるほど。しかし、優しいあの方は、喜ばれまいに。
古き友たる方は許されなかったか。あのように柩の上で嘆かれ続けて、おいたわしい。


ひそひそと語られる悼みの言葉に納得をする。

(誰かが、死んだのか)
(なるほど、先頭の箱は 柩か)

恐らくは、最強の悪魔の将の柩、に連なる、長い長い悪魔の列。黒い行列。

なるほど、これは、



――― 葬列か。






「顔色、悪いぞ。ライドウ」
昨日も遅かったんだし、今日は学校休んだほうがいいんじゃないか?

心配そうに声をかける鳴海に、ライドウは大丈夫ですと返す。少し夢見が悪かっただけだと。

「じゃあ、あんま寝てないんじゃないのか?ホント大丈夫か?」

心配度が上がった鳴海の声に、ライドウは微かに微笑んでみせる。ただの夢ですよと。

(そう。ただの夢だ。そして、あんな夢を見た理由も、分かっている。分かりすぎるほどに)

だから。
今日の授業は、何があっても行かなければ。

――― 今日は、IRISが亡くなる日、なのだから。




◇◆◇



Anselm, bist du mir böse? Ich habe dir eine schwere Aufgabe gestellt, und ich sehe,
du bist ihr treu geblieben.

「アンゼルムさん。貴方は私を恨んでおられるでしょうか。私は貴方に難しい課題を提示しました。そして貴方はいつも誠実にそれに取り組んでおられました」

子供のように痩せたイリスからアンゼルムに与えられる言葉が、静まり返った教室で響く。


Suche weiter, und gehe diesen Weg, bis du am Ziele bist!
「探し続けてください。その道を進んでください。貴方が、目的を得られるまで」

Du meintest ihn meinetwegen zu gehen, aber du gehst ihn deinetwegen. Weißt du das?
「貴方は私の為にその道を歩んでいると思っておられるでしょうが、
本当は貴方の為にそうしているのです。分かっていただけますか」

そう語るイリスの細い手は、アンゼルムの手の中に花のように横たわっている。


Ich ahnte es, und nun weiß ich es.
「おぼろげに感じていました。そして、今、それが分かりました」

Es ist ein langer Weg, Iris,
「長い道です。イリスさん」

und ich wäre längst zurückgegangen, aber ich finde keinen Rückweg mehr.
「僕はずっと引き返したかった。けれど、もう僕には帰り道が見つからないのです」

Ich weiß nicht, was aus mir werden soll.
「僕には自分が、これからどうなるのか、分からないのです」


――― 上辺の事象だけに惑わされず、自らの人生を見据えて真摯に生きようとする者なら、
必ずいつかは出会うことになる命題と、それを追い求めることによってもたらされる痛みに。
まだそれに出会うには早すぎた(・・・・・)少年達が息を呑んだ、その瞬間。

バン!といきなり教室の扉を乱暴に開ける音が起こり。
ドカドカと、軍服を着た人間が教室内に複数、入りこんで、きた。





◇◆◇



「何事デスカ!」
かつて聞いたことも無いほどに厳しい声で、ドイツ語の教師が闖入者へと怒りを露にするが、リーダーらしき男は、意地悪そうな視線を返すのみ。

「Michael Schneiderだな。お前を国家治安維持法違反の容疑で、拘束する」
「何ノコトカ、分カリカネマス」
「しらばっくれるな!ヘッセの作品を授業で指導しているとの通報が当局に届いている!!」

「もし、そうだとして、何故、そのことが、法に触れることとなるのですか?」
その場の乱れを整えるがごとき、涼やかな声が響く。
胡乱気にその声の主を見やったリーダーが見つけたのは、部下ですら恐れをなす己の厳しい視線に 怖じることもなく、真っ向から対峙する美しい少年の真摯な瞳。

何を言う!生意気な、黙らんか!と喚く部下を制止して、その男は笑う。

「いい度胸だな。小僧。・・・さすがに弓月の、」
いいだろう。その度胸に免じて、教えてやろう。

「Ich weiß etwas was du nicht weißt」
(俺はな、貴様の知らぬことを知っているのだよ)

からかうようにドイツ語でそう揶揄した男が続ける言葉に、ライドウは驚愕する。

「ヘルマン・ヘッセは反戦主義者だ。我等が戦友国、独逸で軽蔑されている臆病者だ」
母国ですら印刷が禁じられているヤツの作品を題材とする授業など、見過ごせるはずがなかろう。

その言葉に、教室中は水を打ったように静まり返る。
己に、この責の発端があると、瞬時に認識したライドウもまた。

やがて、バタバタと焦ったような軽い足音が廊下から近づき。
生徒達の信頼を得ているとはとても言えない、臆病者の教頭がこそりと顔を出す。

「き、君たち。こ、これは、正式な要請に基づいた、ものなの、だよ」

(有力者の多い保護者からの苦情を避けるために、先に言い訳をしにきたか)

いや、ひょっとしたら、コイツが。
人格者である校長が不在であるこの時期を狙い、官憲に恩を売ろうとしたか、と。
怯えた顔を無理やりに笑顔に変え、おべっかを使おうとするソレに皆の心が更にささくれ立つ。

「おい。生徒達の帳面や教科書も証拠品として押収しろ」と指示を出す大人達の横で。

「つまり、これは君たちの思想を守り、健全な精神を育成するための、正しい処置なのだよ」
分かるね?分かってくれるね?大人は、君たちを不健全な情報から保護する義務があるからね。

と。己の保身しか考えぬ無知な男が、何度も何度も繰り返す戯言など、もう耳にも入れず。

生徒達は敬愛する教師が拘束され、連行されていくのを、痛ましげな瞳で見守った。



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「戦争熱にかられ、憎悪をあおることをやめよう」 そう、新聞で反戦平和を主張したヘッセは
周囲の人間から、臆病者、売国奴、裏切り者と罵りを受け、Neuroseとなりました。
IRISはその頃に書かれた作品ですが、彼の妻もまた、周囲からの攻撃で精神を病んでいたそうです。

戦時下における言論思想の弾圧は深すぎるネタです。これ以上は今は掘り下げません。
(例の法案はとりあえずは否決されたようですが、いつの世にも愚かな大人は居るものですね)

ちなみに、現実社会の独逸におけるナチスの台頭は大正22年(1933年)1月。