「相変わらず、美しい肌だ」
触り心地も変わらず極上だよ、と、感嘆する青年に、
「おそれいります」
上衣のボタンをはずされて肌蹴られた胸を、その男の指先で触れられる少年は、静かに返す。
「少し、顎を上げてくれないか」
学帽をかぶった少年は言われるがままに動き。その白い喉から続く、血管を透かせる美しい肌のラインに見惚れた青年は乱暴にならぬ程度の強さで、シャツを両側へと開く。
「君の“神”は、君の肌に触れることもせずに、去っていかれたのか」
「・・・!」
――― 瑕痕ひとつも、残さずに。
そう、言うなり、左の鎖骨の薄い皮膚に、唐突に口付けられ。・・・心の傷をこじ開けられて。
「何のことか、分かりかねます。・・・御前」
それでも、少年はかすかに感じた動揺をきれいに押し隠す。
けれど。
「その神を、たしか、君は、こう、呼んでいたね? 」
――― シュラ、と。
その忘れられぬ名を告げられた瞬間に、ビクリと震えた少年の肌の上で。
御前と呼ばれた高貴なる血筋の青年は楽しげに嗤って、こう言った。
今はまだいい。服を調えたまえ。場所を変えて、舶来のお茶でもどうかね、と。
◇◆◇
「砂糖やミルクは自分で入れるがいいよ」
洋風の洒落た机に美しく配置されたティーセットをはさんで、青年は語る。
ああ。今でも、よく覚えているよ。君の神のことは、と。
「何のこと、でしょうか」
「手すら繋がず、指さえ触れず。ただ、傍に居るだけ」
名を呼び呼ばれるだけの。傍から見ていて、もどかしいほどに、美しい穢れない一対。
でも。シュラ、と、その名を傍で呼べる、ただそれだけで。
「触れても反応すらしてくれないつれない君が、どれだけの歓喜の色を瞳に浮かべていたか」
「それが、私のみならず、君の美に心酔していた者共の悋気をどれほどに、煽ったか」
――― 知っていたかい?ライドウくん。
悋気という語に、怪訝そうに瞳を瞬かせた少年は、自分の薬指に絡んできた青年の中指を見る。
・・・無表情に。
その無表情を見て、また青年は苦笑する。ほら、こんなふうにね、反応一つしないと。
「そして、あの神が降臨して後、君は一切“その手”の依頼を受けなくなった」
「・・・」
「以前はたまに一緒に愉しんでくれたのに、ね。気まぐれな猫のように」
絡めた指を机の上から持ち上げ、ちろり、とライドウの白い指先に舌で触れて。
それでも無反応なライドウに、青年は溜飲を下げるためにか、残酷な言葉を落とす。
「ああ、だから、君の神は君に触れることなく、去っていかれたのか」
君のその穢れに気づき、君への寵愛を無くし、君を見限って。
「・・・」
一瞬。どろりと澱んだ少年の瞳に、図星かと青年は気づく。
真実はどうあれ、少なくともこの少年は、そう、思っているのだ。
――― 自分が汚いから、あの“神”に見捨てられたと。
◇◆◇
「待て、ライドウ!本気か!」
「時間がありません。思想犯への取調べは厳しい、のでしょう?所長」
「た、確かに、そう、だけど」
特に依頼も無かったはずのその日、予定より早く真っ青な顔で帰ってきたライドウが、
軍部および特高に力の及ぶヤタガラス関係者を紹介してくれと鳴海に詰め寄ったのは、つい数時間前のこと。
恩義ある教師が、思想犯の疑いでしょっぴいていかれたのだと、聞いて、鳴海もまた青ざめた。
それは、この時期、とてもマズい状況だ、と。
江戸から明治へと移り変わり、鎖から解かれた神の国は、大正という転換期を迎えて、小さな幸福から大きな利益へとその求める先を変更しつつ、ある。
それを望む輩の魔手から、かの平和主義者のやんごとない御方をどれだけ守護しても、
国中を戦いへの気運へ巻き込むために、より求心力のある力強き御方を頂点に置こうと企む輩が
人民を愚昧の徒へ落とすために、言論統制を図っているのは、見えるものには明々白々だ。
現に。
「労働者の窮状を訴えた、某活動家が獄死したのはつい先日のこと、でしたね」
「ああ。あれは、病死とされたが、・・・どう、考えても」
殺されたんだ。
他者の目の無い監獄の中で、非道な拷問と、凍てつく寒さの中、衣服も与えぬ扱いを受けて。
「あの先生をそのような目になど、遭わせは、しません」
けして、と。
冷たい炎をその身に纏ったかのように呟いて、以前からとある事情で知己であった有力者の元へ訪おうとするライドウを止める言葉を、鳴海はもはや持たなかった。