あの日。
にこりと手を振りながら、また明日会えるような、そんな簡単な、軽い言葉で。別れた、あの日。
Aufwiedersehen と、彼が言ってくれはしないかと、
最後まで、思って。願って。でも。
彼は。その彼の愛する国の言葉で、別れの言葉を紡いだりはしなかった。
Aufwiedersehen、また会おう、とは。
僕が、汚いから。身も心も、汚いから。
だから、きっと。彼は僕に触れることすらせずに、あんな簡単な言葉で切って捨てた。
当然だ。僕は、汚い。彼に見捨てられて当然なほどに。
僕はずっと、僕を好きだと言い募り近寄ってくる人達を利用して生きてきた。
罪悪感の欠片も感じずに。
いや、それどころか。
心のどこかで見下げてすらいたのだ。表面だけに惑わされ、本質すら見抜けぬ愚昧の輩よ、と。
Augustusと同じだ。Schneider先生の教えてくださった、誰からも愛されてしまう哀れな男。
ああ、彼は何と言ったのだったか。彼に忌まわしい魔力を心ならずも与えた名付け親に。
確か。
「どうか、僕の役立たずな古き魔力を取り除いてください、その代わり」
――― その、代わり?
◇◆◇
「聞いているかい。ライドウくん」
静かな青年の声がライドウを現実へと引き戻す。
だからね。あの頃は本当に君たちの、いや、あの“神”の周囲はにぎやかだったのだよ。
何しろ。
「嫉妬に狂ったものの行動は、いつの時代も変わらない」
恋しい人の心を奪った相手を憎み、素性を調べ、弱みを握り、脅迫し、抹殺してしまえと。
「二度とその姿を、恋しい人の瞳に映すことなど無いように、してしまえと」
どれだけの陰謀と画策が、君の神に捧げられていたか、知っていたかい。と尋ねられて、
ライドウは驚愕する。
「彼に、何を!」
「やはり、知らなかったのだね」
安心するといい。何しろどれだけ調べさせても素性も本名も何も分からないのだから、手の出しようが無い。本人を拉致して問いただそうにも。
「どれだけ腕の立つ間諜や刺客を送り込んでも、全員が無傷で帰ってくる」
「無傷、で?」
「都合よく、依頼内容から何から、何もかもの記憶を失ってね」
工作や暗殺で失敗した刺客など、邪魔なだけだ。とっとと処分してしまえばいいのだが、あれだけきれいさっぱり何の記憶も無いとなるとこちらも消すのが惜しくなる。何とも、はや。
「優しい、神、も、あったものだ」
それでも諦められぬ者が、人がダメなら、悪魔を、と。ダークサマナーを利用しようとしても。
「あの、金さえ出せばどんな非道でもやらかす輩が、あの神にだけは関わりあいたくないと」
驚くほどの速さで、依頼を断ってきたらしいよ。よほど怖い目に遭ったのかねぇ。
地母の晩餐を、直で見た者なら何があっても彼に二度と逆らおうとは思うまい、と納得するライドウに、青年の言葉は続く。
「ならば、と、正攻法でヤタガラスに圧力をかけて、あの神を浚わせてみたのだが」
驚いたよ。まさか、天照大神よりも上位にあられる方だった、とは、ね。
「あれは、貴方が」
「ふ。そう、睨まないでくれたまえ。お陰で私たちも酷い目にあった」
「酷い目?」
神罰、とでも言うのかな。人死には出なかったものの、事業も日常もことごとく不運に見舞われた後に、夢枕で天照大神にお叱りをくらったよ。あの少年の容をした神と、その神に愛された君を、けして粗略に扱うなと、ね。
「だから、君に“その手の依頼”をする人間は、あれ以来一人も居なかっただろう?」
ヤタガラスの幹部たちもよほど怖い目に遭ったのだろうね。内々で通達すら出していたよ。
「通達?・・・どのような」
「“十四代目は神に愛されし稀代の巫。その意に反して触れし者には神罰が下る”、と」
ふふ。
いかに君が愛しかろうと、我々とても、命は惜しいからね。
でも、今回は君の方から、言い出してくれたことだから。
きっと、罰も下らない。
「でも、一応 先に聞いておこうかな?その君が身を差し出してまで、願うことを」
心底嬉しそうに、満足そうに微笑む青年にライドウが返す表情はやはり何も語らない。
「目的は何だい?」
「不当逮捕で、一人の外国人が捕縛されて、おります」
「その放免を、とのことだね。して、罪科は」
「・・・思想犯の疑い、です」
「ふむ。なるほど、それは難しそうだ」
どのツテを当たろうか、と顎に右手を当てて、考え込んだ青年が更に質問を投げる。
「どの国の人間だね。名前は何と?」
「ドイツの。Michael Schneiderという」
「!」
その青い目の教師の名前を聞いたとたん、御前と呼ばれる青年は驚愕の表情を見せた。