Metamorphose 10




「お前は下がれ。・・・桔梗」
「シュラ、様・・・。ですが」

冷静さを取り戻したか。
化け物の内で光る“何か”を睨みつけたまま、一瞬とてその闘気を失わぬ主の言葉に、
同じく、正気を取り戻していたクズノハが逡巡する。

が。
続く声は、既にもう、その名は呼ばず。

「・・・ウリエル!」
「お傍に」

パサと羽音を立てながら、臣下の礼を採る女性体の天使に投げられる命令は、簡潔。

「下がらせろ」
「承知しました」

(シュラ、様!)

もはや、自分を一顧だにすることなく。
弱い女悪魔の助力など不要、とでも言いたげな冷酷な将の背中を見て、固まった子狐の耳には、
(・・・それと、治癒も、頼む)と、小さく落とされた優しい、心配そうな声は届かなかった。

その指示に、ウリエルが返した、・・・御意、という、どこか苦い声も。





◇◆◇





「どうも最近、戦況が芳しくなくてねぇ」
もちろん、ウチにはこの最高傑作が居るからねぇ、劣勢になる、というわけじゃないのだけれど。

ウリエルがクズノハを抱いて、後方へ飛び下がった後。
未だ、シュウシュウと音を立てるかの如く、魔力を迸らせるシュラを見ながら、ルイが呟く。

「明らかに、勝てるはずの戦線で勝てない、もしくは苦戦を強いられる」
――― さすがに“おかしい”、と思ってね。

「つまり、内通者が居る、ということですか」
「ご名答だよ。ジル」

だから、貴族連中の熱意に負けたふりをして、敵が仕掛けてくるに絶好の場を設定したのだよ。
“若い女性体悪魔”とシュラしか集わない場を。
適当な相手を選んで、二人きりになるようにシュラに言いつけて、ね。

「・・・だから、その御姿で、シュラ様の傍に」
「ほう。なかなかに、君は賢い。いや、気に入ったよ」
敵が、シュラと相手が二人きりになる、その瞬間を狙ってくるのは分かっていたからねぇ。

「私が傍に居るだけで、身動きも取れないような惰弱な雌では困るだろう?」
シュラの側近レベル、とは言わないが、せめて足手まといにならない程度の胆力は無いと。
(ふ。だが、これほどの能力を見せるとは思わなかったけれどね。“先が楽しみ”なことだ)

しかし。
「これほど簡単に引っかかるとは、天軍もよほど焦っていると見える」

皮肉な言葉に、化け物の内から現れたモノの羽根がビクリ、とはためき。

「て、天使?!・・・まさか、この魔界の中心で?!」
生きていられるはずが!と驚愕するジルの横で、ルイは優しげにさえ聞こえる声で、促した。


――― さあ、姿を見せるがいい。ザフィエル。・・・“神の密偵”の名を持つもの!




「ふ。正体、まで、お気づき、でしたか」
さすが、元天使の長。ルシフェル様。

光る4枚の羽根。緑の瞳。銀灰色の髪を持つ、理知的な天使は苦しそうに、笑う。

「久しいねぇ、ザフィエル」
その名前で呼ばれるのも久しぶりだ、と、ルシファーも、嗤う。

「さっきの”首の少ないヒュドラ”は、お前の実験室ででも造ったのかい?」
そのようなモノの、“肉”を纏ってまで、ご苦労なことだ。

「仕方、ありません、でしょう。そうでも、しなければ、我等が、この地に、存在することなど」
できるわけが、ないのですから、と言う、天使の口元からはゴブリと赤い血が落ちる。

「苦しいかい。ふふ。この魔界の大気は、天使には毒だからね」
ヒュドラの受肉を解かれては、防毒マスクを奪われたような、ものか。
可哀想に、と呟いて、首を傾ける和服姿の美女は、見るものがおぞけだつほどに禍々しい。

そして。
そのまま、苦しみに喘ぐ天使の傍に寄り、他者に聞かれぬよう耳元で囁く言葉は、誘惑の音。


・・・こちらがわに、つかないか? ザフィエル。

・・・ふふ。そう、驚くことでも無いだろう。
君の心が、今、ずっと、誰に釘付けになっているか、言って欲しいかい?

くすくす。・・・ねえ。一度、その存在を知ると、離れられないほどに、綺麗だろう?

――― 僕が創った、最高傑作(・・・・)は。






◇◆◇




へえ。
「これもこれでいい目の保養じゃねーか」
女神のごとき長い黒髪の美女を横抱きにして飛んできた、金の髪の美しい天使を見ながら、
ロキは、嬉しそうに揶揄するが。
それを相手にすらせず、ウリエルは主から頼まれたその荷物を、地面へと降ろす。

「・・・少なくとも、足手まとい、には、ならなかったようですね」
忌々しいことに。

唐突に、青い瞳の美女に落とされる冷ややかな言葉と、厳しい視線に、きょとん、とするクズノハの頭上にかざされるのは、魔力が収束する、青い肌の、掌。

「おい、ウリエ・・・」
慌てて、間に入ろうとするロキを留めるように、天使からクズノハにかけられる呪文は。

――― ディアラハン

見る見るうちに癒される自分の体を見回しながら、
「あ、ありがとうございま」
クズノハが言いかけた礼は、やはり、止められる。

「・・・主命に従ったまで。礼など、不要。・・・そもそもが」
――― 目障りだった、だけですから。

それだけを言い捨てて、くるりと背を向け、主の傍へ戻ろうと羽ばたく翼を見ながら、
また、クズノハは訳が分からずに、きょとん、と、首を傾げた。

・・・化け物から受けた傷も、“主から受けた痕”も全て消えうせた、美しい肌、で。





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後書き反転

ザフィエル。ゾフィエルとも。創作内通り、”神の密偵”の意味。
実在、というと変ですが(笑)実際に「存在する」名です。彼の他のネタは続きの創作にて。