「願い、・・・どんな願いでも、叶えて、くれますか?」
「俺が、できることならね。あと」
それで、お前が不幸にならないこと、なら。
分かっているのか、いないのか。いつも、貴方の行動は注意深い。悲しいほどに。
「では、・・・僕を、つれて、いって、ください。それが、」
僕の、願い、です。
――― 思ったよりも、声は震えなかった。
貴方の赤い瞳は、闇の中で、ひとつ、まばたきをする。
「つれていく?・・・どこへ?」
「貴方の、行くところへ」
困ったように、まばたきは、ふたつ。さっきよりも、早く。
「・・・俺が、どこに、行くか、分かって、言ってるの?」
黙って、肯くと。赤い瞳が細くなる。ふぅ、とどこか不機嫌そうな溜息。
「やっぱり、お前」
俺のこと、知ってたんだ。
ふい、と横を向いて、愛しい瞳が、逸らされる。
・・・てことは、やっぱり、俺の名前、知ってたんじゃん、お前。
ポツリと落とされる、小さな愚痴にすら、心臓はドキリとする。
「すみま、せん」
落ちた沈黙に、やがて小さな声が返る。
「・・・いいよ。忘れたのは、俺の方、なんだろ」
ルイに聞いてる。不要な記憶は消去したからって。
「むしろ、俺の方こそ、ごめん。・・・お前のコト、忘れて。・・・でも」
「・・・でも?」
いや、何でもないよ、と、笑う彼は、やはり、どこか顔色が悪い。
「で、さ。つれていって、って、言うけど」
お前は、ホントに、それで、いいのか?
「お前、人間だろ。この世界で、生まれて育って生きてるんだろ?」
お前が好きなヤツとか、お前を大事に思ってるヒトとか、居るんじゃないのか?
俺についてきたら、もう二度と、そいつらと逢えないんだぞ。
「構わない」
貴方と、居られるなら、それで。
迷いの無い黒い瞳に、困ったように悪魔の眉が寄せられる。
「お願い、です」
惑う赤い瞳を見つめながら、召喚師の両の腕は美しい翼を持つ背中へと伸ばされる。
――― 触れられなくても、いい。この想いを告げられなくとも。貴方に、愛され、なくても。
「傍に、」
・・・傍に、居られれば。それだけで、きっと、僕は。
真摯な黒い瞳に促されて、人へと伸ばされようとした悪魔の腕は。
「ライドウ?」
突然に聞こえてきた人の声に、止められる。
バサリ、と。
その身を翻し、翼を持つ野獣は闇へとその姿を消す。
「待っ・・・!」
「やっぱ、ライドウか。人の声がしたな、と思ってさ・・・」
「・・・鳴海、さん」
闇に感謝をする。今、自分はどれだけに途方にくれた表情をしていること、だろう。
「あれ?誰かと、しゃべって、なかった?」
「・・・いえ」
「そっか・・・。いや、ごめん。・・・ええっと・・・何か、考え事か?」
はい・・・、と肯くライドウを見て、鳴海が無言で頭をかく。
邪魔したな。夜は意外に冷えるからな、早めに帰れよ。
そう残して去っていく鳴海は、先ほどの歌を口ずさむ。
♪Am Brunnen vor dem Tore / Da steht ein Lindenbaum.
