Metamorphose 16



「ええっと。何だったかな。決め台詞。ああ、思い出した」
その場の緊張感をほぐすように、冗談めかした言葉をシュラが落とす。

――― “俺のターン”ってやつだね。天使サマ?

その言葉にザフィエルが瞳を揺らし、怯えなくてもいいよとまたシュラが笑う。
お前みたいな“いい趣味”のサディストは魔界でもそうそう居ないからと、嗤う。

その爽やか、と言っても良いほどの笑顔のまま。
シュラの赤い、赤い瞳に射すくめられて、ザフィエルの息が止まる。

「なあ。お前、言霊(ことだま)って、知ってる?」
「知って、おります。もちろん」

「言ってみて。どんな意味?」
「貴方様の生まれた国で伝えられる…言葉に宿るとされる霊的な力」
良き言葉には良き力が、悪しき言葉には悪しき力が宿る、と。

優等生の回答をありがとう。とシュラが微笑む。何かの罠のように優しく。

「じゃあ、どうして俺がお前の誘いに乗らなかったかも、分かるな?」
「……」

「お前の言葉には、言霊が無い」
「上辺だけの心の篭らない言葉には、心あるモノは誰も従わない」
「そんな言葉(モノ)に従うのは、己を持たない、ただ流されるだけの弱い愚かな奴だけだ」

(ふ。悪しき言葉を避けるシュラが。ありゃかなり怒ってやがる。俺以上にキツいぜ)と
その悪口雑言で、北欧の全神々を怒らせた魔王(ロキ)が元の男のカタチでくつくつと嗤う。

「……って、ええっと。ごめん。お前、名前何だったっけ」
「ザフィエル、です」

突然に打って変わったような調子で尋ねられて、うっかりと天使はその危険な問いに答え。
くす、と悪魔の中の悪魔は悪魔的に優しく笑う。すぐ傍のルイもまた同じように。嗤う。

「そう。そうだった。ありがとう。俺に名前をくれて(・・・・・・) ザ フ ィ エ ル
「!」

しまった、と、己の愚行に気付いて、天の密偵は震える。

――― 自らの名前を自らの意思で渡すこと。
それはこの悪魔からの絶対の支配を意味すると、今更に、思い出して。



◇◆◇



「ふうん。やっぱり?大して弱らないし、おかしいと思ったら、左眼だけが、本体?」
ソレが得た情報を、天界に居る自分に送信している、という、ところ?

そうです、と素直に答える、ザフィエルの表情は操られていても、硬く。
そっかー。ピアツーピアの無線LAN状態ってトコロかなー。そりゃ情報筒抜けだな。
ルイの読み的中だね、と思案するように首を傾げたシュラの表情は、柔らかい。

「ホント“いい”趣味。…でも、俺は、さ。分霊なら、まだ分かるけど」
自分を自分で“培養”するような趣味の奴を、仲魔にはしたくないな。

だから。と、続く言の葉は冷たい。相手を切り裂く刃のように、冷たい。

さよなら、ザフィエル。
また、会おうね。次は。
君の本体で。

「それまで、この左眼は、預かって、おくから」

躊躇いも無く、クリと緑の瞳をくり抜くその指は優しく、くすくすと嗤う瞳は、赤く。

己の策略を全て見抜かれた天使の偽りの体を、引き裂こうと
コォとシュラの右手に灯る力の気を、慄きながらもザフィエルは美しいと見る。けれど。

「・・・私が」
くす。
「任せる」

主の御手で滅されるなど、誰がそのような恩恵をと言わんばかりのウリエルが、主人の許可と共に振り下ろしたその刃に、体の活動を止められた。



◇◆◇


「ルイ!」
「何だね」

はい、これ。いるんだろ? と、これまで楽しげに傍観者を決め込んでいた保護者に
天使から奪った眼球を、幼子がビー玉を転がすように、渡すシュラの傍。
憮然と、硬い表情を見せるのは、ケルトの英雄。

「・・・ん?何?リン」
「先ほどは・・・油断なされたか、主」
想定内であられたはずなのに、あのように簡単に光の檻に囚われるとは、貴方様らしくも無い、と、心配のあまり、苦言を呈そうとした忠実な下僕の言葉は。

「いや。違うよ。分かっていただけだ」
のんびりとあっさりと、穏やかに返される声に、止まる。

「分かっておられた? 何、を?」
「お前が、」
――― 絶対に、来てくれるってことを。さ。リン。

だって。
「俺の居るところが、お前が居るところ、なんだろ?」

思わず顔を上げ、主の表情を確かめる己を見やって。
くすり、と笑う仕草さえ鮮やかに、来てくれてありがとうと告げる主に、
愚かな下僕はもったいないお言葉です、と、感服したように、膝をついた。


「おーおー、尻尾ぶんぶん振ってやがる。さすが、忠犬クー」
「……美味しいところを、横取りされましたね」
「そういうなー。お前もかっこよかったぜー。嫉妬満開で怖さも満開だったけどよ」
「……そういえば、貴方も、大変美味しいところを、取っていきましたよね」
我等の面前で、あのように何度も主様に口付けていただいて、大変うらやましいことで。

げっ、と、その冷たい視線から慌てて逃げ出そうとするロキの足は、この貸しは忘れませんからねと呟く氷点下の天使の声に凍りついたように、その場に固まった。




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後書き反転

※「ロキの口論」(古ノルド語でLokasenna ロカセナ)が元ネタです。