どうして、だろう?
いつもと、同じことを、されている、だけなのに。
主の腕の中で、髪を、背中を、そっと撫でられている、今は美女な子狐は、困惑、する。
その指は、いつものように、繊細に毛並みをかきあげては、甘く背中を滑り。触られるのが苦手な
尻尾の付け根付近には届かぬように、何度も何度も、心地良く触れてくれる、だけ、なのに。
どうして、こんなに。
ドキドキして、体中が、熱く、なるんだろう。
かすめるように、耳の後ろを絶妙に撫でられて、ヒクン、と緊張したようにクズノハが震えると。
「・・・いや、かな?」
およそ、生き物という生き物全てが陥落するような快い指戯を与えておきながら。
己の力に無頓着な最凶の悪魔はその手の動きを止め、腕の中の美しい雌に残酷な質問を投げ。
ふるふる、と。赤い顔で、目を伏せたまま。
それでも、しっかりと嫌ではない、という意思を示す彼女を見て、ホッとしたように笑った。
◇◆◇
「あ・・・あの・・・ルイ様」
「何だね?ジル」
「こ、この状況は・・・い、一体・・・」
「ん?魔界最高級の酒と肴なのだけど、口に合わないかな?」
「い・・・いえ、そういう、わけでは・・・」
お見合いパーティがお開きとなり、退席したシュラ達を追いかけるわけにも行かず、といって、このままの状態でクズノハを放って帰るわけにも、と、心底焦るジルを誘ったのはルイだった。
当然ながらお誘いを断るわけにも行かず、言われるままに、庭を眺められるバルコニーに設定されたお茶会・・・というよりは、品がある酒盛りの卓で、ルイと杯を交わしていたのだが。
「まあ、いいじゃないか、ジル。フラれた者同士、自棄酒でも」
「ふ、ふられた者・・・ですか?」
た、確かに、私はふられたこと、に、なるのかしら。いやでも「同士」ってことは、ルイ様も・・・?
こて、と首を傾げながら、杯をあおるジルを視界に入れつつ、ルイは背後の彼らも誘う。
「フフ。君達も一杯どうだい?ロキ、ウリエル・・・“フラれた者”同士」
「・・・ありがたく、って、言いたいところだが、今はまだ、遠慮させていただきたいね」
「同感ですね。なんとなれば、我らはいずれも」
――― 我らの、最愛の方に、ふられてなど、おりませんので。
くすくす
「なかなか言うねぇ。・・・断る理由付けもまた、見事だ」
そうだね、君達はまだ、やらないといけないことが、残っている。酒を飲むわけにはいかないか。
誘いを断られても、気分を害するわけでもなく、何かを含んだ言葉を楽しげに呟くルイに
「あの、ルイ様」
ジルはおそるおそる言葉をかける。
「何だね」
「クズノ・・・いえ、“桔梗”の、気配を変えたのは、ルイ様、ですか?」
おや、気付いていたのかい。さすがだね、と、にっこりと笑う美女にジルの背筋は凍る。
「いくら何でも、クズノハの性と年を変えただけではねぇ。すぐシュラにばれてしまうだろう?」
(それだと面白くないし、その後の計画にも支障が出るのだよ)
やっぱり〜、おかしいと思ったのよーと、ルイの悪戯心に感服するジルは、魔界最強の魔物達が
交し合う台詞の中に、様々な思惑が絡み合っていることに、まだ、気付いていなかった。
◇◆◇
そもそも、どうして、こうなったん、だろう?
ああ、そっか。足の怪我にシュラ様がキスして、癒してくださったときに、
僕が焦って暴れて、岩から滑り落ち・・・そうになったのを、シュラ様が慌てて。
・・・抱きとめて、そのまま抱きしめて、こんなふうに、優しく、撫でて、くださ・・・って。
あ。
故も分からぬまま、その体の熱い感覚に潤まされた黒い、美しい瞳に合わされる金の瞳。
その内で光る虹彩は、今は、赤い。
「ね、桔梗」
俺たち、どこかで会ったこと、無いかな?
希少な猫目石のような魔眼に見つめられて、問われる質問に、囚われの獲物は硬直し。
・・・その反応をどう受け取ったのか。
「ごめん。変なこと、言ったね」
一度でも会ってたら、覚えていないわけ、ないのに。
どこか寂しそうな呟きの後に、クズノハの額にそっと落とされた口付けは、甘いのにどこか。
苦かった。