Auf Flügeln des Dämons 7


カナカナカナカナ。

『・・・良いのか。このままで』
蝉に紛れ込ませるように、猫が鳴く。

このままで。
何も告げず。
何も告げられず。

――― このまま、別れて。

「・・・」
黙したまま応えぬ後継に業を煮やしたかのように、黒猫は立ち上がる。

『いずれにせよ、我らはこの地には明日までしか居らぬのだ』
我は、今日はもう退散するゆえ、自分の心と向き合え。それがお前の宿題だ、と言い残し。

馳走になった、後は頼むとケルベロスに言い置いて去っていく、黒猫の尻尾を見ながら。
かつて経験したことも無いほどの高難度の夏の課題に、ライドウは眉間の皴を深くした。



◇◆◇



ゴウトが去って、すぐ。ピリ、と、簡易な結界を周囲に張った気配が起こり。
念の為、宿に着くまではお目付け役殿を守護させてもらう。しばらく、主を頼む、と
小走りにケルベロスが、その場を去った。

寂しげな蝉の声。ピピ、と鳴く小鳥の声と、葉摺れのさやさやという音。
それ以外、何も聞こえない静寂にライドウは残され。
ふと、断続的に鳴っていた水音が、いつしか止んでいることに気付く。

――― どこ、に?

見渡しても、水面には姿は見えず、岸に上がった様子も無く。
「シュ」
呼びかけて、その名を呼べないことに気付き。今更ながら呼び方だけでも決めておけばと悔やむ。

まさか彼が溺れるはずが、と思いつつも、羽織っていたシャツを脱ぎながら、泉の中を覗くと。
底の方にゆらりと光る、緑の光。

緑、ということは、潜っているだけか、と、少し安堵し。
いや、しかし、長すぎる。・・・まさか、と、水へと飛び込み、明滅する光へと辿りつくと。
水底の岩に絡まった髪に捕まり、繋がれたまま、ゆらりと、水に揺れる、悪魔が見える。

解こうとしたまま、気を失ったのか、そういえば体調がいいわけでは無かった、と。
焦りながら、髪の枷を解き。両の手首を掴んで、引き上げようとする、と。
獲物(ヒト)の気配に感応したか、 ゆるりと悪魔の瞳が開く。

・・・極上の獲物を捕らえて輝きを漸増する、その色は、魔物の

木漏れ日をきらめかす碧い水の中に。
水草のように揺れる、黒い髪。ひれのように はためく、白い翼。
緑の光を明滅させる身体に嵌めこまれた、自分を見上げる、赤く潤む魔性の、瞳。

――― 水妖。

そのおぞましいほどの美しさに、ゾクリと、ライドウは寒気を覚え。
獲物(ヒト)の脅えに気付いたか、正気を失っている赤い瞳と、蟲惑的な紅い唇が線対称に弧を描き。

スイ、と翼で水をかいて、ライドウの瞳を覗き込むと、緩やかに口唇を重ね合わせて。
つい、とライドウの唇から、緑の光を放つマグネタイトを吸い取り。

その味に満足したように、赤い瞳を黒い瞳にぴたりと合わせたまま、ふわりと、笑って。

再び、魔物は、瞳を閉じた。






◇◆◇





貴方に、再び、会えて、僕が、感じたのは、喜びでは、なかった
僕の、中に在る、記憶の瑕疵。おそらく、それに付随する、何か・・・が。
もう二度と、必要以上に貴方に触れるな、近づくなと。僕に叫び続ける、から。



――― やっと、触れることが、できた。・・・これは、" 必要なこと "、だから。

岸に引き上げて、呼吸を確かめた後。濡れそぼる身の水滴を拭きとりながら、ライドウは思う。

――― 翼は、水をはじく、か。軽く払えば、問題ないな。後は。髪、か。

ぽたり、と水滴を落とす髪を、手拭いでぽんぽんと、軽く叩いて乾かしてやりながら。
腕の中で眼を閉じたままの、悪魔を、ライドウは見る。

――― 会えても、哀しかった。また、僕から去っていく貴方を、見るだけだと、分かっていたから。

ぽん、と叩く手を止めて、一筋乱れて顔にかかった髪を、スイ、とはらってやると。
その動きに、ふる、と顔を傾けて吐息を漏らす悪魔は、残酷な色香を見せる。

「・・・ね。・・・僕の、記憶を奪ったのは、貴方、ですよ、ね?」
答えの返らぬ問いを、未だ開かぬ瞳に問うてみる。

――― 奪われたのは、おそらく、貴方と、触れ合った記憶。

心の制止を振り切って、ライドウは、そっと悪魔の頬に指先で触れて、みる。
必要以上に触れるなと、その禁忌を破った罰は、切り裂かれるような胸の痛み。

――― 僕の指はこんなに、貴方の肌を覚えて、いるのに。僕の記憶は、それを無いものと、する。
そして、禁忌を叫ぶのは、疑いようも無く、自分自身の声。・・・その事実が示すのは。

きり、とライドウは唇をかみ締める。

「・・・僕は、どれだけ、貴方を、傷つけたの、でしょうね」

もう二度と、触れるなと、近づくなと。
あの日、手を振って去っていく貴方に、行かないでと縋ることすら、己に許さぬ、ほど。
この愚かな僕が自分を、そこまでに、戒めるほど・・・どれだけ。貴方を。酷く。



でも。それでも。
戒めても、戒めても。

――― 想いは、止まらないのだ。



(良いのか。このままで)

「・・・いや、だ。ゴウト」
このままで、別れたくなど、無い。

でも。

(して欲しいこととか、欲しいアイテムとかある?)
「・・・欲しい、もの、ですか」

(お前のお願いは決まった?)
「僕の願い、なんて、初めから、一つしか」

でも、言わなかった、いや、言えなかったのは。
もう、名前すら、毒だからと。ヒトには与えようとしない、優しい貴方は。
絶対に、その願いを叶えてくれないと、知っていたから。

僕の願いは、きっと、また、貴方を、困らせて。
また、あの、哀しい笑顔を、浮かべさせる、だけ、なのだ。



・・・ああ、でも。
もしかしたら。

一縷の願いを見出して、ライドウは悪魔の唇に、そっと指先で、触れる。

僕のマグネタイトを、微笑んで、口にしてくれた、今の、記憶の無い貴方なら。
・・・願いを叶えて、くれる、だろうか。

起こさぬように、翼を傷つけぬように、悪魔召喚師は悪魔を柔らかく、抱き締める。
それ以上、触るなと、心の内で叫ぶのはやはり、己の声。

「・・・き、です。シュラ」
血を吐きそうなほど喉が痛む。・・・想いを告げることさえ、禁忌と、したか。




――― それほどに貴方を傷つけた僕、であっても。

貴方が僕を忘れたのなら。

きっともう、必要以上に僕を気遣うことも、無い。

・・・だから。

願いを、叶えて、くれると、いうのなら。




「傍に」

ずっと、傍に、居て、ください。







――― 居させて、ください。





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ゴウトとケルベロスは当然、気を遣いました。