サクラモリ 03



――― シュラ!

・・・シュラ!どこに、居るのですか?

「ここだよ、ライドウ」
頭上から、突然の愛しい声が、響き。
え、と見上げた、梢から、ふわりと何かが、地へ落ちる。

「・・・木に登っていたのですか?」
そろそろ、夕餉時なのに、どこを探しても居ないと、思ったら。

無表情な声に、焦りも苦悩も安堵も、愛しさも押し込めて、愚かな人は悪魔に微笑み。

「いい眺めだからさ。高いところから見たくて。・・・この楠、木登りにいい形だったし」
あ、でも。もしかして、驚かせちゃった?ごめんごめん!

人の痛みに気付かぬ振りで、優しい悪魔は申し訳なさげに、頭を掻いた。






あの日も、こんな。
こんな、穏やかな、日、だった。







談笑しながら、歩いていた悪魔の足が止まる。見上げるのは美しい葉を茂らせる一本の。

「どうか、しましたか?」
「・・・これ、ソメイヨシノだよね。桜の」
「ええ、そう、みたいですね。標識がそのように」

そういえば、春には見事な花を咲かせていたか、とライドウは記憶の色を手繰り寄せる。
その色をより鮮やかにさせるのは、続けられる悪魔の言霊。

「ええっと。“ねがはくは 花のもとにて” ・・・だったっけ?」
「西行、ですか。ええ。・・・“そのきさらぎの 望月のころ”、ですね」

“春死なむ”、の、忌み語をさりげなく避ける少年達は、言外に互いの悲しい思いやりを知る。

「あの“花”ってさ、桜、だけど、ソメイヨシノじゃないんだって」
「そう、なのですか?・・・では、どんな」

園芸好きだったという、彼の大叔父の影響か、他の誰かの優しい思い出か、あるいは。
いずれにせよ、植物に造詣が深い彼の言葉は、とても興味深いことを知るライドウは続きを促す。

「自生の山桜、らしいよ。だって、ソメイヨシノは江戸時代に東京の駒込で作られたって」
「なるほど、それなら平安から鎌倉を生きた西行が、見るわけもありませんね」

そう、聞いて。ふむ。ソメイヨシノは、帝都出身だったのか、と、思って梢を見上げると。
知らなかったのですか、我等が守護者よと、今は眠る桜花精が苦笑したようにライドウは思う。







いつも。・・・いつも、そうやって、知ってか知らずか。貴方は。
いつも、僕の、この地への愛着を、深めさせて。







「ライドウは、ソメイヨシノ、好き?」
「そう、ですね。品種で考えたことは無いですが、桜は嫌いでは、ないです」

貴方は?と、短く問われた言葉に返るのは、意外な。

「俺は、ソメイヨシノは、ちょっとだけ、苦手だった」
「苦手?」
嫌い、ではなく、苦手?

怪訝そうな響きに、シュラは困ったように苦笑して、桜の幹にその手を触れさせる。

「こいつ、クローンだから」
「くろおん?」
聞きなれぬ言葉に、ライドウが首を傾げると、シュラはクローンの説明は難しいなと笑う。

「 “ソメイヨシノ”は接木や挿木で増やされた樹しか存在しない。栄養繁殖っていったかな」
「・・・つまり、複製」

日本中、何百何千何万の全てのソレが、たった一本の創めの樹のクローン。
ぞくり、と理由の分からない怖気がライドウの背筋を走る。なるほど、苦手、か。よく分かる。

「うん。・・・そっか、複製って、言葉があったな。さすが、ライドウ」
だから同じ条件下の、同じ地域では一斉に咲くんだ。皆、同じ個体だから、と、彼は続ける。

「俺達の時代、だと、ネットってので他人と情報を共有させて、繋がることができてさ」
中二病っぽい発想だけど、ソメイヨシノがネットワーク持ってたら、怖いなとか思ったことある。

「怖い?」
「だって、全部の樹が同じ情報を、感情を共有したらって、思ったらさ。ちょっと不気味で」
・・・ああ、今は、そんなふうには、思わないんだけど。
(だって、俺や、仲魔達、だって。・・・言ってみれば)

「シュラ?」

不自然に止まる会話に。投げられる名に返るのは不自然な、文脈。

「でも、残念だ」
「?」

「見たかったな」
「何、を?」

「満開の桜の下に佇む、お前」
きっと、息が止まるぐらい、綺麗だ。


・・・残念だと、見たかったと、その過去形の語尾も。
息が止まるほど、哀しいほどに美しいのは、貴方のほうが、と。

その無情な言の葉の、何もかにもを、覆してしまいたいと、願いつつ。
それでも。・・・避けられぬ未来を見据えながらも、見ない振りで。哀しく微笑む二人の、願いは。

――― きっと、同じだった。









ああ。




願わくば、お前の元で。貴方の傍で。



永遠に、眠って、しまいたい。






◇◆◇





穏やかな春の宵。
天空高くに望の月。
地上低くに満開の、桜花。

黙して歩く、月のように美しい後継の肩に、夢のようにふわりと落つる桜の花弁。

眼福よ、と心中で思う黒猫は、クルルと、小さくのどを鳴らす。

『今年は早いな、もう、散り時か』
「・・・」

その猫の声に。
つ、と足を止め、月下にけぶる桜の枝を、ライドウは見る。

時の移り変わりを人に惜しませる潔さが、美しくも愛しいその花は、誰かを思い起こさせる。

(そういや。秒速5センチメートル、なんだって)
(?・・・。何が、ですか?)

耳によみがえるのは追憶。おもかげの花の、声。

『どうした、ライドウ。急に、立ち止まって』

「・・・秒速5cm、なのだそうだ」
『?・・・何が、だ?』

花弁のように零れ落ちた、後継の美しい声を拾った猫は、
桜の散る、速度、なのだと、その解を、聞いて、髭を揺らす。

――― 不思議な言葉だ。
風情があるのやら、無いのやら。

数字と単位で構成される、ただの情報が、
かの花の落つるそれ、と聞いただけで、鮮やかにその容を変える。

色を持ち、風を呼び、時を止め。
その情景さえも。

一体誰からそんな言葉を、と。
問おうとして、黒猫はその愚行を止める。

ライドウがこのように柔らかく心を揺らす存在は、もう、一つしか居ない。
もう居ないのに、居る。居るのに、もう居ない、その鮮やかな。
地獄の底へ、潔く、散っていった、手の届かぬ、花。


ふいに、一片の花弁がふわりと、風の無いままに、落つる。

(・・・あ)


花が願ったその先は、黒を纏った学生の、美しき、白い掌。


『・・・行くぞ、ライドウ』
「・・・ああ」

引き込まれるように、掌の中の花弁を見ていたライドウを、ゴウトが呼ぶと。
何かを振り切るように、彼は言葉を返す。

と、そこへ、吹きこむ一陣の。






ああ

やはり







握り締めれば、傷めてしまうのではと。そう、思って、掌の上に大切に乗せていた、それは。


――― 黒い風にさらわれて。



・・・そして。

六花のごとく舞い散る花吹雪の中、ただ立ちすくみ。

過ちのように繰り返す喪失に叫ぶ心臓を抱える少年が。失われた花弁の往き方に、見るのは。





――― ただ、深い闇ばかり。









梢より ほかなる花の おもかげも ありしつらさの わたる風かな

(風が渡る。木の梢から、二度と手の届かぬ花の幻影を・・・あの日の心の痛みを、落として)






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続きます