(門の傍の泉に添って、菩提樹がそびえている)
続かないその歌の、優しいテノールの響きが消えたころに。甘い少年の声が後を引き受ける。
「♪Ich träumt in seinem Schatten / So manchen süßen Traum. 」
(俺は、その木の影で、幾つもの甘い夢を 見たんだ)
"Der Lindenbaum"・・・そう、か。そうだね。ナルミサン。夢は覚めないといけないね。
「その歌、は?」
再び、現れた彼に心から安堵したライドウは、だが、その赤い瞳の色合いにドクリとする。
「"Der Lindenbaum"・・・『菩提樹』、って歌だよ。ドイツの、Müllerの詩」
「ドイツ、の。・・・"Doppelgänger"のHeineと同じ?」
ああ、よく知ってるね!と、笑う貴方自身が、僕にそれを教えて、くれたのに。
「『静けき夜 巷は眠る』・・・あの詩も悲しいけど、好きだよ、俺」
「菩提樹、も、悲しい歌、なのですか」
そうだね、と肯く貴方の、落ち着いた瞳は、やはり。
いつか、どこかで、見た。悲しい、諦めの、色。
◇◆◇
ガタン、ガタン。
ガタン、ガタン。
キーー!・・・ガタ、ガタン。
「筑土町〜、筑土町〜、お降りの方は・・・」
聞きなれた、音。
「あ〜、やっぱり、まだ、こっちは暑いなぁ。風がなくなると、蒸すぜ〜」
移動用の籠からゴウトを出してやるライドウに、言うでもなく言わないでもなく、鳴海が愚痴る。
「おや、おかえり、ライドウちゃん。旅行かい?帰省かい?」
銀楼閣に移動する間に、懐かしい大気が、僕に纏わりつく。
・・・見慣れた、懐かしい、人達。
ここは、己が守るべき土地。貴方の優しい魔方陣が僕を縛る、愛しい残酷な、町。
「どんな、歌、なのですか?」
『菩提樹』?と、首を傾げて問う貴方に肯く。
「『冬の旅』、って言う詩集があってさ、それにシューベルトが曲をつけたんだ。その中の一つ」
まあ、簡単に言うと。恋人を失った男が、安らぎを求めて彷徨い続ける連作。
その男が、旅先で思い出すんだ。故郷の町の、門の傍の泉と、そこにあった菩提樹を。
・・・俺のホントの幸福は。永遠の安らぎは、本当はあそこにあったんじゃないか、って。
どこか、象徴的な歌の内容を受け取って、黙り込んだ僕に、貴方は残酷に笑った。
お前の本当の安らぎも、違うところにあると思うよ。・・・きっと、お前の町に、と。
Die kalten Winde bliesen / Mir grad ins Angesicht;
冷たい風が、吹き付けて、くる。僕の、真正面、から。
Der Hut flog mir vom Kopfe, / Ich wendete mich nicht.
頭から、帽子が吹き飛ばされても、僕は振り向かない。
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銀楼閣にたどりつき、ドアを開けようとしたライドウに、一陣の風が吹く。
「おわ、何だ。いきなり、すごい風。・・・"目にはさやかに見えねども"ってとこだねぇ」
吹き飛ばされた学帽を、いつも楼閣前に居る男が慌てて拾って、渡してくれる。
ありがとうございます、と、一礼をすると、顔を赤くして、いやいや、これぐらい、と。
・・・僕の周りの人達は、こんなにも優しくて、暖かい。
なのに。
「ごめんな。ライドウ。俺は、お前を連れていけない」
どう、して。
「さっきの、人。ナルミサン?誤魔化してたけど、お前を心配して、探しに来たんだろ?」
・・・
「一人でも、そんな人が居るなら・・・お前は、こっちに、来ちゃいけない」
貴方は、一人も、そんな人が、居なかったのですか?
「お前が、どれだけ、俺のこと、知ってるのか、分かんない、けど。多分、そうだ」
・・・僕が、貴方の、そんな人に、なっては、いけないの、ですか?
「ありがとう。でも、俺はもう、悪魔だ、から」
お前とは、違う生き物、だから、ダメだよ。そう言って、笑う貴方は、また何かを捨てる。
「・・・大丈夫だよ。俺には、仲魔が、居る、から。ほら、迎えが来てる」
そう貴方が見やる方向には、異なる時空との境目と、どこかで見た白い甲冑をつけた、腕。
誰も来るなって言ったのに。心配性なんだから、と言いながら、その翼は飛翔の準備を始める。
「またいつか、会おう。ライドウ」
お前が、人としての生をまっとうした時、そう願うなら。
・・・待って、待って、ください!
そう、心の底から叫んで、必死で伸ばした腕は、やはり、貴方には、届かなかった。
「うん。待ってるよ。ライドウ」
全ての形あるものの背後に隠れている、唯一の秘密の中で。
――― ずっと、待ってるから。
珈琲と煙草の匂い。
ソファに残る、猫の柔らかな毛。
ほんの数日離れただけなのに、懐かしく感じる、部屋。
そして。
無関心なふりをしつつ、さりげなく、僕を気遣う、ゴウト。
ふあぁ、疲れた〜と伸びをしながら、心配そうに視線をくれる、鳴海さん。
人だった頃の貴方には、一人も居なかったという「そんな人」は、僕にはたくさん、居る。
――― なのに。
Nun bin ich manche Stunde / Entfernt von jenem Ort,
もう、僕は、あの場所から何時間も離れたところに、居る。
Und immer hör' ich's rauschen:
なのに、いつまでも、ざわめきが聞こえ続けるのだ。
Du fändest Ruhe dort!
・・・お前の安らぎはあそこにあったのに、と。
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